サイキョウさん、リリムちゃんの追手を追い返す 2
文字数 4,481文字
居間の壁を壊して押し入ってきた数人の人影を見て、リリムちゃんは最初こそ驚いたものの――その直後に、思わずそんなことを叫びながら椅子から立ち上がりました。
家に侵入してきた追手たちは、リリムちゃんのそんな喚き声の大きさに驚いた後で、その叫び声の内容に対して戸惑うように動きを止めました。
彼らはリリムちゃんに存在を悟られるような真似はしていなかったと思っていたからです。
事実、彼らの行動でリリムちゃんに悟られる可能性のある行動はありませんでした。
リリムちゃんが半ばこの展開を予想できたのは、サイキョウさんの振る舞いのせいであって彼らのせいではないのですが――彼らにそんなことがわかるはずもありません。
だから、リリムちゃんの言葉に戸惑って身動きが止まってしまったのは自然なことでした。
彼らが戸惑っている様子を認めたリリムちゃん。叫んでる場合じゃなかったと我に返り、ひとまず居間から玄関に――サイキョウさんの居る方へと向かうべく動き出します。
リリムちゃんの行動を見て、遅れて我に帰った追手の誰かが声をあげ、声に反応した一人がリリムちゃんに追いつきました。
その追手は、逃げようとするリリムちゃんの腕を掴んでしまいました。
追手に捕まってしまったリリムちゃんがそんなことを言いながら逃れようと必死に抵抗していると、その足が追手の脛に思い切り当たります。
そうでなくても手などに攻撃されて――それがたとえ大した痛みがなかったとしても――気が立っていたその追手は、脛を蹴られた痛みに激昂して、
リリムちゃんに思わず手を上げてしまいました。
しかし、リリムちゃんは殴られた頬を押さえながら、涙目になりながら――それでも抵抗を続けます。
そんな生意気な態度を取られては、激昂した追手の気は収まりません。また殴りかからんとその拳を振り上げます。
その様子を見て、周囲の追手は流石にまずいと思ってか、止めに入ろうと動き始めましたが――すでに動き出した拳よりも早く動ける人間は追手の中にはいませんでした。
リリムちゃんはいくら気丈に振舞っても女の子です。
再び迫ろうとする拳につい先ほど味わった痛みを思い出して、思わずぎゅっと目を瞑って身構えます。
そして、その拳がまさにリリムちゃんに当たろうとしたそのときです。
サイキョウさんの声が居間に響きました。
リリムちゃんに向かっていた拳が、その直前で止まりました。
それは予想外の闖入者が発した声に驚いたから、という理由もあったかもしれません。
しかし、それだけでは無かったでしょう。
サイキョウさんは居間の状況を一瞥した後で、リリムちゃんを見ました。
そして、リリムちゃんの赤くなった頬と涙目になった顔を見て――不機嫌そうに顔をしかめました。
その声音は先ほどよりも更に低く――そこに篭められた感情はあまりにも剣呑で。
詰問されているわけじゃないと理解しているリリムちゃんですら、思わず呻き声をあげてしまうほどです。
その矛先となっている、リリムちゃんを捕まえた追手の一人が感じている恐怖はいかほどか。
――そう、その追手が思わず拳を止めたのは。
それ以上動けば死ぬと直感できたからに他なりません。
リリムちゃんを捕まえたまま、その追手はサイキョウさんを見ます。
サイキョウさんは、見た目はどこにでもいる普通のおっさんです。多少痩せているように見える、普通の人にしか見えません。
そして、追手たちはやっていることがろくでもないことからわかるように、堅気の人間ではありません。彼らは彼らなりに修羅場を抜けてきた自負があり――特に、リリムちゃんを捕まえているこの追手は、今は自分のほうが有利なんだと、直感を否定したようです。
その追手は、腕だけを捕まえていたリリムちゃんの体を抱えて捕らえ直すと、周囲で固まったままの仲間に言います。
サイキョウさんは目の前で揉める彼らを見て溜息を吐きます。
サイキョウさんはそう考えてリリムちゃんの方へと近寄ろうと動き出し、
サイキョウさんの動きを見咎めた追手がリリムちゃんへと凶器を向けようとして――それは叶いませんでした。
当たり前です。
普通の人間は。
頭から上が無くなってしまえば、話すことも動くこともできないのですから。
サイキョウさん以外の誰もが目の前で起こった出来事に理解が追いつかない間にも、変化は続きます。
頭を失った体は身を支える力が無くなります。
支える力のないものはバランスを崩せば倒れます。
――リリムちゃんを捕らえていた追手の体は、力を失って、リリムちゃんの体を巻き込みながら倒れ始めます。
その段になってはじめて、現実に理解が追いついたリリムちゃんは叫びます。
誰だって死体に迫られれば嫌悪感で叫びたくもなるでしょう。
サイキョウさんはリリムちゃんの叫び声に顔をしかめながら、倒れ掛かった追手の体を支えます。
そして、リリムちゃんを解放してやると、忌々しげに舌打ちしながらそれを蹴り倒しました。
大きな音を立てて居間を転がったそれを一瞥した後で、サイキョウさんはリリムちゃんの様子を伺いまます。
リリムちゃんはサイキョウさんの行動に何も言いませんでした。――いえ、言えなかったのでしょう。
取り乱したり叫びだしたりしていないだけで、視線は定まらず、体も震えています。恐慌状態になっているようでした。
サイキョウさんは胸中でそう結論付けると、リリムちゃんの目を蓋うように掌をかざして何事かを呟きます。
すると、リリムちゃんはふらりと体から力を抜いて瞼を閉じ、サイキョウさんの方へと倒れこみます。
規則正しい寝息を立てているところをみると、リリムちゃんは眠ってしまったようです。
サイキョウさんはやれやれと溜息を吐いた後でリリムちゃんの体を丁寧に抱き上げると、まだ無事だった椅子を手近に引き寄せて、そこに座らせました。
サイキョウさんがリリムちゃんの体が椅子から落ちないようにうまく位置を調整して、その成果に満足して頷いたタイミングで、玄関から居間へと追いついてきた追手の一人が声をあげました。
サイキョウさんはそう言って、居間に駆け込んできた追手の集団を見て笑います。
つい先ほどここで起こった出来事を体験し、サイキョウさんの異常さの一端を理解している人間は、口を開けず固まっています。
何も知らない、今ここにやってきた人間だけが現状を理解できずに喚き続けます。
その様子を傍目に、サイキョウさんは無事に残っているもうひとつの椅子を引っ張ってきてリリムちゃんの横に並べると、座った後で追手の集団に話しかけます。
そして頭のない死体がひとつ増えました。
何をどうやったのか、追手たちには誰一人として理解できませんでした。
この事実に、先ほどから居間にいた人間はサイキョウさんの異常さを再確認し、今到着した人間は現状を理解して戦慄します。
押し黙った集団を見て、サイキョウさんは鼻で笑ってから言います。
サイキョウさんの言葉に、応じる動きはありませんでした。
リリムちゃんを追ってきた集団は、彼一人を前に、誰も何も言えません。
彼らだって、死にたくは無いのです。
たとえ、自分たちが殺すつもりで来ていたとしても――殺される可能性が見えれば誰だって怯みます。それが得体の知れない、敵う見込みの無い相手であれば尚更です。
押し黙る彼らを一瞥した後で、サイキョウさんはにまにまと意地の悪い笑みを浮かべて言います。
そう言って、サイキョウさんは床に転がった死体に視線を移します。
サイキョウさんの言葉を聞き、視線の先にある物を見て、追手の集団は一様に顔を強張らせました。 サイキョウさんはその反応を満足げに眺めた後で、続けます。
死人に口なしとは言うが、それはあくまで一般的に、死体から情報を得る術を持っている人間がほぼ居ないからってだけでな。世の中にはそういう技術が確かにある。まぁ、俺には使えないんだがな。それが使えるやつにアテはあるんだ。
つまり、お前らが今生きているのは、俺が提供できる精一杯の親切心と良心の賜物ってわけよ。
言い換えれば、彼らはサイキョウさんの気紛れによって生かされているに過ぎないと、そういう話でもあります。
この場で生き残っている人間で、サイキョウさんの言葉に篭められた意味に気付かなかったのは、今も椅子の上で眠っているリリムちゃんくらいのものでしょう。
表現しがたい表情に歪んだ目の前の集団を見て、
サイキョウさんは目が笑ってない笑みを浮かべてそう宣言しました。