第21話

文字数 1,954文字


 久しぶりに、公恵に会いたい――むしょうに、そうわたしは思った。
 会って、いま、わたしが悩んでる事を相談したい。公恵なら、それを優しく笑いながら、うんうん、とうなずいて聞いてくれる。その後で、何か気の利いたアドバイスの一つでも、きっと、してくれるはず。
 そうすればいいのよ――というより、どうして、これまで、そうしてこなかったのか。そのうかつさに、思わずわたしは自己嫌悪を覚える。
 うん、わかった、と二つ返事でうなずけばいい。公恵に会って、心にくすぶっているわだかまりのすべてを、思い切りぶつければいいんだ。そうすれば――。
 ボーン――ふいに柱時計が、耳の奥というより心のどこかで低温の響きを轟かせる。
 そうはいかないよと、意地悪く、警告を告げるように。
「大事な話があるんだ……だから、あすの夜、会いたいんだ」
 どこかで、周の声がした、ような気がする。
 それで、わたしは思わず、躊躇してしまう。
 勘のいい公恵だった。だとしたら、この沈黙の意味を察してくれてもよさそうなものだ。
「あ、そっか。あすの夜は、周くんとデートかぁ……」
 そんなふうに。
 デート……。そのことばの響きにふいに、胸が鈍くうずく。
 ただ、会っているだけで幸せだと思えた、あのかけがえのない時間。
 そんな時間のなかで、お互いが無邪気におしゃべりに夢中になれた、あのいとおしい季節。
 わたしはあの頃、間違いなく、幸せだった。でもいまは……。
 
 どうしよう……。
 ためらいながら、わたしは口をつぐんでいた。
 その沈黙で、いまのわたしの心情を察してくれたらいいのに――相変わらず、わたしは自分に都合よく思っている。
 でもこんやの公恵は、いつもの彼女とどこかちがっていた。
 めずらしく、彼女も口をつぐんで、何も言ってはくれなかったからだ。
 いつもの彼女なら、わたしの思いを忖度してくれて、「そう。それじゃあ、仕方ないね。また今度にするかな」とあっさりうなずいてくれる。
 けれど、こんやの公恵にはいつもの、あの鉄火な姐御らしい雰囲気はなくて、むしろ、空気を読むのが苦手なわたしのほうが、彼女に何かのっぴきならない事態が起きてるんじゃないだろうか、と気をもんでしまう。
 どうしたの、公恵?
 わたしは訝りながらも、彼女の様子を伺うような口ぶりで言ってみる。
「まだ、周から電話はないの。だから、あしたデートになるかどうか、はっきりきまってるわけじゃないんだ」
「そう……」
 やっぱり、どこかおかしい。
 いつもの公恵なら、わたしが煮え切らない態度をとっても、我慢強く、次の言葉を待って、それから、何か気の利いたことばをかけてくれる。
 でもこんやは、その立場が逆転していた。わたしの方が、我慢強く、公恵の次の言葉を待っていたのだから。
 それでも、やがてようやっと、ことばを絞り出すようにして、公恵がつぶやいた。
「……だったらさあ、周くんとのデートは、次の日の日曜日にしてくれない。明日はとにかく、うちの実家に来てほしいんだ。いいよね、真美」
 いつも、強引な公恵だった。でもこんやの彼女は、それ以上だった。
 やっぱり、何かのっぴきならない事態が生じているんだわ――。
 それが、気になって仕方なかった。そしてそれより何より、周からの電話が気になって仕方なかった。
 
 それでも、まあ、とわたしはしばらく考えたあとに、ようやく踏ん切りをつける。
 自分の悩み事は、いったんうっちゃっておいてもいいかなあ、と思って。
 めずらしく、こうして、自分から結論を出しているのも、たぶんそれは、公恵のこれまでの恩に報いようという良心が自分を強く突き動かしているのだろう。
「わかったわ、行くわ」
 だから、わたしはうなづく。
「そう、良かった……」
 電話の向こう側で公恵がほっと胸をなでおろし微笑んでいるのが、目に見えるわけでもないのに、なぜかわたしには手に取るようわかった。
 それで、わたしの頬も思わず、ゆるむ。
 それなのに……。
「じゃあ、七時よ。あ、そうだ。遅れないでよね。真美はいつも、待ち合わせの時間に遅れるんだから、わかった」
 そ、そんなあ……。
 やれやれ、とわたしはため息をつく。もはや、いつもの公恵に戻っていたのだから。
 いままで心配していたのがバカみたいじゃない、とわたしは思って、唇をとがらせる。
 こうなったら――うなづいたわたしは、胸の中でくすぶっていたわだかまりを、ことばに力をこめてぶつけてみる。
「ねえ、公恵、何か実家で起きてるんだよね? だって、こんやの公恵、どこか変だもの。ねえ、いったい、何が起きてるというのよ、公恵?」
 そんなふうに、わたしが心配しているというのに……。
「……とにかく、あしたね、バイバイ」
 そう言って、公恵は、さっさと電話を切っていた。


つづく
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