第１９話

　　　　　　　　１９，
　１週間後。成瀬の都議選当選が開票即確実となり、事務所内は勿論、事務所の前も、当選を祝って多くのひとが駆け付けてごった返し、事務所に設けた数台の電話も成りっ放しの状態だった。　
　交わす祝い酒で顔を真っ赤にした成瀬は、選挙スタッフから、何故かそのスタッフは場にそぐわぬ神妙な顔つきで、成瀬に受話器を渡した。
　成瀬は、まさか、と直感した、祝辞の電話なら、スタッフらが成瀬の代わりに謝意を述べて、次々と電話を受けている。成瀬が電話に出る必要はなかった。
　だが、このスタッフは何故か深刻な表情で受話器を渡した。余程大事な用件に違いない。成瀬が直接電話に出なければならない程の緊急の用件、それはたった一つ、以来音沙汰の無い、～島の殺人事件の捜査状況についての報告しかなかった。
　開票結果が逐次ラジオから発表され、早々に当選確実となり、それを祝して湧きかえっているだろう事務所にわざわざ成瀬を呼び出して、直接伝えなければならない用件、それは、度部が掴まえた男の、犯行認否…
　成瀬はもしや、と思い、一瞬に表情が換わり、そして電話に出た、警視庁本部捜査一課一係長、成瀬の元部下、吉村から、だった。
　吉村は、耳に聞こえる電話口の賑やかさを聞き取って、
「済みません、部長、お忙しいところ、申し訳ありません」
普通なら、真っ先に祝意を述べる筈が、済みません、と恐縮して始まった電話に成瀬はやはり嫌な予感が当たったか、と目を閉じて、次の言葉を待った、
「～署からたった今電報が届きましたので、読み上げます、
（ヒギ　シャ　ハンコー　ジ　キョウセリ　～ヒ　ミガ　ラレンコウス）
発信人は、～島署署長並木、であります」
　成瀬は、首の根っこの辺りで詰まっていた血が、栓が取れたように一気に流れ、体中に血が流れ、凝り固まった筋肉や神経が解れていくのを実感出来た。
　ふうっと体の緊張が抜けた、一気に酔いが回ってきた、成瀬は初めてスタッフたちに、
「皆さん、ありがとう、ほんとうによくやってくれた、ありがとう」
と声を掛け、肩を抱き合い、背中を叩き合って心底勝利を祝った。


　当選後の数多くの行事を毎日、分刻みでこなして成瀬は疲れ果てていた。だが布団に入っても、心も体も、興奮し切っているせいかなかなか寝付かれなかった。軽く酒を飲み、じわじわと眠気が訪れるのを待ってようやく眠りにつく。しかしほんの小一時間も眠れば目が覚める。
　今も夜中にふと目が覚め、眠れぬまま天井を見上げていた成瀬の脳裏に、捜査一係宛、発信人～島署署長からの電文が思い出された、確か、こうだった、
（ヒギ　シャ　ハンコー　ジ　キョウセリ　～ヒ　ミガ　ラレンコウス）
成瀬は不意に或ることに気が付いて、眠気は一気に醒めた、
「ジ　キョウセリ」
セリ、などと云う云い方に、成瀬は“異”を感じたのだった。今頃、「～セリ」などと軍隊
口調を誰かが使うのを聞いたことがない。発信人は～島署署長名と成っているが、成瀬は真っ先に、これは度部が作文し、発信したものだと確信した。
　そして発信者を度部だと当て嵌めて電文を読んでみると、電文内容が全く別の意味に解
釈出来ることに気が付いた、
「～ヒ、ミガ　ラレンコウス」
の部分は、正しく成瀬に宛てた電文、であることが判る、
「ミガ　ラレンコウス」
身柄連行するとは、度部が自ら男を連れて、東京に来る、と成瀬に伝えているのだ。
奴が、度部が東京に来る？
成瀬は全文をこう解釈した、
「～日の便で犯人を連行して東京へ行く、ついでに先に頼んでおいた金、受取に行く、
必ず用意頼む」
そう読めた。いやそうとしか読めなかった。
（あいつ、どういうつもりだ、所帯持つから用意せよと云っていた金、その所帯持つつもりだった女が死ねば、３０萬圓もの大金はもう要らないだろうに…）
事件報道を新聞で見た時、成瀬は、真っ先に全て度部の自作自演を疑い、女と男を殺したのは度部だと確信した。
　その時、成瀬は同時に、前に度部から頼まれ、すぐには用意出来ない、この次来た時に渡す、と答えて取り敢えず度部を納得させていたが、この事件発生時点でその必要はもう無くなったと思い込み、３０萬の金を工面しなければならないことをきれいに忘れてしまっていた。
　何故、今更、金が要る？成瀬は思い当たった、
（奴は、もしかして、この金を持ってそのまま、逃げるつもりじゃないのか…?）
で、奴は、いつ東京へ来るって云うんだ？
「～ヒ」
～日とは、２日後、じゃないか？
　２日後？実質僅か明日１日しか余裕がない。たった１日で３０萬もの大金、用意出来る訳がない。第一、秘蔵する宝物は、蔵してこそ値打ちもの、売りに出せば足元見られ、忽ち叩かれ、下手すれば二束三文、ましてそれを現金に換えるには、そこそこ日にちが掛かる。何をどうしようが、間に合う筈が無い。