第68話

文字数 2,524文字


            68、
 度部がトンネル内で轢死体となって発見されたことを受けて、次の公判で裁判長は、被告の無罪を言い渡し、そして新たに、殺人容疑者として~島署度部巡査長を認定し、過去公判廷で弁護人側また検察側から提出された証拠品、証言等、特に女子中学生の目撃証言、また当巡査長靴底の裏に付着した石鹸油脂の塊、その靴跡の殺人現場に残されたものとの鑑定照合の結果、一致したことにより、当巡査の有罪は確実であるとした。しかし、新容疑者本人の死亡によって、これ以上公判を開くことが出来ないため、今回事件に対する裁判はこれで終了すると宣した。
 各社新聞は、自供事件裁判で無罪判決を勝ち取った上橋弁護人の大健闘を称える記事を掲載したが、求められたコメントで、上橋は、
「これは全て、国民の、社会正義を熱く希求する声を呼び起こしてくれた記者諸君の、強圧権力への闘争心のお陰であります」
と述べた。

 だが、この突然の幕引きは杉戸には満足出来るものではなかった。腑に落ちないことが多すぎる。
 裁判官は、犯行は全て~島署巡査長の仕業であり、その犯行を隠そうと他人に擦り付けた結果である、と締め括ったが、元の被告への取り調べの違法性、~島署、ひいては警視庁本体の、当事件捜査についての消極性、投げやりな態度について何一つ言及していなかったことに大きな不満をもった。
 今回、その点、裁判長から厳しく追及する言葉があれば、今後の同様事件への警察の取り調べに対して警鐘となり、かなりの影響を及ぼしたかも知れなかったのだ。
 上橋弁護士の、事件後のコメントで、少しは留飲を下げることは出来たが、しかし、肝腎の、新容疑者、度部巡査長の死への疑問も何一つ解明されないまま結審したことで、杉戸は消化不良を起こしたような気分になっていた。
 杉戸の疑問…それは、度部の死が、自死か他殺か?自死なら、遺体肉片に付着した上着のポケットから発見された新聞紙片の、身許確認の手掛かりともなった、自らの逃亡を報じる記事を読んで、これ以上逃げられないと観念したか、と普通なら考えられるが、一人の女への執着心、取材を妨害せんと杉戸の周囲に必ずその姿を見せた偏執性、とても自殺するような人間には見えなかった。
 なら他殺か?誰が度部を殺す?度部に、殺したい程の恨み、憎しみを持つ誰かの仕業、しかしその誰かは、杉戸の、これまでの調査で知る限り、該当する人物は居ないし、何故殺されたのかその理由さえ思い当たらない。
 それに、何故、度部は長野行きの列車に乗っていたのか?実際、何処へ行くつもりだったのか?そして、度部は背中のリュックに、三十萬圓の札束を持っていた、これは間違いなく、吉津祥子から奪い取った三十萬圓、この金を持ちだして何処へ行くつもりだったのか?何か、あの辺り、方面に地縁、血縁、誰か、身を匿ってくれる知り合いでもいたのだろうか?
 人を二人も殺して奪った大金、捕まればその首、吊るされるのは確実、そんな罪を犯してまで奪ったこれだけの大金を持って、ひとは自殺する?有り得ない。あれだけの大金、使い果たして死ぬのなら納得出来る。車に轢かれた犬猫の死体よりも無残に潰された遺体の近くに、そんな大金の入ったリュックが落ちていた光景が、自殺とするには杉戸の頭の中でどうにも合致しなかった。
 他殺?誰かが、度部が大金を背負っていることを知っていた誰かが、度部を走る列車から突き落とした?それも腑に落ちない、大金の入ったリュックが目的なら何故先にリュックを奪い取らなかったのか?リュックは度部と一緒に線路に突き落とされた。



 或る骨董屋が、盗品売買の容疑で逮捕された、と新聞社会面片隅に報じられた。直接の罪は、闇市でやり取りされる鍋カマ程度のガラクタな品物が、誰かの手から誰かの手で盗まれて金に換えられ、それを知った男が、それを返せ、その金を渡せとなって両者が大喧嘩となり、刃傷沙汰になり、生き残った男が逮捕された。その取り調べの最中に、その盗品を買った骨董屋の名前が出て、事情聴取の為、骨董屋が任意で出頭してきた、
 骨董屋の反抗的な態度に取り調べ警察官が反感を持った。警察官は、ガラクタを売った男を伴れて骨董屋の店舗を訪ね、そこに置いてあった品物を男が指差して、
「これです」
と云ったので、骨董屋を逮捕するに至った、と云う。紙面では僅か五、六行程度の記事だった。
が、この詳しいいきさつは、杉戸がこの記事を書いた同僚記者が、社員食堂で他の記者と話しているのを、偶々横で聞いていて知った逮捕当時の様子、だった。
 盗品売買の罪はさほど重くない。ましてや今のご時世、この程度の、人が茶を飲み、飯を食い、糞を垂れるが如きの日常茶飯事の犯罪に一々目くじら立てて取り締まり、逮捕していれば、僅か一日で都内警察署の全留置場は満杯になる。
 この骨董屋に過去に犯歴ばなく、精々、注意して、罰金程度で、済ますつもりでいた警官に、骨董屋が横柄な口をきいたため、穏便にすまそうとした警官が反感を抱くようになった、ためだと記者は笑いながら云った。
 中でも、取り調べ警官を激高させたのは、骨董屋が興奮して云った言葉、だった、
「このオレが、ひとことでもあんたの名前、うちの旦那に告げ口すれば、あんたなんか、明日から磁石にひも付けて、クズ釘拾って闇市で売るしか金、稼げなくなるんだ。さっさとこのオレ、釈放しやがれ」
「あんたの言う、そのお偉い方が誰だか知らねえが、その前に、どうせ、お前の店に置いてあるのは、全部、盗品、だろうが。店に有るもの、全部差し押さえて、商売出来ないようにしてやるから覚悟しとくんだな。それともさっさとそのお偉いさんに、オレの名前告げ口してそのお偉いさんに助けて貰うんだな」
「成瀬先生だよ、どうだ驚いたか?元はお前ら下っ端の、岡っ引きのお頭様だった成瀬先生だよ。先生には先代の時代からずっとご贔屓にして貰ってんだ、こちとらは。てめえら下っ端の出る幕じゃねえや」
意外なところから飛び出して来た、行く末、国会与党の大物議員になると期待される成瀬都議会議員、その名が出て興味を惹かれて杉戸は、同僚記者の話に聞き入っていたのだった。

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