第69話

文字数 2,515文字

              69、
 杉戸はその記者に訊いた、
「で、どうなったの、処分は?」
「予定通り無罪放免さ。あとで、その骨董屋に会って話聞いたんですよ、成瀬議員とはどれぐらい贔屓にして貰っているんですかって。結構長いらしくて、成瀬議員の古いご先祖さんの代から、成瀬議員は信州の旧名家ご出身で、何かと急に金が要り用になった時に、実家に在る骨董を持って来てそれを担保に、小遣い程度のお金を借りて行って、ま、体のいい質屋みたいな仕事させて貰っているって。
 ま、それで、この事件の顛末は終わりなんだけど、骨董屋、仕事柄、口が堅いかと思いきや、ま、一つは我々が報道関係と聞いて多少口が滑ったのかも知れないんだけど、今度、警察沙汰に迄なった事件で、殺された男が初めに骨董屋に持ち込んで来たのが、これが結構な代物で、正直骨董屋も驚いたらしいんだけど、古代朝鮮の、今でも朝鮮の旧寺に保存されていたりするんですが、何点か日本の統治中に、軍や民間人に奪われたり盗まれたりしたものが多いらしいんですが、特に、この男が持ち込んで来た掛け軸、「吉祥天女像」の掛け軸、その盗まれたものの中でも代表的な物らしくて、骨董屋にもその値打ちが実際どれほどのものか想像もつかない値打ちもので、持ち込んだ男に骨董屋、その出所を訊きましたら、朝鮮語しか喋らない男から、その持ち込んで来た男は在日だったので、ただいきなり頼まれただけで、自分にもこれがどんな値打ちもんかもさっぱりで、と云うので、それで、この骨董屋、男の顔見ながら、ま、七萬ぐらいで、と云ったら、大概驚いて、一度、それでいいかどうか本人に確かめて、明日朝一番に、もう一度ここへ来る、と云って一旦引き取って、その明くる日にきたのが、別の男で、こいつが、昨日来たその男殺して、この掛け軸盗んで、持ち込んで来たって話、です」
「で、その掛け軸、どうなったの?」
「警察が一旦没収したんですが、骨董屋は正式に、実際には盗品の売買なんだけど、金は骨董屋が、それが盗品だと知らずに七萬圓、既に払っているので、取り敢えずは骨董屋が所有者、となっているようです。で、骨董屋に訊いたんです、それ、どう処分するつもりですか?って聞いたら、その成瀬議員にも既に話をつけているらしくて、何でも、やっぱり成瀬議員自身も相当の、古代朝鮮のこういった、巻物や、陶器等美術品、工芸品には相当凝っている、らしくて、自分たちの間では知らぬ者はいないぐらいだと。その成瀬議員も、ちらっと、もしそれが自分も実際見たことあるものだったとしたら、それがいったいどうして、こんなところにって仰っていたとも、骨董屋、云っていました」
「で、その「天女像」、間違いなく、古代朝鮮の?」
「骨董屋は、それは間違いないと、成瀬先生に実際に目利きして貰えば、お墨付きになるんだけどって云ってたね」
「成瀬議員は、それ、買うつもり?」
「盗品、ですから、難しいんじゃないですか?でも、よく考えたら、その絵、元々誰が持っていたものか、何処に在ったものか…」

 成瀬は、骨董屋から電話で、経緯を聞いで電話を切った後、暫く目を閉じて、頭の中を整理した。
 骨董屋が説明する、「吉祥天女像」の掛け軸は、構図、色使い、色調、その天女の視線の流し方まで、朝鮮軍憲兵隊長として慶州に赴任していた当時、部下の度部が、古寺に忍び込み、盗み出して来た「天女像」に酷似していた、いや、似ているどころか、正しく本物に間違いなかった。
度部は盗品を持ち込む度、成瀬から金を受け取っていた。だが、何故かこの「天女像」だけは、度部はこれを手に入れていたことすら初めは成瀬に報告しなかった。盗品の全ては特別の、軍隊内倉庫に隠してあったが、この「天女像」だけは、度部が自分で預かると云って拒否して、いつも自分の傍に置いていた。
 成瀬は、度部が隠し持っていた「天女像」を見た時、これこそ古代朝鮮の秘宝中の秘宝だと、感動さえ覚えて魅入ったことを覚えている。
 人の目につくことを危惧したが、何処に隠していたのか、成瀬にも判らなかった。
骨董屋の説明を聞きながら、盗品として持ち込まれた「天女像」は正しく、度部が隠し持っていたものだった。
 敗戦直前、二人で成瀬の実家の倉庫に運び込んだ盗品の中に、この「天女像」は含まれていなかった。多分、度部が別に何処かに隠しているのだろうと思っていたが、その「天女像」が、度部の死後、何処からともなく現れたことで、成瀬は度部の、この「天女像」への、死してなお執着する、執念のような、怨念のようなものを感じて、流石の成瀬も、背中に冷たいものを感じた。
 だが、成瀬には、あの「天女像」を今一度目にすることが出来る楽しみの方が、そしてあの絵が僅か七萬圓程度で手にすることの喜びの方がやはり強く働いた。
骨董屋は、電話で、それを幾らで買ってくれるか、決してその売値を口にはしないが、成瀬の鼻息を窺う。骨董屋は、その絵がどれだけの値打ちものか判らぬまま、あの絵を見ながら舌なめずりしている様子が窺えた。
 成瀬は、電話口で、怒鳴った、
「ふざけるんじゃない、何処の誰だか判らぬ奴がいきなり持ち込んできて、しかもその持ち込んだ男を殺してその絵を盗んだ男から、貴様はそれを買った、貴様もこの商売、長いが、それが本物であろうがなかろうが盗品の売買は犯罪だ。盗品を、隠したり、誰かに売れば、更に罪は重くなり、絵も没収されることぐらいのことは知っているだろう。捕まれば貴様の店は、全て盗品だらけだ、後の半生、刑務所暮らしだ。
 俺が一萬で買い取ってやってもいい、但し、俺から、担当部長に一声掛けてやる。それとも、警察にその絵も、在庫も、貴様の身柄と一緒に没収されるか、どっちを選ぶかは貴様次第だ」
電話を切って暫くしても、耳奥に、成瀬の怒鳴り声が耳鳴りのように残った。骨董屋は、裏の倉庫に入り、山積みされた骨董品を眺めて、
「ちっ、良く云うじゃねえか、たったの一萬だとよ、舐めやがって。己れが持ち込んで来るもの、殆ど盗品じゃねえか、俺が捕まれば一蓮托生、お前だって終わっちまうんだ、覚えてやがれ」
と吐き捨てるように云った。
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