第61話

文字数 1,646文字

             61,
 裁判長は、女子中学生が母親と一緒に廷外に出たのを確認すると、思い出したように、検察官に、尋ねた、
「前回、調査して、回答します、と約束した、度部巡査長が事件当時着ていた制服の件はどうなっていますか」
検察官は、平たい紙箱を足元から取り出して、裁判長に渡した、
「参考人から~島署に事件直後、直接提出されておりました制服です。洗濯はしておりません、被告とぶつかった時に被告の服から移された血がそのまま制服に残っています」
 裁判長が警察官の制服を、箱から出して皆に見せるように広げる、ズボン、上着とも、黒い染みが付着している。明らかに血痕だと判る。
裁判長が上着を広げ、表側、背中側と回し、上下に、埃を払うように振った時、上着の胸ポケットから、小さな紙箱のようなものが零れ落ちた。
 裁判長が、拾って皆に見せる、握り潰されたようにぐしゃっとなっているが、濃紺の、小箱、それに金文字、愛煙家にはショートピースだとすぐ判った、
傍聴席の杉戸は、あ、と声を漏らしそうになった、そして被告席に座る佐川も同時に、杉戸の方を振り向いた。
 杉戸は、第三回公判で、佐川が、野地辰男のことを知っているかと尋ねられた時の回答を思い出した、
(おかみさんが、時々、「キツネ」で飲んでいる男のことを、あいつ、借金取りなんよ、と云っていたのを聞いていますが、もしあの、いつもショーピー吸ってる男が野地辰男だと云うのなら、見たことはありますが…)
と答えていたのだ。
 同時に杉戸は~島の雑貨店の女店主の話も思い出した、
(そうしたら、あの、度部、さんて云うんですか、大手柄立てたお巡りさん、店に来て、氷で冷やした何か冷てえもの、サイダーでもないかって入って来て、偶に、ね、店来て、タバコ、しんせい、買ってくれるんだけど、さ、こんなこと云っちゃなんだけど、何んとなく薄っ気味悪くてさ…)
そして、杉戸は、「キツネ」で佐川の同級生が云った話も思い出した、
(あいつ、な、あそこに巣でも作った鴉みたいに、ひとが、誰かがあの近くに来たら、今度もどうせ、あの自転車に乗って来たんだろ?ああして、近寄らないよう警告しに、何処かから現れるって話、だよな、一日中、見張ってんじゃねえか、あそこで、いつものしんせい吸って、さ)
 警官度部は吸っていた煙草はいつも「しんせい」だった、だが杉戸の制服のポケットからショートピースの箱が出て来た、杉戸は咄嗟に直感した、このショートピースは野地辰男のもの?
野地を殺したあと、一服したくなった度部、しかし煙草を切らしていた度部は男からショートピースを奪った、それを習慣的に、無意識に制服のポケットに入れたのだ、
 杉戸もたばこを吸う、偶に切らした時、友人から煙草を貰う、そしてそのまま無意識にその箱を自分のポケットに入れて、友人に怒られる時が有る。
 杉戸も「しんせい」を好む、「ショートピース」は吸わない、値段も違うが、先ずその味が違う、杉戸には馴染めない、「しんせい」愛好者の殆どが同じことを云う。度部にしても同じに違いない。このショートピースは間違いなく野地辰男のものだ。
 これは何を意味する?被告席に座る佐川が傍聴席の杉戸を振り向き、つられて上橋も杉戸を見た、上橋は頷くと、
「裁判長、事件現場の遺留品の明細は実況見分調書に添付されていましたが、そこに、このショートピース、記録されていましたか?」
裁判長は、手元の調書をめくり、そこに遺留品記録を見つけ、暫く品目を目で追っているようだったが、
「被害者野地辰男の物と思われる鞄に、三個、未開封の箱が記載されています、それに、灰皿にも、ショートピースの吸い殻が、溢れていた、と記録されています」
「裁判長、度部警官は、普段は「しんせい」を吸っている、ようですが、たばこ、偶々切らして、野地辰男が持っていた煙草を箱ごと取ったんですかね」
検察官が立ち上がって云った、
「裁判長、いつも「しんせい」吸っている男が、別の銘柄、吸ってはいけないんでしょうか」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み