第3話

文字数 1,841文字



ふるさとの風景  その一
 
 
 五日後が、大晦日――そんな年の瀬の、どこかせわしない昼下がり。
 硝子窓の向こう側に眼差しを向けると、なだらかな山の稜線に寒々しい灰色の雲が垂れこめているのが目に入る。天気予報によると、これから雨になるらしい。
「まみ!」
 階下で、母さんがわたしの名を呼ぶ声。
 なによ……わたしは躊躇する。でも答えないわけにはいかない。
「……なに⁈」
 ぶっきらぼうに、わたしは応える。
「行って来るからね! 留守番よろしくね」
 はああ……思わず心憂い吐息が洩れる。
 これから雨になるらしい。それを思えば気分はとても、憂鬱。
 わたしは、雨が嫌いだ。でも、いまよりもっと幼かったころのわたしは、あながち雨がきらいな子どもではなかった。
 おばあちゃんのぬくもりのある膝の上に座って聞いていた、あの雨音の調べ。それは、心に安らぎを与えてくれるので、わたしは、むしろ、雨が好きな子どもだった。
 けれど、いま聞こえてくる雨音は、わたしを塞いだ心持ちにさせるだけだ。
 時の移ろいというものは、こうも残酷なものだろうか。あんなに好きだった雨の調べを、いまでは、すっかり嫌いにさせている。
 昨夜の天気予報で、「あすは雨模様の天気になるでしょう」と知らされたわたしは、朝食の食卓を囲んでいるとき、「ねぇ、母さん、わたしも連れてってくれるんだよね」とすがるようなまなざしでねだっていた。
 「もちろんよ」
 ふだんの母さんなら、笑顔でうなずいてくれた。なのに、きょうはなぜか怖い顔で、「ダメ、まみは今日、一人でお留守番」と、ぴしゃっとした、にべもない言い方で、頭ごなしでわたしの願いを拒んだ。
「ど、どうしてよ……」
 上目遣いで母さんをうらめしそうに見つめるけれど、どうも、彼女の意思は固いらしく、そんなときの彼女は意地でも自分の意思を曲げないとわかっているので、わたしは「わかったわよ……」と、渋々ながら、観念していた。
 雨が降るのがわかっている。そんなときに、ひとりぼっちで留守番するのは、すこぶる不安だ。不吉な何かが忍び寄ってきそうで、それが部屋の壁をすり抜けて眼前にひょっこり現れてきそうで、わたしは、だから、とても平常心ではいられない――。
 
 

木曜日の夜のつづきーー
 
 ちょっと気分を紛らわせよう――そう思って、ラグに寝転がっていた身体をひょいと起こした。
 テーブルの上に置いていたマグカップを手にする。すっかり冷めてしまった紅茶を口に含むと、心情と同様に苦い味がした。テレビのリモコンを手繰り寄せ、電源を入れる。
 パッと画面が華やぐ。追いかけて、それとは逆の色のないデッサン画のような風景が画面に現れる。
 どうやら、ニュース番組のようだ。
 瓦礫の前に立ち尽くして、ひときわ冷めた目つきでカメラをジッと見つめている異国の少女。そういう映像が画面いっぱいに映し出される。
「ここに、いたたましい現実があります」
 現地から、浮かない眉をひそめたリポーターが物憂げに画面の外の視聴者に語りかけている。
 どこか遠い国のようだ。戦場らしい、くちた大地に無言で佇む少女の映像が、見る側に、哀しみの深さをいやおうなしに物語る。たぶんそこには、わたしの不幸などとは比べようのない不条理が横たわっているのだろう。
 そうだというのに、わたしはいま、自分のことで心がいっぱいだ。なので、異国の子どもたちの不条理に寄り添う心の余白すらなくしている。いや、むしろ不条理の傍らを黙って通りすぎようとさえしている……。気分を変えようと思ったのに、かえって気分は滅入ってしまった。
「つづきまして、こちらのニュースをお伝えします」
 そう言って、さっきまで浮かないな顔をしていたニュースキャスターが、実に器用に見事にその表情を一変させる。
 切れ長で笑うような目が人好きのする印象を与えている。その面影がふと、周と重なった。
「俺さ……」
 部屋のどこかで周の声がした、ような気がした。どうやら、わたしの思考回路はすべて、周を中心にして回ってるようだ。
 わたしはやりきれなさを持て余しながら、マグカップを両手で包み込む。その中に注がれた紅茶に、視線を移す。うっすら、わたしの顔が映り込む。それを見て、わたしはふと、思う。テレビの中にいた、あの異国の少女に似た顔ではないか、と――。
 いや、それはちょっとおこがましいわね、と内心苦笑して、改めて、自分の顔をぼんやり眺めていたら、いつの間にか、わたしは周との過去へ遡行していた。


つづく
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