第29話

文字数 2,429文字

「アッハッハッハッハ……」
 彼らの会話が途切れた同時に、エトランゼの哄笑が車内に轟いた。
 わたしの斜め前の長椅子に腰かけて昏睡していたメイクをバッチしきめたOLがびっくりしたように、肩を小さくぴくんと跳ね上げた。けれどすぐに彼女は、何事もなかったかのように、かくんと首を垂れて、またしても、夢のなかへといざなわれていった。
 不謹慎ながら、その情景がすごくツボにハマったわたしは思わず、クスっと笑ってしまう。
 少し間をおいて、彼らが会話を再開した。口を切ったのは、この話題を最初に持ちだした、なかんずくイケメンの彼だった。


「いや、それでさあ、オレ後日、その店の前を通ったの。そしたらさあ、閉じられたシャッターにA四サイズの紙が一枚貼ってあってさあ。見たら、そこに閉店の理由が書いてあったんだよね。オレ、それ読んでジンと胸を打たれて、なんだか切なくなっちゃってさあ。みんなにも、その気持ち共有してもらいたくて、それで、この話題を持ちだしたってわけなんだ」
「へえー、おまえでも切なくなることがあるんだな」
「な、何だよそれ、茶化すんじゃねぇよ。オレだって、たまにはさあ……」
「あはは、わりぃ、わりぃ。それで、そこには何て書いてあったんだ」
「それがな……」
 イケメンくんが一瞬、口ごもった。彼の目が遠くなる。その表情のまま、彼は語り出した。

「そこには手書きの弱々しい文字でな、急に、閉店することになってしまったことへのお詫びと、その理由として『体力の限界』って文字が綴られていたんだよ」
「体力の限界……それって、なんだかスポーツ選手が引退するときの常套句みたいじゃん。そう言えば、ここのところ親父さん、かなり腰を悪そうにしてたもんな。にしても、体力の限界かあ……たしかに、切ないな。オレたちだってけっして避けて通れない、いずれ味合うことになる現実だもんな」
「な、な、そうだろう。みんなだって、なんかこう、ジンと胸を打たれるもんがあるだろ」
「ああ、あるね……でもさあ、跡取りとかはいなかったんだろうか」
「子宝に恵まれなかったのかもなあ……」
「だけど、たとえ恵まれたとしても、あれだよ……ほら、近ごろじゃあ、跡を継ぎたくないって子どもが、けっこういるらしいじゃないか。オレ、客商売に向いてないとか、安定した職業がしたいとかなんとか言ってさあ」
「そうなんだよな。いくら自分の子どもといっても、いまは、昔とちがって職業の選択の自由ってもんが、憲法にちゃんと規定されているもんな」
「そうだな……それを盾にとられたら、たとえ親といってもぐうの音もでないかもな」
「たしかに、それが現実ってもんかも知れないな……」
「ただ、自分の子どもじゃなくても、親戚の人とか、知り合いの人とか、だれか他に後を継いでくれる人いなかったのかなあ……なんかさあ、親しまれてた老舗がいとも簡単になくなっちゃうのってすごくもったい無いような気がしてしかたないんだよね、オレ」
「まあな……たださあ、家族以外のだれかに譲るっていってもさ、その辺は難しいところあるんじゃないのかなあ、いろいろと」
「たしかに、それはあるかもしれないなあ……しかし思うに、あれだな。外からうかがってるぶんには平穏無事に見えていても、その実、それぞれの家にはそれぞれのややこしい事情ってもんがあるんだな」
「ああ、家の数ほどな……」
「なんだか星の数ほどみたいな言い方だな」
「へへ……」
 そこで、三人の会話途切れて、一瞬の間があった。
 するとそのときだった。急に、車内がパッと明るくなったのは――。電車がホームへと滑り込んでいったからだ。
「おっ、ここの駅じゃない」
 イケメンくんがつぶやいた。
「あっ、ほんとうだ」
 とりわけ背の高い彼もうなずいた。
 会話のつづきは、いまから向かう酒の席で――そんな感じで、三人は慌てて、電車を降りていった。
 
「でもさあ、跡取りとかはいなかったんだろうか……」
 彼らの会話のなかのその、ことばが、チクリと胸に痛く刺さった。
 うしろめたかった。なんだか、自分のことを暗に指摘されているようで……。
 しかもそれと同時に、わたしの念頭にふと、故郷で暮らす祖母のことばが、妙に生々しく蘇った。
「真実、お願いだよ。なんとしてでも養子を迎え入れて、家業を絶やさないようにしておくれよ」
 祖母のその、実に切実な声が、何かの燃えかすのように、わたしの胸のうちでくすぶっている。
 それが、最近、わたしに夢を見させてしまう。
 いつもきまって、明け方になると、ひどく目覚めの悪い夢を――。
 
 もっとも、彼らの会話のなかにあったではないか。 
「そうなんだよな。いくら自分の子どもといったって、いまは、昔とちがって職業の選択の自由ってもんが、憲法にちゃんと規定されているもんな」
「そうだな。それを盾にとられたら、たとえ親といってもぐうの音もでないかもな」
 ――そんなふうに。
 わたしは、だから、こうして東京で働いている。
 ただ、わたしの故郷は、いや、そこで暮らす祖母の考え方はまだまだ旧態依然としている。それだけに、こっちで好きなひとと一緒になって暮らしたいとはっきり言えないし、それより何より、うしろぐらさすら覚えている。 

 彼らの会話を頭のなかで反芻しながら、わたしは、ガラス窓に薄っすらと映り込む自分の顔に、冴えない眼差しをぼんやりと投げていた。
 眼差しと同様に、そこには、青ざめて、ひどく冴えない顔をしたわたしがぼんやりといる。
 ひどく疲れた顔してるよ。
 浮かない眉をひそめて、わたしは自分のその顔に、そっとつぶやく。
 つぶやいたとたん、はあ、と深く長い息が洩れた。
 それにしてもね――ふと、わたしは思って、自分のその顔にこう私語きかける。
 いくら路地裏とはいえ、都会のお蕎麦屋さんですら跡取り問題を抱えてるんだって。だとしたら、地方の古めかしくてすっかりさびれてしまった商店おや、って感じだよね、と寂しそうに笑って。
 
つづく
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