第85話

文字数 1,859文字

             85、
 杉戸は、雑誌編集部に移籍した。野本も暫くして移動して来た、そして編集部発行の月刊誌に、
『「蟻のひと噛み」或る密航者から届いた手紙』
と題して、朴明哲の、社会部宛の手紙を、個人名や、地域、場所、その職業、地位等を特定する箇所を空白にして、文面そのまま、日本語訳で掲載し、そして、
追加記事として、
~島で起きた殺人事件、冤罪、公判に出廷途中に逃亡した警官B、
そして、某都議会議員Aと、逃亡警官Bの関係性、
逃亡警官Bの轢死、同じ汽車に同乗していた都議会議員Aの存在、
この手紙を書いた朝鮮人が本牧沖合で死体となって発見されたこと、
古代朝鮮財宝が、骨董屋に持ち込まれて換金され、その金が都議会議員選挙前に、Aから有力議員などに配られた疑い、
を淡々と書き記して発表した、そして末尾に、責任編集記者として杉戸の名を記した。

 世の中、ひとのことなど構う余裕のない、戦後、敗戦後の日本の、そんな世情にも関わらず、読んだ一人が二人にこの話をし、聞いた二人が他のひとに話をし、その数、鼠算式に増えて、この特集記事を掲載した月刊誌は、店頭で奪い合う程に売れた。
 そして人々は、では、ここに云うAとは一体、誰だ、と叫び始めた、
発刊からほぼひと月程は、杉戸の努める新聞社前に、米軍仕様のジープや、複数の大型スピーカを装着し、荷台に戦闘服を来た男達を載せた大型トラックが囲み、一日中、杉戸の名を連呼して気勢を上げていたが、都議会議員成瀬が、拳銃自殺したその翌日から、それら全ての騒音の元は、本社前から、掻き消えた。

 その成瀬から雑誌編集部宛に手紙が届いた。
「『遺言』我、我が夢、道半ばにして絶たれる」
と題して、
「我、杉戸記者に、死を以って抗告する、
我れ、戦地より還り、残された我が後半生全てを、未曽有の国難に在る国政を立て直すために捧げんと、ひたすら我が道、邁進するところ、貴誌の暴論により、根拠なき辱めを受け、それが基で、国民より我が名、忌み嫌われ、我、茲に、我が夢、絶たれ、道行く我が歩み、阻まれた。
我が経歴に、謂われるような愧ずべきこと一点もなし、全て、風評、嘘、偽り、悪意に満ちて、何一つ、事実、真実、そして一切の証拠、証言に基づかぬ噂を公けに吹聴されて我、茲に窮す。
それが証拠に、我は貴君とはただの一度の面談すらなく、我の顔見ずして、我の生の声一つ聴かずして、何の正義を口走るか。
 我を貶めんと、我を辱しめんと、我に偽の疑惑を被せて、その過去を糾弾する、悲劇のひとを装う密航朝鮮人の話を、その真偽も確かめず、ただ鵜呑みに、記事に認め、我を、ひたすら正道突き進む我を、社会から抹殺した。
 我が家族、皆、石以て追われ、我が一族の夢、全てここに絶たれ、我信じて進んだ道を枉げられて、我、国家に対して尽くさんとの志、ここに全て絶ち切られた。

 記事に云う、朝鮮人など、我には縁もゆかりもない、ただの食いっパグれの浮浪者、 
そんな浮浪者が海に浮かんで、それを何を以って我の工作だと云えるのか。
 我が実家に蔵したる、骨董品、財物、宝物、そのどれもが、我が一族先祖、遠く戦国の武将に血のつながる我が先祖が、その時々に、贈られてそれを他に譲らず、いつの日か、国に危機存亡の秋が訪れし時に惜しまず供出すべきとの家訓を累々代々云い伝え、守り通してきたものであり、いささかの、非難、疑いをも受けるものに非ず。
 一部に、古代朝鮮の宝物、蔵す、しかしこれらは終戦し日本への隷属から解放された在日の人々が、自由を得て郷土に還らんと、しかし彼の地の情勢に不安あり、是非、暫しの間、保管願いたいと申し出あり、一時期的に預かりしものばかりである、戦争鎮まり、彼の地から再び日本の地に戻られればお返しし、もしくは依頼を受ければ、いつでも彼の地に送るものばかりなり。いささかも、疚しいものはない。
 我、茲に云う、
我は、義に忠心する武士(もののふ)なり、彼の地、そして遠くは満州、ソ満国境に取り残されて、いや、棄てられた我が佰萬の同胞の命の危機を救わんと、そして無事の引き揚げを成さんと、敗戦後の混乱し、日本人とみればその首、いつ掻っ切られるか判らない状況下にあって、彼ら残留日本人を救出せんと、ただひたすら黙々と彼の地で独り残り、働いてきた。その我が、まるで非国民、国賊が如くに、あらぬ疑いを掛けられて、犬畜生が如くに非難され、国に忠義する資格をも奪われては、これ以上我に生きる意味はない、     
我、我が手で我が命、絶ち、貴君の暴論に抗議する」

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