第32話

文字数 1,704文字

               32,
 佐川の元同級生が、声を低くして杉戸に、云う、
「あいつ、佐川の奴、警官と一緒に船に乗り込んできて、夜になって、警官三人とも船酔いで皆な寝転んだ時に、あいつ、便所に行ったんだ、警官付き添いで、手錠かけられたまま、オレと通路で摺れ違った時、オレに、目配せしたんだ、中へ来いって、オレも、知らん顔して後戻りして便所入ったら、あいつ、手錠掛けられた手、被せていた布、口で噛んで取って、あいつ、手の指、オレに見せたんだ、指、全部、関節、のところ、蚯蚓腫れしてたんだ、アイツ、やられたんだ、警官に、拷問、かけられたこと、オレに教えたんだ、両手の指、全部だよ。だけど、顔や腕、見える処には何も無い、オレ、あいつに黙って頷いた、アイツも何度も頷いていた、アイツは、何もしてないの、オレ、その時、やっと判ったんだ、絶対、アイツ、人殺すような奴じゃない、それに、多少拷問掛けられてもネを上げるやつじゃない、なのにあいつ、オレがやった、と自供したって云ってたの、信じられなかったんだ」
「俺、あの日、さ、ここ、来てたんだ、オレ、五時過ぎにここへ来た時は、佐川も居て、あいつら、もうすぐ横須賀の基地に還るって、わいわい騒いでいたけど、オレには分かった、ね、おかみと佐川の奴、意味ありげに目配せしてるのがさ。あ、もう、出来てるな、って。そいで、暫くしたら、アイツ、あの度部、そら、今お客さんが座ってるその席に、アイツいつも、そこに座って、ちびりちびり、聞いたら閉店まで店に居るって云ってたけど、あの日に限って、そうだな、まだ、八時?頃、アイツ、黙ってすっと立って店、出てったんだ、
 珍しいことも有るもんだって、皆びっくりしてアイツ、店出るの見送ってた、よ。その後、アイツの悪口、皆で云い合って」
杉戸は、年配の男に訊いた、
「佐川さんは、店に何時頃まで、いたのですか?」
「明日は祭りなんで店は早仕舞いして、それで十時頃、ぐらいだったかな、店閉めて、で佐川も皆と一緒に帰って行った、みたいだけど、途中で、居なくなったって、云ってるの聞いたよ」
 杉戸は重要な事実を教えられた。
佐川の自供は、やはり拷問の結果、だったのだ。両手の指全て、関節捩じ曲げられて蚯蚓腫れしていた、と云う。
 顔を殴ったり、腕を折れば、その傷、痣で自白は拷問の結果であると誰の眼にも瞭らかとなる。今は警察の旧態依然とした捜査方法への国民の批判が高まり、厳しく監視されるようになっている。だが指への痛め付けなら、人前に連れて出る時には、手錠の上に布を掛けて包む習慣がある、いざ、警視庁本庁移送となってもひとの目に触れる恐れはない。
 それに、犯行時間について杉戸には確定出来ていなかったが、二人が同時に刺殺されたのか、それともその時間に時差があったのか、杉戸の疑問に、年配男が重要な証言をしてくれたのだ、
警官度部は、当日「キツネ」開店と同時に、少なくとも五時過ぎ以前には店に来ていた、
 そして当夜、度部は、何故か、その日に限って八時頃に「キツネ」から出て行った、と云う。店に居た客、全員が、珍しく早い退出に驚きながら見送った。
 そして店は十時頃閉まり、佐川もみんなと一緒に出たが、途中で姿を消した。
吉津祥子と佐川が、その夜の逢瀬を、二人だけの意味ありげな目配せを交わしていたのを年配男は見ている。帰路、途中、皆から離れて佐川はその後何処へ行く?当然、吉津祥子の待つ家へ。
しかし、その時間には、先に店を出た度部が、七時か八時以降に、野地辰男に襲い掛かり、野地は腹を刺されて息絶えている。
 吉津祥子が片付けなど終えて店を出て、家に帰りついたのは、十時半か十一時頃か、家に入るなり吉津祥子は襲われたに違いない。
 度部も、佐川と吉津祥子の、意味ありげに目配せを交わすのを見て、今夜の襲撃を決意して店を出たのだ。
 度部は吉津祥子の後を追って、佐川が来るのを確信して待っていた。その佐川に全ての罪を被せるために、吉津祥子を全裸にして佐川に暴行されたように見せかけた。当然、三十萬の金は、野地から奪い取り度部は何処かに隠した、それだけの時間的余裕はあった。
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