この国は、病弱な女王が善政をしいていることで有名な国でした。
ただ、世間に出回っている評判というものは、得てして脚色や曲解、建前であることも少なくないもので。
先述したこの国に関する評判も、その例に漏れるものではありませんでした。
もっとも、その評判の全てが嘘であるかと言えば、そんなこともありません。
なぜなら、良くも悪くも、その話のどこかに本当のことが含まれていなければ広く知れ渡ることはないからです。
この国をそう評しているという話が、この世界の割と広い範囲に知れ渡っていることは本当のことです。
この国の君主である女王が、善政と呼べる治世を行っていることも事実です。
実際と異なる部分があるとすれば。
それは、その女王が病弱であるという点でした。
確かに、彼女は予定されていた会談などに姿を現さないことが多い人でした。
そして、それらの予定や約束を反故にした理由としては、病気で外に出られる体調ではなかったとしてしまうのが一番波風が立たない、聞こえのいいものだったでしょう。
だから、彼女の周囲にいる人たちが欠席の理由が病気にあるという説明を繰り返し。
その結果として、サンドリム王国の現女王は病弱である、という話が広まっていったというわけです。
では、彼女がそれらの予定を放棄した本当の理由とはいったい何だったのかと言うと――これが意外としょーもない理由でして。
――雑務に飽きたので旅に出ます。探さないで下さい。
――また女王様が執務室から失踪したぞ!
急いで捜索隊を結成して探し出せ!!
執務の様子を見に来たその他大勢の臣下が叫びだした通り、彼女が大変飽きっぽくて気分屋だったからなのでした。
まぁその書置きが、本来なら大量の書類を処理する姿があるべき場所に突き立つ大きな立て札だったり。
その立て札にでかでかとした文字で豪快に、まるでそういう作品であるかのようなバランスで文章を書いていたりするあたり、失踪することで起こる騒ぎそのものを楽しんでいる可能性も十二分にありましたが。
いずれにしても、一国の君主としてふさわしくない振る舞いであることは確かでしょう。
しかし、それでもこの国の人間たちは――臣下だけでなく国民も含めて――彼女を君主として王座に据え続けています。
国と国との間でもたれる外交の約束すら放棄する彼女は、普通なら見限られていてもおかしくないはずですが、彼らはそれが出来ませんでした。
気分屋で失踪癖がある点を除けば、彼女が行う選択と決定が国益に適うものであったからという理由もあったのでしょうが。
それは小さな理由のひとつでしかありません。
彼らが彼女を王と認め続ける最も大きな理由は、至極単純なものでした。
それは――彼女がこの国と真正面から戦争をしても勝利し得るほどの、非常に強い個人であったからに他なりません。
彼女がこの国に肩入れをしているという事実が外敵から侵略されない理由となっていることを国民の誰もが理解しているから、誰も彼女を王座から蹴落とそうとはしないのです。
もっとも、この状況が成り立っているのは、それらの事実を誰もが理解できる頭を持つための教育制度などが整っているからこそであり――結局は彼女の手腕が確かであったからそんな蛮行が認められているとも言えるのですけども。
それはさておき。
実は彼女が失踪しようと国の政治や経済は回るように制度は出来上がっていたりするのですが、それはそれこれはこれ。
仮にも彼女は国の頭なのですから。そんな人が不在になっている状況を放置できるほど、彼らの肝は太くないのです。
――いいか諸君!
女王がこの城を出てからそう時間は経っていないものと思われるが。
あの人は我らとは規格が違うのだ。油断するな。
迅速に情報を伝達し、可能な限り広い範囲をあたるように心がけよ!
臣下の人が大声をあげて彼女の不在を知らせ。
その情報が出回ってすぐに召集された捜索隊の人たちは、捜索隊の長が発した鼓舞の言葉に、その決意を示すようにおうと大声で応じてから散開するのでした。
そして、王城でそんな状況になっているのなんて知ったこっちゃないという、件の彼女がどうしているのかと言うと。
王城からひとつかふたつ離れた街の一角にある、おいしいと評判の食事処でもひもひと食事を摂っていました。
ただ、彼女が座るテーブルにはもう一人の姿があって。そんな彼女に呆れるべきか、非難する言葉をかけるべきか迷っているような表情を浮かべています。
彼女は目の前に座る彼の表情に気付くと、口に含んでいたものを飲み込んでから言います。
……これは私のだからね。
あげないわよ? 食べたいなら自分の金で注文しなさい。
いつも思うんだけど、あんたの目にはどんなもんが見えてんの!?
俺の顔を見たら、そんなこと考えてるわけじゃないってわかるだろ!
もー、うるさいわねぇ。
はいはい、私が悪い私が悪い。
サボった私が全部悪いって言いたいんでしょうが。わかってるわよ。
言いたいことがわかってるなら、帰ろうぜ?
絶対に、今騒ぎになってるから。
向こう三ヶ月は私が居なくたって平気でしょう。
せいぜい、いくつかの話がご破談になるくらいよ。
その程度で滅ぶなら滅べばいいじゃない。
――私には財産があるからどうとでもなるわ。
そんな会話をしている二人のところに、店主がやって来て料理を持ってきます。
その店主もこの国の民である以上、女王である彼女の顔を知っているはずでしたが。
特に彼女に何かを言うでもなく、黙って料金を受け取るとその場を離れてしまいました。まぁ、触らぬ神になんとやらというやつなので仕方ありません。
彼女は店主にお礼を言うと、再び目の前に置かれた料理に手を伸ばします。
そんな彼女の様子を見て、彼は何もかもを諦めるような溜め息を吐いて言います。
……いつか後ろから刺されるぜ、そんな生き方してるとさぁ。
当たり前だろ。あんたが死んだら、こっちも死んじまうんだ。
あんたの命は俺の命、みたいなもんなんだから。気にして当然だろ。
……逆は違うけどな。
ふふ、そうね。あの夜からずっと、そうだものね。
――まぁ、安心なさいな。
怒らせると怖い人たちは刺激してないはずだし、当分は大丈夫よ。
……あんたは本当に、悪いところだけあのおっさんに似てるよ。
へえ、それは嬉しい評価ね。私が目指してるのは、そこだもの。
……もっとも、まだまだ届かない場所ではあるけれどね。
彼女はそう言って溜め息を吐き。
彼がそんな彼女を、ダメだこいつもうどうにもならない、という目で見ていると。
にわかにお店の外が騒がしくなってきて――やがて誰かが飛び込むように店の中に入ってきて叫びだします。
――ここに居ましたか、リリム様!
まだ執務が残っているのです、そう何度も失踪されては困ります!
名前を呼ばれた彼女――かつてちいひめちゃんと呼ばれ、今はもうリリムさんと呼ぶべき年齢となった女性は、かけられた言葉にあらと驚いたような表情を浮かべます。
今回は思ったより早く見つかっちゃったわね。何でかしら。
……ここはそこそこ有名な店だし。すぐに通報されたんでねーの?
あんたの失踪癖はみんなが知ってることだし。
……やっぱり隠れ家的なところを探してから出ないとダメねぇ。
反省するところはそこかい。好きにすりゃいいけど。
……大人しく帰る選択肢は?
まだもうちょい回りたいところがあるから却下。
――というわけで。仕事をしなさいな、用心棒さん。
リリムさんの言葉を聞いて、この店に駆け込んできた兵士達は一斉に身構えます。
元刺客の人であり現用心棒である彼は、やる気のなさが丸わかりの頷きを返してから立ち上がって言います。
……まぁ命令とあれば従いますけどね。それしかできんし。
とは言え、今のあんたなら俺が動かなくてもいいんじゃねえの?
えー、だってまだ食事終わってないし。
相手するの面倒くさいんだもんよ。
それが許されるほど強いから、みんなそこを目指すのよ。
――あなただってそうだったでしょう? 彼に会うまではね。
私ももう少し強くなれればねぇ。
……あ、あんまり埃は立てないでちょうだいよ。食事中だし。
無茶苦茶言うんじゃねえよ! そんなのできるかバーカ!!
そう言って、現用心棒の彼は兵士達の方へと向かっていきます。
そうして始まった騒ぎを他所に、リリムさんは中断されてしまっていた食事を再開しました。
……うーん、おいしい。来た甲斐があったというものね。
これを食べ終わったらー、次はー、甘いものが食べたいかなー。
どこに行こうかしら。
そして、まるで何事も起きていないかのように食事を続けながら、ああでもないこうでもないと呟きながらこれから先の予定を考えるのでした。