第11話
文字数 1,389文字
昨年の秋の風景のつづき――
絵画館前の空き地には、全国各地から集まった味自慢ので店が軒を連ねていた。
それぞれの前に長蛇の列が出来ていて、けっこうな賑わいを見せている。空き地に一歩足を踏み入れると、あちらこちらからいい匂いが漂ってきて、ことさら食指が動く。
「何か食べようよ」
どうも、それは周も同じだったらしい。同時に、二人の言葉が重なった。
「ぷっ」
思わず、二人で顔を見合わせて吹き出してしまった。
「何にする?」
「何にしようか」
改めて、場内を見回した。
思わずわたしは「あ」と声をあげていた。
なぜかというと、『広島風お好み焼き』という看板が目に入ったからだ。
わたしは、広島のお好み焼きには、ちょっとうるさい。
実はわたしの実家は広島県の隣なんだけれど、わが町のお好み焼きも本場の味に劣らないくらい実に美味で、わたしはそこで十分舌を鍛えられている。
どれ、ちょっと覗いてみるとしますか――そう、思い立ったわたしは「周、こっち」と彼の手を強引に引っ張り、そのお店へと足を運んでいた。
本場使用のソースの匂いが、鼻孔をいやおうなしに擽る
焼き方を見れば、一目瞭然――うん、これは、正統派だから、大丈夫そうね、とわたしはうなずいて、「ねぇ、これにしない」と周の顔を覗き込む。
「オッケー」とおどけた調子で、周がうなづく。
わたしが広島のお好み焼きにはうるさいのを、彼も知っている。そんなわたしが「これにしない?」と提案したから、だったら大丈夫だろう、と周は判断してくれたみたい。
「あ、あそこが空いてる」
それぞれが、お好み焼きとビールとを買って、広場に敷かれたブルーシートの空いてる場所に仲良く腰を下ろした。
「結構いけるね」とにっこり、周が笑う。
「うん」と微笑んで、わたしもうなずく。
秋晴れの空の下、幸せだな――ふと、わたしは思った。
お祭りなんかに行くと、『広島風お好み焼き』というのぼりを掲げた屋台をよく見かける。
上京して初めて、その屋台を見たとき、思わずわたしはそのネーミングに郷愁を覚えて、早速、買って食べてみた。
けれど、これはいただけないな、とわたしは顔をしかめていた。
もちろん、本場の物とは、その風身に雲泥の差があったからだ。
わたしはそれで、思い知らされた。
この「風」というのが人の心の機微をくすぐり惑わすんだな、ということを。
思うに、この「~風」というのは、いたって便利なことばだ。おまけに、非常に、都合のいいことばでもある。
本物を知ってる人に対しては「なんだよ、見た目は似てるけど中身はまるでちがうじゃん」と言われながらも、「でも、だから風なんだろうけどね」と、いちおう、納得させることができる。
反対に、知らない人に対しては「へえー、ウワサには聞いていたけど、こんな感じなんだね」と、あっさり、騙すことができる。
風ではない、本場の味を知ってるわたしは、あれ以来「広島風」には手を出さなくなった。
ただ、そうはいっても、決定的にわたしは、おっちょこちょいだ。わたしは、だから別の「~風」に出会うと、「へえー、こんな感じなんだね」と、結局のところ、うなずいているのかもしれない。
それはともあれ、この街で、遠く離れた本場の味に出会えるのは、やっぱり、嬉しい。
ただ、わたしにとってその味は、切なさを伴った味でもあるのだけれど……。
つづく
絵画館前の空き地には、全国各地から集まった味自慢ので店が軒を連ねていた。
それぞれの前に長蛇の列が出来ていて、けっこうな賑わいを見せている。空き地に一歩足を踏み入れると、あちらこちらからいい匂いが漂ってきて、ことさら食指が動く。
「何か食べようよ」
どうも、それは周も同じだったらしい。同時に、二人の言葉が重なった。
「ぷっ」
思わず、二人で顔を見合わせて吹き出してしまった。
「何にする?」
「何にしようか」
改めて、場内を見回した。
思わずわたしは「あ」と声をあげていた。
なぜかというと、『広島風お好み焼き』という看板が目に入ったからだ。
わたしは、広島のお好み焼きには、ちょっとうるさい。
実はわたしの実家は広島県の隣なんだけれど、わが町のお好み焼きも本場の味に劣らないくらい実に美味で、わたしはそこで十分舌を鍛えられている。
どれ、ちょっと覗いてみるとしますか――そう、思い立ったわたしは「周、こっち」と彼の手を強引に引っ張り、そのお店へと足を運んでいた。
本場使用のソースの匂いが、鼻孔をいやおうなしに擽る
焼き方を見れば、一目瞭然――うん、これは、正統派だから、大丈夫そうね、とわたしはうなずいて、「ねぇ、これにしない」と周の顔を覗き込む。
「オッケー」とおどけた調子で、周がうなづく。
わたしが広島のお好み焼きにはうるさいのを、彼も知っている。そんなわたしが「これにしない?」と提案したから、だったら大丈夫だろう、と周は判断してくれたみたい。
「あ、あそこが空いてる」
それぞれが、お好み焼きとビールとを買って、広場に敷かれたブルーシートの空いてる場所に仲良く腰を下ろした。
「結構いけるね」とにっこり、周が笑う。
「うん」と微笑んで、わたしもうなずく。
秋晴れの空の下、幸せだな――ふと、わたしは思った。
お祭りなんかに行くと、『広島風お好み焼き』というのぼりを掲げた屋台をよく見かける。
上京して初めて、その屋台を見たとき、思わずわたしはそのネーミングに郷愁を覚えて、早速、買って食べてみた。
けれど、これはいただけないな、とわたしは顔をしかめていた。
もちろん、本場の物とは、その風身に雲泥の差があったからだ。
わたしはそれで、思い知らされた。
この「風」というのが人の心の機微をくすぐり惑わすんだな、ということを。
思うに、この「~風」というのは、いたって便利なことばだ。おまけに、非常に、都合のいいことばでもある。
本物を知ってる人に対しては「なんだよ、見た目は似てるけど中身はまるでちがうじゃん」と言われながらも、「でも、だから風なんだろうけどね」と、いちおう、納得させることができる。
反対に、知らない人に対しては「へえー、ウワサには聞いていたけど、こんな感じなんだね」と、あっさり、騙すことができる。
風ではない、本場の味を知ってるわたしは、あれ以来「広島風」には手を出さなくなった。
ただ、そうはいっても、決定的にわたしは、おっちょこちょいだ。わたしは、だから別の「~風」に出会うと、「へえー、こんな感じなんだね」と、結局のところ、うなずいているのかもしれない。
それはともあれ、この街で、遠く離れた本場の味に出会えるのは、やっぱり、嬉しい。
ただ、わたしにとってその味は、切なさを伴った味でもあるのだけれど……。
つづく