第7話 覚醒の条件

文字数 4,797文字

 ルクソールの街中、商業地区から一本外れた通りにある小さなハーブ専門店。それが現在のラシーダの家であるらしかった。今は休業中の札が掛かっている。

「さあ、出来たわ。これをその子に飲ませて」

 こじんまりした寝室のベッドには現在、ラシーダではなく小鈴が寝ていた。その脇にはシャクティが付いて看病していた。天馬はラシーダに頼まれて、店の工房で解毒剤を作るための『助手係』を務めていた。

 そして出来上がった薬をシャクティに手渡す。ラシーダの腕の確かさは既に応急処置だけで確認済みだ。ましてや未覚醒とはいえディヤウスという事もあって、シャクティも本来効能も定かではない煎薬を抵抗なく受け取って、ラシーダの指示に従ってまだ意識の無い小鈴に少しずつ飲ませていく。

「……! おお、小鈴の顔色が……」

 天馬も目を瞠った。薬の効果は覿面で、小鈴の顔色は完全に元通りになり呼吸も穏やかになった。それを見てシャクティもホッとした様子になる。


「本当に助かった。見ず知らずのはずの俺達を助けてくれてありがとう」

「あ、ありがとうございました!」

 天馬が頭を下げるとシャクティも慌ててそれに倣う。ラシーダはひらひらと手を振った。

「さっきも言ったけどお互い様だから気にしないで。そもそもあなた達がいなかったら、私は奴等に捕まってたんだから」

 ラシーダがもう小鈴を看ている必要はないと保証するので、彼女の安眠を妨害しないように天馬達はラシーダと連れ立って客間に移動する。


「そう言えば正式に名乗ってなかったわね。私はラシーダ・アル=ジュンディー。この小さなハーブ店を営むしがない小市民よ……て言っても信じてはもらえないわね」

 ラシーダは自嘲気味に笑ってかぶりを振る。確かにプログレスやウォーデンがあんな手の込んだ『結界』を張ってまで追っていた女性がただのしがない小市民のはずはない。ましてやこれは天馬達にしかわからないが、彼女は未覚醒のディヤウスでもあるのだから。

「そうだな。だがまずはこっちも自己紹介させてくれ。俺は小笠原天馬、日本人だ。あの寝ているのは(スー)小鈴(シャオリン)って名前で中国人だ」

「シャクティ・プラサードと言います! インド人です!」

 天馬達が自己紹介するとラシーダは目を丸くした。

「日本人に中国人にインド人ですって? 歳も若いようだし、どういう集まり? 外国人にしてはアラビア語も随分上手だし、アメリカの外国語大学のクラブか何か?」

 ディヤウスの事を知らなければそう見えるのも仕方がない。これでアリシアもいたら増々『アメリカの外国語大学のクラブ』感が増していたと思う天馬であった。不謹慎ながらちょっと笑いそうになったが、相手は至って真面目なので天馬も表情を改める。

「まあ……俺達の事情はちょっと込み入ってるんだが、その前にアンタが何で奴等に追われてたのかの理由を知りたい。俺はマフムードとかいう奴等のボスに目を付けられたし、既に他人事じゃないからな」

「……! そんな……私の事情に巻き込んでしまったのね。解ったわ。全部話すから、それを聞いた上でどうするかあなた達自身で判断して」

 ラシーダは溜息をついてから自身の事情と素性を語り始めた。


「私には物心ついた時から不思議な才能があった。様々な植物の根や葉、種子、それに動物の身体の一部……そういった自然界にある素材(・・)を見るだけで、何をどういう風にどのくらい組み合わせればどんな効能の『薬』が出来るのか解るの。一目見ただけで(・・・・・・・)解るのよ。そして私が安い素材だけで作る『薬』は、どんな高価な薬よりも強い効力を発揮した」

「……!」

 それは恐らく未覚醒のディヤウスが持つ、潜在能力の一部発露によるものだろう。茉莉香のずば抜けた身体能力や小鈴の『気』を操る力などと同じだ。シャクティの実家での簡単なレッスンだけで武術を修得してしまった高いラーニング能力もそれに該当するだろう。アリシアもディヤウスに覚醒する前から異常に高く決して衰えない視力を持っていたらしい。

 彼女の言う事が本当なら、ラシーダは茉莉香達よりも更に才能の発露が顕著であったという事になる。だがそれは彼女に幸せを齎しはしなかった。

「私のその才能(・・)に目を付けた父は、私に毒薬を作らせてその需要(・・)がある政治家やテロリスト達に売る事で金儲けをしていた。私には『世の中を良くするための薬』だと偽りを吹き込んでね。幼かった私はそれを疑う術もなかった」

「そ、そんな……酷い」

 シャクティが同情的な顔になる。彼女も父親との確執はあったが、少なくともザキールは彼女に犯罪行為などはさせなかった。

「でも私もいつまでも子供じゃない。いつしか違和感を抱くようになり、やがてそれは確信に変わった。そしてある日、父を問い詰めたの。父はあっさりと認めたわ。そして私に無理やり『薬』を作らせる為に監禁しようとしてきた。だから父と、そして家族と訣別(・・)したの」

「…………」

 無理やり捕らえて監禁しようとしてくる相手に対する訣別(・・)。平和的な手段でなかった事は想像が付く。恐らくラシーダは自分の才能(・・)を家族に対して使ったのだろう。

「その後私はカイロからこのルクソールに逃げてきたのだけど、父の取引相手(・・・・)達が遂に私の居場所を突き止めてしまった」

「……なるほどな。それで今度は奴等が直接アンタに『薬』を作らせる為に無理やり拉致ろうとしてたって訳か」

 そこに天馬達が居合わせたという事だ。マフムードが言っていた『蠍』というのは、万能の毒薬を作り出すラシーダの事を指す暗喩だったのだろう。

「そう。私は自分が作っていたものがテロリスト達が使う毒薬だと知ってしまった。もう二度と奴等の仕事を受ける気は無いわ」

 ラシーダは決意に満ちた表情で断言する。それから天馬達の方へ視線を向けてきた。


「さあ、私の事情は話したわ。今度はあなた達の番よ。あなた達があそこにいたのは偶然じゃないでしょ? 私を追って来てた奴等は怪物のような姿になったわ。でもあなた達は驚いた様子もなく、それどころかもっと凄い力で奴等を撃退してしまった。一体あなた達は何者なの?」

 既に超常の力を見せるという段階はクリアした。望まぬとはいえプログレスにも遭遇している。条件は整っている。シャクティに目線で確認すると、彼女も同意するように頷いた。

「そうだな。だがその前にもう一つだけ聞きたい事がある。これは俺達の事情にも関係してくるんだが、アンタはここ最近になって、神を名乗るような存在と対話する明晰夢を見なかったか?」

「……っ!? な、何故それを……? 誰にも話した事は無いのに」

 ラシーダは驚愕に目を見開いて声を震わせる。解ってはいたが、これで完全に確定だ。

「驚くのも無理はない。だがこれからもっと驚く話をしなきゃならん。アンタが夢で言われた事は……全部事実だ」

「……!! この世界が外宇宙からの邪神に浸食されていて、私にはそれと戦う義務があるって言われたのよ? それが事実ですって? そんな馬鹿な……」

「義務があるかどうかってのはその神様の言い方次第だが、この星に邪神の浸食が起きてるのは間違いない。さっき俺達が戦った化け物共はその邪神の眷属(・・)みたいなものさ。アンタだって実際に奴等を見ただろ?」

「……っ!」

 これが初対面でいきなりこの話を切り出せない理由だ。いきなり邪神がどうとか言われても信じられるはずがない。日本でアリシアが失敗したのはここだった。まあ彼女も他のディヤウスを勧誘するのはあの時が初めてだったようなので仕方ない事だが。

 なので事情の説明や勧誘に当たっては、事前にディヤウスの力やプログレス共の脅威を肌で感じてもらっておいた方がスムーズに話を進めやすい。そしてラシーダは既にその条件(・・)を満たしていた。

「……という事はあなた達も?」

「ああ、それぞれアンタとは違う神の加護を受けている『神化種(ディヤウス)』と呼ばれてる存在だ。アンタもこのディヤウスで、俺達はアンタを勧誘(・・)に来たんだ」

「…………」

 ラシーダは考え込むように黙ってしまう。こんな話を聞かされれば誰だって考え込むのが当たり前だ。シャクティのようなケースは極めて稀(・・・・)と言っていいだろう。やがて彼女が顔を上げた。


「あなた達は皆人種だけでなく国籍もバラバラなのよね? つまりあなた達の仲間になれば、このエジプトを出て他の国に行く事になるのかしら?」

「そういう事になるな。ディヤウスとして覚醒すれば言葉の壁もなくなる。少なくとも外国を旅するハードルがかなり下がるのは保証するぜ」

「きっと楽しいですよ! ラシーダさんも是非一緒に世界中を巡りましょう!」

 それぞれの言い方でラシーダを勧誘する。彼女は納得したように頷いた。

「そうね。私にとって今のこの国は悪い思い出ばかりだし、どのみち常に奴等に追われていてはまともな生活も送れなかったでしょうから、それらを思えばあなた達と一緒にこの国を出るのも悪くはないわね」

「……! じゃあ……」

 シャクティが意気込んで身を乗り出すが、それを制するようにラシーダが指を立てる。
 
「ただしそれにはいくつか問題があるわ。まず第一に私を追っている連中ね。私を国外に逃がすはずがないし、あなた達も奴等に目を付けられたのなら、奴等をどうにかしないとこの国を出る事は不可能だと思っていいでしょうね」

 それは問題というより最早前提条件と言った方が正しかった。天馬はあのマフムードという男の顔を思い出した。あれはラシーダは勿論、天馬達も絶対に逃がさない気だろう。

「あとはその……私がそのディヤウスだったとして、どうやったらあなた達のような力を得られるのかしら? 正直何も特別な事が出来る気がしないし、今のままあなた達の仲間になったとしても無意味でしょうね」

 ディヤウスとしての覚醒の問題だ。天馬にも正確な条件は解らない。今までのケースから言える事は自らの強い意思と意欲が必要だという点だけだ。少なくともシャクティはそれでいとも容易く覚醒した。だが本当にそれだけなのだろうか。個人差もあるように見えるので一概には言えない。

「意欲……か。確かに今の私にはそれが足りないかも知れないわね。でもそれだけなら何とか出来そうな気もするわ」

 何と言っても物騒な連中に狙われている状態だ。プログレスだけでなくウォーデンもいる。彼女が心からディヤウスとしての力を求める状況になる可能性は充分ある。


「……それだけじゃないわ。この国に……人としての生活に少しでも未練があると覚醒できないわ」


「……! 小鈴! もう大丈夫なのか?」

 聞こえてきた声に天馬達が振り向くと、そこには少しやつれた様子の小鈴がそれでも目を開けて立っていた。ただしまだ本調子ではないようで壁に手を付いて支えている。

「シャオリンさん、良かった……! でもまだ無理せずに寝ていた方が……」

「ありがと、シャクティ。でも状況を考えたら暢気に寝てばかりもいられないでしょ?」

 心配そうなシャクティに支えられてやってきた小鈴はラシーダの向かいの席に着いた。

「私からも直接礼を言わせて。ありがとう、あなたのお陰で助かったわ」

 小鈴が素直に礼を言う。中国人は滅多に頭を下げて礼を言わないというイメージがあったが、流石に命の恩人に対してはその限りではないようだ。ラシーダがかぶりを振る。

「彼等にも言ったけど、お互い様だから気にしなくていいのよ。それに私のこの忌まわしい技能が少しでも人の役に立ったのなら嬉しいわ」

 ラシーダがそう言って微笑する。そしてすぐに表情を改めた。

「この国や今までの生活への未練? それがあると覚醒できないという事?」

「少なくとも私の時はそうだったわ。まあ寝室からあなたの話も聞こえてたから、余り未練とかは無さそうだけど……」

「…………」

 ラシーダは再び考え込むような姿勢になった。何か心当たりがあるのかも知れない。 
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