第52話

文字数 1,662文字


             52,
 裁判長は、上原弁護士に向かって云った、
「弁護人には、被告の犯行を否定する証拠、証言または証人があっての罪状否認だと思いますが、その内の何か、今ここで提示して頂ければ、それを吟味して、次回公判を開廷すべきかどうか判断したいと思います、また必要となればその場合、その期日を決めたいのですが」
上原弁護士は、椅子から立ち、曲がった腰を伸ばしながら、
「色々と被告の無罪を証明する証拠はありますが、その内の一つ、検察官から提出されております事件現場実況見分調書、そこに、二つの遺体を写した事件現場写真の数枚が添付されておりますが、そこに撮されております奇妙な事実について説明させて頂きます」
上橋は、裁判長、裁判官、そして検察官が調書をめくって写真の頁を開くのを待って、
「この数枚の写真の何れも、畳の上に飛び散り、また流れ出た血痕がはっきり撮されていますが、注意して見て頂きたいのは、死体の側に、死体から流れた血を踏んだ靴跡が幾つも写っております。その形に大小の差はありますが、何れの靴跡も同じ模様であることがお判り頂けると思うのでありますが?」
裁判長は、数枚の写真を見比べて、頷いた、上橋は続けた、
「これらは、全て警察官の、事件現場に立ち入った時の、警官の靴底の模様であります。被告は、事件当夜、その犯行発生時間直前まで、白のズック靴を履いていたことが、一緒に居た数名の友人によって証言されており、また被告は~島署内留置場から東京に移送される船の中でも、事件後も同じ靴を履いていたのでありますが、被告が船室で脱いでいた被告の靴には、一滴の血痕らしきものも付いていなかったことが船員によって証言されております。
 即ち、実況見分調書に添付された現場写真の何処にも、被告の靴跡は写っていないのであります」
裁判長は改めて数枚の写真を見比べる、その様子を苛立ったように見ていた検察官が、異議を申し立てた、
「裁判長、弁護人は畳の上に被告の靴跡が写っていないことを理由に、被告の犯行を否定したいようですが、被告が犯行後、犯行を隠す為に、畳の上に付いた靴跡、履いていた靴底に付いた血痕を拭き取ったのだと考えます」
上橋弁護士が、その答えを待っていたかのようにすぐさま異議を申し立てた、
「巡回中、偶然にも、犯行直後、現場から飛び出して来た被告とぶつかって被告を逮捕した警官の、当時の報告書が実況見分調書に添付されておりますが、そこに詳細されております状況によりますと、被告の様子について、
(見ると佐川隊員は手に台所用の包丁を握っていて、その手は血だらけで、着ている服も返り血を浴びたように血だらけになっていました)
と記録されておりますが、手に血塗れの包丁を握り、しかも体に大量の返り血を浴びたそんな状態で飛び出してきた被告に、靴底に付いた血痕を拭きとったり、畳の上に染みついた靴底の跡を拭き取ったりする余裕は全く無かった、と思うのでありますが」
検察官はすぐに反応した、
「被告は、こんなことをしている場合じゃない、すぐ現場から逃げるべきだと気付いて、表に飛び出した、のです」
上橋弁護士は落ち着いて反論した、
「畳の上の靴跡や、靴底に付いた血を拭き取った被告が、急に気付いて、包丁を持って外に飛び出した、と云うんですか?絵に成りませんね。
念の為、被告に訊ねます、被告の利き手は、右ですか左手ですか?」
「右手、です」
「検察官に訊ねます、被告の血塗れの衣服や血塗れだった包丁は、今、何処にありますか?」
「証拠物件として、当法廷に提出しております」
「その血塗れの包丁を写した写真も添付されていますが、私が見たところ、左手に握られたように、包丁の柄に、親指以外の四本の指が並んで痕がついています。
検察官、もし正面に向き合った相手から包丁を握らされたら、どっちの手に持たされますか?いや、結構です、別に、これはちょっと聞いてみただけです。
 それよりも、検察官、逃走時に、靴跡を消したり、血糊を拭いたとされる被告の靴は、何処にありますか?」
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