第70話

文字数 1,511文字

          70、
 杉戸は、度部巡査長は殺された、と確信する。
では何故殺された?度部は裁判所から出頭命令を受けた直後に姿を晦ました。出廷すれば己の犯行が明かされ、判決は間違いなく死刑。逃げて当然である。だが、~島署は、いや警視庁はその身柄を厳重な監視下に置くことすらしなかった。~島からの船から降り、迎えの車に乗る途中、腹の具合が悪いと、埠頭待合所内の便所に戻った、そのまま行方知れず。手錠も掛けていなかった。明らかに怠慢である。いや、まるで初めからそうするよう決めていたような流れではないか。その非を責めるべき公判はそそくさと終了されてしまった。
 度部の逃亡の裏に何か意図が、度部が捕まっては誰かに不都合な事実が露見する恐れがあったのではないか? 
では誰が度部を殺した?度部が逮捕されては困る立場の人物、ということになる。果たしてその人物とは…そして度部に喋られては困ることとはいったい何だ…?
しかし杉戸には何を考えようにも何一つ手掛かりがない、本人に聞こうにも、もう本人には喋る口も、身振り手振りする手も無い。どうにも手を付けれられない。思う壺だ…
 杉戸は大きく溜め息をつく。


 男は、闇市の、ホルモン焼き屋台で知り合った僑朋が帰って来るのを待っていた。いつまで待ってもその姿はない、僑朋は、
「骨董屋なら宛が有るよ。任しなよ、話を付けて明日には、金に換えて戻ってくるさ」
僑朋は、見るからに好いひとに見えた、有るだけの金で焼酎を飲ませてやった。僑朋は男を自分の家だと云って泊まらせた、昼頃になって僑朋は、掛け軸を新聞紙で巻いて、それを手に家を出て行った。
 家には他には誰も居なかった。水も、火も無い、まるで空き家のようだった。男は、後悔した、何故、自分も一緒に行かなかったのか、と。懐の金の不足が、男に同行を躊躇わせた。
僑朋は、しかし幾ら待っても戻って来なかった。他の闇市も、男の姿を求めて連夜歩くが見つからなかった、誰かに訊こうにも、言葉が通じなかった。
 男は、闇市の、ゴミ捨て場で、食い物を掘り返して探していた、破れた新聞に、大書した「度部」の二文字が読めた、記事の漢字の部分だけ読んだ、
「~月~日、逃亡中、~島署巡査度部、轢断死、発見」
男は、手を震わせてその記事を何度も読み返した。そして、奴が、度部が列車から落ちて車輪と軌道に巻き込まれて、ただの肉片骨片となってしまったことを知った。
 男は天を仰ぎ、そして手を合わせ、
「엄마」
と子供の頃のように母を呼んだ。そして座り込んで、途方に暮れた。
男はふと思い出した、それは上野駅構内で、公衆電話の順番を待って行列に並んでいた時のこと、だった。男は横を通り過ぎる度部の顔を見た。そして後をつけ、度部の乗り込んだ列車に、それが何処行きかも分からぬまま男も乗り込んだ。
 牛々詰めの車内、男は、椅子席に座った度部の頭から目を離さなかった。その度部が突然席を立ち、通路の客を怒鳴りつけながら圧し退けて、車両後部へと移動して行った。男は後をつけようにも、通路を岩のように立ち塞ぐ客に圧されて一歩も進めなかった。
 列車が駅で停車する度、男は、自分も下りて降車客の顔を、そして背中の背嚢を探したが、見  
つからなかった。そして終着駅でも奴の姿は無かった。
 新聞記事読めば、度部は列車から、幾つ目かのトンネルの中を疾走中に、列車から飛び降りた、ことになる…?
 奴が、あの血も涙もないあの男が、自殺?そんな筈はない、有り得ない。奴は追われていた、ひとの目に触れないよう逃げていた、そう思っていた。奴が、自分から死のうと飛び降りる筈がない。
 ふと、男の脳裏に、或る光景が、泛んで見えた。
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