第72話

文字数 2,444文字

           72、
 本社で、次の仕事の準備をしている杉戸に、福島に出張中の原田から電話が掛かって来た。原田が現地取材中話しかけられ、聞けば、つい先頃迄新聞紙上を賑わせていた~島殺人事件で、出廷直前逃亡した警官、多分オレの知っているあいつじゃねえかって云う。
 あなたは?と訊くと、朝鮮で、終戦まで憲兵として勤めていたと云う。少し詳しく聞くと、そのひとは佐藤さんと云う方で、朝鮮の慶州部隊に赴任していて、その部隊に当時同僚に度部と云う男が居たが、敗戦直前に姿を晦ました、と云う。
 原田は、自分があやふやに話を聞くより、杉戸に直接聞いて貰った方が、と思って電話したという。

 杉戸はすぐ出掛けた。松川事件、列車転覆の大惨事があった事故現場を、列車の窓から見て通り過ぎたが、そこがその現場だと知らなければ、普通に見過ごしてしまう程に、辺りはすっかり旧に復し、稲も一面、青々と伸びて、事故の名残は僅かにも残していなかった。

 福島駅前には、国労動労の赤旗や、「松川事件」被告全員の無罪釈放を訴える幟を組合員らが駅から出て来る客に向かって振っている。その中に、原田が迎えてくれて、タクシーで、元憲兵、佐藤の家へと向かった。
 二人は、座敷に上げて貰い、座卓を挟んで挨拶を交わした。杉戸は、早速に、度部巡査長の、新聞で公開された写真の原版を借りてきていて、それを佐藤に見せた。
「ああ、間違いねえべ、やっぱりこいつだよ、度部って奴は。ま、どこか、気味の悪い、とっつきにくい奴でよ、部隊にも、そんなに気楽に話す相手はいなかったんでねえべや。
自分たちの部隊は、抗日武装農民兵の取り締まりとその組織の殲滅が任務で、こと武装農民兵をつかめえてくることに掛けては部隊ではこの度部が一番で、度部は朝鮮語普通に話すので、現地でスパイみたいなのも雇って情報を仕入れて、その組織、壊滅させたことも何度あった、だよ。
ただ、そのやり口が、酷くてね、拷問すんだけど、もう人間じゃないような仕打ちで責めるんだ。あいつが取り調べ中は、収容所から人間の物じゃねえ悲鳴が、叫びが聞こえて来てたからね。今でも、その声が、耳に残っているぐれえで、夜中に目が覚めるだよ。
 その分、駐留部隊長にも受けがよく、よく可愛がって貰っていたようだったよ。その部隊長ってのが、まあ、これが、骨董品に目の無い野郎でさ、度部が、多分、あの慶州ってところは、古代朝鮮の都で、日本で云やあ、京都や奈良、みたいなところで、あちこちに旧跡古寺って云うの、古い寺が在るところ、だったけど、その度部って野郎、そこに手当たり次第に盗みに入って、美術工芸品って云うの、そんなの盗み出して来て、それを部隊長に売りつけていたって話も聞いてただ。
 憲兵の一人が云ってたども、あの度部って野郎、或る日、朝礼に出なかったので、そいつが呼びに行ったら、あの野郎、古い掛け軸、みてえの、よく古い寺に飾ってあるの見掛けるような、それを布団の横に広げて寝てやがって、そいつが見ると、何んとか天女って、羽衣みたいなの羽織った女の神様の絵、だったらしいが、よくみてると度部って野郎、マッ裸じゃねえか、その掛け軸みてえの抱きかかえて、さ、そいつ、気味悪くなって、度部起こさなかった、って後で云ってるの聞いたことがある、変質って云うの、何だかそんな、薄気味の悪い奴だった。
 何でも、あいつは、若い女より、歳いった女にしか興味がないようで、何処かの、武装農民の家に踏み込んだ時には、その男の妻や娘に目もくれず、年老いたばあさん、追い回して、暴行していたってことも聞いたこともある、さ。
 その度部と部隊長の二人が、敗戦で武装解除される前に、二人とも部隊からいつの間にか逃げていねくなって、オレたち、皆な、中国人や露助に連れて行かれたんだけど、そん中で朝鮮人が、その度部って野郎、躍起になって探しまくって、オレたちにも、知っているだろう、何処へ逃げたか云えって、えれえ目に合わされたんだ、あの野郎のお陰で。
 部隊からトラックが一台、無くなっていたんで、オレ、思うんだけど、それに部隊長が盗んだ工芸品、載せて逃げたんじゃねえべって皆なで云ってただ。だどもそんなこと、口が裂けても朝鮮人には云えねかった、だ」
「その当時の部隊長って、成瀬って名前じゃなかった、ですか?」
「お、よく知ってんでねえべ、そだよ、その成瀬、だよ、この前、東京で、都議会の議員になったって聞いた、だよ、そいつだよ、部隊長は」
 杉戸は、何度か、~島で取材中に度部に執拗に付けまわされていたことを想い出しながら、佐藤の話を聞いていた。そして佐藤の話から、現都議会議員、元警視庁捜査一課長、そして元・朝鮮憲兵隊部隊長、成瀬の光輝な経歴の裏に、別な姿が見えて来た。
 骨董品に趣味を持ち、骨董品収集に執着し、それを手にせんと、部下の度部を使って古都慶州の古寺から骨董美術品を盗ませて何処かに隠して置き、終戦直前、軍のトラックに二人で積み込んで持ち去った…同僚から聞いた骨董屋の話から、成瀬議員の、古代朝鮮骨董品への執心、執着振りが見えて来る、そして、敗戦間際の、この二人の行動も容易に想像できる。
 敗戦濃厚となり、日本軍幹部は軍秘蔵の財宝、現金をトラックで日本に持ち込んで隠し持ち、その金で日本の財界、政府を操っている、いやGHQ将校にもその一部が渡って、戦犯の命乞いにも使われている、とそんな話が未だに巷に流れるが、何処にでも似たような奴がいて、何処にでも似たような悪事を働く奴は腐る程いる。
 戦争の歴史にかつて真の英雄など存在しない、汚い奴だけが生き延びて、生き延びた理由を嘘で固めて法螺を吹く、死ぬのは実直の兵士、その兵士の命など屁とも思わない奴が英雄になる。  
 兵役中、杉戸はそんな例を厭と云う程見て来て、今もその大嘘を何処かで聞かされる。
その規模は杉戸には判らないが、成瀬の栄光の経歴の裏にも、恥知らずな経歴が隠されていた、のだ…
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み