第77話

文字数 1,846文字


              77,
 誰かが洟をかんで捨てたようなくしゃくしゃの紙、それに小さな新聞の切り抜き紙片が同封されている。
 手紙は全て、ハングル文字、だった、時候の挨拶もない、所々に、漢字の二文字、そして三文字があった、それは、
「度部」
そして
「天女像」
怖ろしい予感に、成瀬の手がわなわなと震え、手に持つ紙片が風に煽られるように鳴り、事務員らが成瀬の様子を心配そうに見る。成瀬は、熱があるかのように額に手を当て、事務所奥の応接室に入った。
 新聞の切り抜き紙片を広げた、
「参考人の警官、出廷せず、移送途中、逃亡か」
度部の出奔を報じる記事、だった。成瀬は明らかに差出人「朴明哲」の悪意を察した。元警視庁捜査一課長、当然~島署も管掌するその元責任者だった成瀬への、当てつけにこの切り抜き記事を送って来たのだ。度部が行方を晦まして以来、この種の嫌がらせは何度かあった。
 ハングルの手紙もその手の嫌がらせか、と破り棄てようとしたが、紙片に書いた漢字二文字「度部」は、度部を逃がした警視庁の失態を非難する内容だろうと想像出来るが、「天女像」の漢字三文字は特別な関係に在る者にだけ通じる言葉であり、成瀬は胸騒ぎを覚えながら、紙片を広げた、
「「度部」の部屋にあった「天女像」の掛け軸、持っている。
オレは、母の仇、「度部」を殺しに来た、オレは、あの日、「度部」の後を付けていた、「度部」は上野駅から列車に乗った、オレも後をつけて乗った、するとあんたも同じ列車に乗っていた、
あんたと「度部」が通路を通って一番後ろへ行った、暫くして、あんたは白いコートの胸の辺りに血を付けて戻ってきた、が「度部」はそれっきり戻って来なかった。戻れる訳がない、あんたに突き落とされて肉のこま切れになったのだ。
 オレは、慶州で生まれ育った、慶州の寺なら隅から隅まで知っている、その寺から、あんたが慶州に居た間に、古代朝鮮時代に造られた仏像や絵、陶器、仏像が盗まれた、慶州の人たちは知っている、全部、あんたと「度部」の仕業だ、訴えてやる、と今、騒いでいる。
 八月十五日、併合から解放された村の人たち、隣村の人たち、慶州中の人たちが、親や兄弟を嬲り殺され、母や娘、姉、妹を手籠めにされた仇を打たんとあんたと「度部」を探して、徒党を組んで憲兵隊屯所に殴り込んだ、あんたら二人は日本に逃げた後だった。
 元抗日烈士だったオレが日本へ航ると知った寺の住職達がなけなしの金を集めてオレにくれた、あの成瀬と度部は必ずそれらを日本の何処かに隠し持っている、捜してくれ、取り戻してくれと頼まれた、
 何処に隠したか、オレにはもう見当がついた。あんたの地元は信州は長野、だった、あそこで何故あんたが降りたか、駅前の旗や幟ですぐ分かった。
 その後、あんたは迎えの車に乗って何処かへ行った、オレは駅で待っていた、あんたは駅に戻って来た、あんたは駅前のタクシーにひとりで乗った、オレもすぐタクシーで追った、もうこれで分かっただろう、オレは、あんたの古い邸であんたが何をしていたか全部見ていた。
 オレは、あんたをよく知っている、あんたはオレの顔見ても覚えてないだろうが、オレは毎夜、「度部」に拷問されながら、へらへら笑うあんたの顔を見て耐えていた、今も目を閉じればあんたのあの顔が目に浮かぶ、忘れやしない、忘れるもんか。
 この「天女像」を買え、佰萬圓でいい、佰萬圓払えば、あんたが、あのトンネルの中で何をしたか俺は誰にも何も云わない、オレにはそんなことどうでもいいことだ、佰萬圓は口止め料込みだ。
 だが金はすぐ用意しろ、オレはその金で、どこかで商売でもする。だが、金を払わなければ、オレはすぐ新聞社に駆け込み、あんたの悪事の全てをぶちまけてやる、あんたは潰しにかかるだろうが、一旦そんな噂が立つだけで、あんたはもう終わりだ、あんたは全てを失い、腹を空かせて闇市で食い物捜してうろつき、犬に吠えられるか、犬を追うように石を投げられるのだ。
 三日後の、~月~日、昼の二時に、上野駅の、赤電話の前に、金を持って来い、そこで金と「天女像」の引き換えだ。
 何度も云う、あんたはオレを知らないが、オレは知っている、あんたの周りにおかし気な奴が一人でもいれば取引は終わりだ、オレはその足で新聞社に行く、それであんたは、全て終りだ、オレか?オレの心配は不要だ、あんたが来なければ、オレはもう一度、あの骨董屋へ行って、この「天女像」引き取らせ、その金をもって、新聞社に駆け込む」
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