第37話

文字数 1,769文字

             37,
 杉戸は考える、色んな可能性を考える、二人は絞殺された、だから包丁を突き刺されても血は勢いよく噴出しなかった、のだ。
 ではなぜ絞殺して、念入りにも腹を刺したのか?杉戸の過去に関わった殺人事件でも、これと同じケースがあった、犯人は問われて答えている、
(いきなりナイフで突き刺せば悲鳴を挙げられ、隣近所に丸聞こえになる、殺して遠くに逃げるには、先に首を絞め、気を失ったか息が止まったところで、腹にナイフを突き立てて逃げる)
加えて、今回の場合、もう一つ理由が考えられる。警官度部は、現役の警官ならば、敵と多少の体格差が有ろうが、腕力差があろうが、柔道の心得があり、倒して後ろから絞めれば、簡単に息を止めることが出来た筈、だから絞殺するに躊躇は無かった。死因を絞殺だと断定されれば、柔道の心得のある当人に疑いが掛かることも懸念したのではないか。
 更に、杉戸はもう一つの理由を思い付く、何故、絞殺した死体にわざわざ包丁で刺した、何故そんな手間を掛けたのか?
 それは、後から確実にやってくる佐川に全ての罪を擦りつけるために必要な手順だった、
のではないか。その順序は判らないが、一つの仮定で、吉津祥子を裸にして暴行し、その首を絞めてから腹を刺したのは、佐川の怒りを、騙されたことへの怒りと悔しさを表現するためには絶対に必要だった、からだ。
 野地辰男を殺し、吉津祥子を殺すための動機がこれで出来上がり、隠蔽と冤罪の工作がこれで完成する…
 全てが行き当たりばったりの行動に観えたが、一つ一つ解き明かせば、肝心の部分については、その犯行の手順には考え抜かれた用心深さが見えてきた。
             
 警官度部の犯行であることはもう疑いようも、否定のしようもない。だが、杉戸は、深く失望した、その犯行を証明するものが何一つとして無い、証拠が何も無い…
 杉戸は、部屋の畳に寝転び、天井を見上げ、考える、何をどうすれば、証拠に巡り会えるか?何も頭に浮かんで来ない…

 ふと、杉戸は或る一点、未だ未確認のものがあることに気付いた、それは、間違いなく吉津祥子が「キツネ」で佐川の使いの者から受け取り、タクシーで持って帰り、家で待つ野地辰男に渡した三十萬圓の札束、その札束の入った鞄、の行方が、未だ確認されていないことに気付いた。
 事件後、緊急に駆け付けた警官達は、写真に示す通り、畳の上に靴のままで上がり、家の中を歩き回っている。そこで必ず、そこに在れば、かならず見つけた筈の札束入りの鞄について、公式には、新聞記事を読んだ限りではあるが、警察はひとことも話をしていなかった。果たして見つけたのか、それとも見つからなかったのか、一言も言及していなかった。各社記者連中、そのことを訊かなかったのか?そんな筈は無い。しかし原田も申し送りの時に杉戸にこのこと伝えていない。杉戸と交代した時点では捜索中で、何も発表が無かったからかも知れない…
(「南海の孤島で殺人事件発生か
 男女二死体、腹部に刺し傷」
現地からの電話報告によりますと、三日前の夜、翌日に島の祭礼を控えて多くの人が帰省して賑わう~島内で、地元で小料理屋を営む吉津祥子さん(年齢不詳)の自宅で、吉津祥子さんと、氏名住所など不明の男性が腹部を刺されて失血死しているところを、島内を巡回中の警官が近くを通りかかり、吉津祥子さん方から血に濡れた包丁を持って、服に大量の血を浴びた男が飛び出してきて同警官とぶつかり~後略~)
 この第一報の後、各社は続報した。杉戸も原田と交代するまでの記事は、他社の分も含めて読んでいた、が、どこにも消えた三十萬の札束について書かれていなかった。
 ふと杉戸は思った、あの野地辰男が、当日午後二時以降、殺されるまでの間に何処かに隠したのか?可能性はある、しかし、あの家の中や、周囲に、~島署の警官が総出で、何日も捜索して見つけられない秘密の場所があるようには見えない。それに、男は、自分が誰かに襲われることを想定して、余程に用心、警戒していなければ、簡単に、極端な話、例え三十萬の大金でもすぐその辺り、枕元、手の届く辺りに放り投げていた、筈…
 探し出さなければばならない。この金の在り処だけが、全く犯行証拠の無い状況に在って、唯一の物的証拠となってくれる…
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み