第25話

文字数 2,420文字

 今日は、わたしの十二歳の誕生日――。
 いま、わたしの目の前には思わず、「うわっ! ぶち大きい」と声をあげてしまった、とてつもなくデカい提灯がある。
 東京は、浅草、雷門――。
 わたしはいま、そこに来ている。
 列島の西の端で暮らしているわたしがいま、どうして、そこにいるのか?
 この謎を解き明かすためには、時計の針を昨年の冬にまで、巻き戻さなくてはならない。
 ひとりぼっちで寂しく留守番をしていたわたしを修一くんの笑顔が救ってくれた、あの冬休みの日に――。

 あの日はとても、不気味な午後だった。でも修一くんが現れてくれたおかげで、わたしの部屋を覆っていた不吉な気配は一掃されて、代わりに、物理的には計ることのできない、まったりとした時が穏やかに流れていた。  
 修一くんがくれた、お土産のマカロンを美味しく頬張りながら、わたしは、彼との楽しいおしゃべりに夢中になっていた。すると、修一くんが、突然、こんなことを言い出すではないか。
「実はお兄ちゃんね、真美ちゃんのお母さんに頼まれてることがあるんだ」
「え⁈」
 わたしはあっけに取られた。
 現在、東京の大学に通っている修一くんに、母さんが、何を頼んだって言うのだろう?
「おばさんからある日突然、電話があってね。真美ちゃんのこんどの誕生日のプレゼントについて相談したいから、それで電話したって言うんだよ……」
 わたしのこんどの誕生日のプレゼント⁈ それを、どうして修一くんに?
 けげんそうな顔をして、わたしは修一くんに小首をかしげて見せた。
「どういう相談なのって聞いたら、おばさんは、こう言うんだ」  
 そう修一くんは言うと、母さんから頼まれた話を、わたしに教えてくれた。
「真美ちゃんは来年の春、十二歳になるんだってね。だとしたら、真美ちゃんも、いよいよ、来年の春から中学生の仲間入りだ」
 そう、わたしは来年の三月三十日に十二歳になる。つまりは、早生まれというわけだ。
 けれど、早生まれの子っていうのは、なにかと辛い。
 第一、同学年の子たちと比べると、どうしても、幼く見えてしまいがちだから。
 それが、わたしには、なんとも不公平に思えてしかたない。
 かけっこするとき、みんなと同じスタートラインに立って、よーい、ドン、をするんじゃなくて、彼らより後ろの方からスタートするような、そんな不公平感をどうしても覚えてしまうからだ……。

「おばさんがそこで、お兄ちゃんに、こう言うんだよ」
 修一くんはそう口を開くと、こうつづけた。
「こんどの真実ちゃんの誕生日には、何か特別なプレゼントをあげたいと思ってるんだ、ってね」
 な、何か特別なプレゼント⁈
 ほえー、いったい、 何がもらえるんだろう……わたしの頬が思わずほころぶ。
「で、おばさん、いろいろと考えた末に、あるプレゼントを思いついたらしいんだね」
 それが、どのようなものか。母さんは電話で、修一くんに、縷々、こう陳べたという。

 ――自分もそうだったし、たぶん、修一くんもそうだったと思うんだ。あの年ごろって、心に余白がいっぱいあるから、いろんなことをたくさん吸収できちゃうじゃない。たとえば、目に映ったもの、心で感じたもの、耳に触れたもの、そういったものを難なく。それほど、あの年ごろは、非常に、多感な時期ってことだわ。しかも、そのとき吸収したものって、大人になってからではなかなか獲得できない、かけがいのないものばかりだわ。それによって、豊かな感受性も育まれるし。そういう時期に、いえ、そういう時期だからこそ、真美に、東京の空気を吸わせてあげたいの。あの街の風に吹かれて、この街では獲得しづらい何かを、少しでも手に入れてくれたら、どんなに素敵か。わたし、そう思うんだ。どう? 修一くん。これって、けっこういいプレゼントになると思わない? 
 と、まあ、だいたい、このようなことを、母さんは語ったらしい。

 へえー!
 それを聞いたわたしは目を丸くして、修一くんを見た。
 一瞬、目が合った。
 修一くんが嬉しそうに、うんうん、と大きくうなずいて見せた。
「お兄ちゃんさ、すごく感動したんだよ。おばさんってえらいなあ、たいしたもんだなあ、って」
 そんなふうに、修一くんは、手放しで、母さんをほめそやしていた。
 でもわたしは、ちょっとちがうんだよなあ、と上目づかいに、いたずらっぽく修一くんを見ていた。
 だって、わたしが浮かべた「へえー」の表情は、母さんのことばに感心したそれではなく、彼女がそんなことばを発したことが意外だった、「へえー」だからだ。
 毎朝、鏡に向かってわたしの髪をとかしているときに見せる母さんの、あの眼差し。
 それと、修一くんの唇からこぼれ落ちたことばとが、どうも、わたしのなかでぴったり重なり合わなかった。
 鏡に映っている母さんは、そのなかにいるわたしにとても、冷たい眼差しを向けていた。
 たぶん母さんは、わたしがおばあちゃんと仲良くしているのが気に食わないのだろう。それで、あんな眼差しで見ているんだと、常々、わたしは思っていた。
 それだけに、母さんの意外な一面に触れたわたしは、それで「へえー」という表情を浮かべていたのだった。

「そのあとに、おばさんは、そこで、あなたに相談なのと言って、こうつづけたんだ」
 修一くんはそう言って、ことばを、こう継いだ。
「お兄ちゃんが、東京の大学に通ってるいまが、絶好のチャンスだと思ったのよ、ってね。だって、真実ちゃんが上京してきたら、お兄ちゃんが案内できるし、面倒も見てあげられるじゃない。それをお願いしたいのよって、おばさん、お兄ちゃんに頭を下げるんだ。もちろん、断る理由なんて何もないからさ。だから、お兄ちゃん、二つ返事で了解したんだ」
 そう言って、修一くんは、屈託のない笑みを浮かべて見せた。
 そんな修一くんの笑みを見た瞬間、わたしの頭のなかは真っ白になってしまったのだった。


つづく
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