第44話

文字数 1,756文字

             44,
 女の子の様子が気に成り、杉戸は雑貨屋に戻った。女店主が入口の雨戸を閉めているところだった。木製の戸は汐風に晒されて朽ちて、閉まり難そうにしているので、それを手伝いながら杉戸は訊いた、
「あ、あの富子、ちゃん?そうだね、あの子、三崎のちいちゃんとこの娘さん、この道、向こうへ行って、二つ目の四つ角、左へ、あ、そうだ、「キツネ」のおかみさんが住んでいた家の、ちょっと手前かな?」
杉戸は礼を云って自転車に跨ると、女店主が、手招きして呼び停め、声を潜め、鼻に皺を寄せて云った、
「あの、警官、会わなかった?新聞記者さんが出て行った後、すぐ追っかけるみたいに、あいつ、ここで盗み聞き、してたんだよ、きっと。わたしが云った悪口も聞かれてたんだよ、ああ、怖い…、あんたも、気を付けて、よね」

 杉戸は、旅館に帰り、海の景色を見張らせる大風呂に浸かっていた。途中で出会った女子中学生、三崎富子の様子を思い出していた。
何か杉戸に話したい素振りに見えた、が、あの年頃の女の子はなかなか自分を素直に表現できないところもあり、また人見知りも激しい。
 もうちょっと様子見てみよう。

 杉戸は、警官杉戸が、杉戸の行き先々に先回りし、後をつけ、タクシーの運転手も含めて、
(新聞記者がうろうろしている、あんまり、訊かれても、答えたりしたらダメだよ、何も知らない、何も見ていない、何も聞いていないって云うように)
とお触れを回していることに怪訝した。
 民主警察、開かれた警察を宣言するが、現場では旧態依然、何も変わってはいない、まして元憲兵であってみれば、猶のこと、拷問、隠蔽、捏造、何でもござれ、その体質が変わる訳はない。現に、原田が取材する松川事件では、警官だけではなく裁判官、そして政府高官もが結託して進駐軍のご機嫌をとっている有様である。
 杉戸も兵役に就いていた頃、新聞記者と云うだけで、憲兵に始終付け回されていた。
 え?
杉戸は、度部が雑貨屋の女店主に話した、元憲兵だった、朝鮮に居た、と云う二つの符号が杉戸の記憶を刺激して、在る人物の経歴を思い出させた、
 つい先日の、都議選に立候補し、当選した警視庁出身の成瀬の、都議選候補者掲示板に貼ってあったポスター、そこに記載された、成瀬の経歴書の記述を思い出したのだ。
そこには、成瀬は戦時中、憲兵隊将校として中国本土に、そして終戦時には朝鮮に赴任していた、と記されていた。
 杉戸は、あの日、佐川を載せたパトカーが警視庁庁舎玄関に乗り入れた時、庁舎の窓から玄関口を見下している二つの人影があったことも思い出した、その一つは、間違いなく元警視庁捜査一課長成瀬の影だった。
 警視庁~島署、そこに勤務する一人の警官が、成瀬と、その地位や立場、その実権力は雲泥の差、だが同じ時期、同じく終戦間際に同じ場所に居たかも知れない偶然が、杉戸には二人に何か縁があるようなものを感じさせた。
 だが実際には、終戦当時、朝鮮に駐留していた軍人の数から考えると、同じ偶然の例は幾らでもある。たまたま、のこと。

 水平線の朱い残照が、浴室にも映えて、湯の波までが朱く煌めく。体を湯に沈めて杉戸は考える、
 全ての状況、情報は、警官度部の犯行を示唆する、そして二人を殺すに十分な動機も、佐川を冤罪するに十分な嫉妬も、この島に在住するどの誰よりもそれは強力だった、度部の犯行は疑いようもない。
 しかし杉戸の思考はまた起点に戻ってしまう、何一つとして、度部の犯行を証明する物的証拠がなく、目撃者もいない…
 どこかに見落としが無いか、決定的な証拠をどこかで無意識に見逃していないか…しかし杉戸は何処にも手掛かりを見つけられなかった。
 杉戸は、消えた大金三〇萬圓の札束の行方に望みを託すしかないと結論する、そしてその札束を、度部は旧日本兵用の背嚢に入れて船に乗り込み、そして帰りの便では度部の背中にその背嚢は無かった…これで一つのことがはっきり出来る、この島の何処にも三十萬の札束は無い、そして度部は東京の何処かにそれを隠す宛が東京に在る、ということになる…?

 杉戸は汽船に乗った、見知った船員らと軽く会釈を交わす、中でも、水産高校で佐川と元同級だった船員の、杉戸を見る目に熱い訴えを感じた、杉戸は頷いて応じた。


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