第31話
文字数 2,019文字
唐突に、庭に設えてある大きな池の、その水面を叩く雨音がどこか遠くでこだました、ような気がした。
幼い日に、祖母の温もりのある膝の上で聞いていた、懐かしくもあり切なくもある、あの雨音が――。
「まみは、この絵本のなかの仔犬のように迷子になっちゃいけないよ……」
これは、気が滅入るような冷たい雨が古びた屋敷の庭をしっとり濡らす日に、祖母が、暖かい部屋でわたしに絵本を読んで聞かせた後、いつも、口にしていたことばだ。
彼女は、わたしが故郷から出て行くのを、とても、恐れていた。もちろん、家業を継ぐ者がいなくなるからだ。それもあって、つとに彼女は、それを口酸っぱく、わたしに言い聞かせていたものだ。
「うん、わかったよ、おばあちゃん」
いたいけな子どものころまでは、素直に、そうわたしはうなずいていた。
それが、高校生になるとともに、心がややこしくなって、わたしは斜に構えることを覚えてしまう。
すると祖母の、そのことばに反抗する自己、というかたちで、自分というものの輪郭が、おぼろげながら、見えてきた。
そうなると、祖母のことばになにかと首をひねる、そんなわたしがいた。
はたして、わたしは祖母の言う通りに生きていかなければならないのか、そう思って。
その結果として、彼女のことばに抗おうとしている「私」という一種の現象が生じているのを、わたしは自覚し、認識するようになる。
はからずも、そうした「私」と出会ったわたしは、破ってはいけない禁忌の扉を破ってしまう。
禁忌――。
それは、とりもなおさず、わたしは関係付られた網の目のなかで、祖母の期待を背負って生きていくべき存在である、というような不文律――。
わたしは当初、それに対してなんら疑問も抱かなかったし、それより何より、それがわたしの宿命だろうと、みんなにも言ってきたし、自分にもそう言い聞かせていた。
そんなわたしは、ある時期に、淡く抱いていた夢をあっさりとあきらめてしまっていた。
それは、どのような夢かというと、高校を卒業したら、東京にある美術専門大学に進学するというものだった。
そこで、本格的に絵を学び、やがて、パリの大学に留学して、印象派の画家――モネやルノワールやシスレーが描いた風景の前にイーゼルを立てて、わたしも彼らと同じ風景を描いてみたかったのだ。
でもわたしは、その夢をあっさりあきらめてしまっていた。はなから、宿命に抗うこともなく――。
けれども、高校生になると、わたしのなかである疑問の萌芽がふいに、頭をもたげてくる。
ところで、あんなに簡単に夢を諦めてしまったけれど、ほんとうに、それでよかったのだろうか、という疑問が。
「いずれ真美はこの町で、誰かいいヒトと巡り会って、そのヒトを婿養子に向かい入れ、代々つづいてきた家業の、この本屋を継いでおくれよ」
祖母が言うように、わたしは、彼女の期待を背負って生きていかねばならないのか?
そんなふうに、わたしは彼女のことばに首をひねるようになったのだ。
すると、彼女のくびきから逃れて東京に行きたいという、そんな意志がわたしのなかで芽生えるようになる。
もっとも、幼かったわたしが、あの日の自分の心の風景をこうして繊細に描写できていたわけでは毛頭ない。
いま、この街を、こうやって歩いているからこそ、わたしは、あのころの心の風景を、こうして繊細に描写できているのだ。
「……でもさあ、跡取りとかはいなかったんだろうか」
電車のなかで聞いた彼らのことばが、耳に痛い。
どうも、それが呼び水になったらしい。
かくも、過去の苦痛の思い出を持て余しながら、わたしは都会の雑踏のなかを、独り、ぼんやりと歩いていた。
すると、そのとき――。
不覚にも、わたしはすれ違いざまに、前から歩いてきた人のその肩に、自分の肩をぶつけてしまっていた。
ぶつけた次の瞬間、ガチャン! という音が耳に切なくふれた。
ハッとして、わたしは、その音の方にすばやく眼差しを投げる。
見ると、雨にしっとり濡れた舗道に、はかなくも、携帯電話が転がり落ちていた。
わたしよりも、二つ三つ若い女性――。その彼女の手から、どうやら、すべり落ちたようなのだ。
思わずわたしは「あ!」と声をあげて、震える声で、ごめんなさいと首を垂れて、それを拾おうとして腰を屈めた。
可愛いキリンのストラップ――それが飾られた、ピンクのスマホ。
「……い、いえ、わたしがスマホを見ながら歩いていたのが……」
そう彼女はおずおずと言うと、わたしを制するようにサッとスマホに手を伸ばして、大事そうに、それを拾いあげた。
「そ、そうですか……でもわたしもぼんやり歩いていたものですから……」
「す、すいません」
わたしのことばを遮って、彼女は「わたし、急ぎますので」と言うと、落ちたスマホの毀損を心配するわたしの心情を置き去りにしたまま、足早に、その場から立ち去っていくのだった。
つづく