第49話
文字数 2,384文字
外に出ると、すっかり雨はやんでいた。
天を仰ぐ。早春の風が空をかけている。
その風に乗って、灰色の雲が、どんどん、東の空に流されていく。
流れる雲を見ていると、とわたしはどうしても思ってしまう。
いやなこともつらいことも、あんなふうに、どんどん、流れていってしまえばいいのに、と。そうすれば、毎日が心安らかにすごせるのになあ、とも。
でも現実は、なかなか、自分の思い通りにはいかない。いや、むしろ、フラストレーションが、どんどん、溜まっていくだけだ。
そんなことを考えながら、わたしは、流れる雲の行方を目で追っていた。
時々、雲の切れ間から、ぽつんと白い小さなお月様が覗く。
それが、突然、ある記憶を脳裏に蘇らせ、思わずわたしは複雑な笑みを浮かべてしまう。
それは、来し方の記憶。わたしがまだ、故郷にいるときの。
当時、幼かったわたしは、夜空を見上げてはいつも、不思議そうに首をひねっていたものだ。
お月様は、なぜ、わたしのあとをずっと追っかけてくるんだろう、そう思って。
夜道を、うつむき加減でとぼとぼと歩いていて、ふいに立ち止まり頭上を見上げる。見ると、ぽつんと白い小さなお月様。しばらく歩いて、また、頭上を見上げる。さっきと同じところにまた、その月様。
その体験は、まだ幼いわたしをおののかさせる。わたしはそこで、そのお月様から逃げようとして、突然、やみくもに駆け出す。
ここまでくれば、もう大丈夫じゃない、とわたしは自分にそう囁いて、ひょいと頭上を仰ぐ。
ええ、なんで!!
思わずわたしは内心悲鳴をあげてしまう。
ふふ、いくら逃げても無駄ですよ――そう言わんばかりに、見上げた空にはあの、ぽつんと白い小さなお月様。
そのことが、子ども心に、なんとも不思議でしかたなかった。
それを思い出して、わたしは、複雑な笑みを浮かべていたのだ。
さっき、公恵の実家を出たわたしたち二人は、いま、隅田川の土手の上に設えてあるベンチに腰を下ろしている。
わたしはそこで、頭上を仰ぎながら、来し方の記憶に浸っていたのだ。
穏やかな春の風が、爽やかに、土手の上を吹き抜けていく。それが、隣に腰をおろす公恵の長い髪をなびかせ、そこから放たれる香気が、わたしの鼻孔を心地よくくすぐる。
お花見にはまだ、少し早い季節。にもかかわらず、わたしたち二人は、オッサンよろしく、缶ビールを片手にしている。
「ビールでも飲まないと、やってられないわよ、まったく」
そう言って、この缶ビールは、ここにくる途中のコンビニで、公恵が購った。
お花見の季節ともなれば、この土手は、花見客でごった返す。こうして、吞気に、ベンチに腰を据えてなどはいられない。
でもいまは、ちがうのだ。
いまだ、そよ吹く風には、花の匂いは滲んでいない。
それより、この土手の上は都会の喧騒とすぐ隣合わせにありながら、そことは、ちょっとちがう時間が流れているのではないか、とわたしには思えるのだ。
都会の街に住みついて、わたしは気づいたことがある。
「都会には自然が少ない」
故郷にいるとき、テレビとか新聞とか雑誌で、判で押したように聞かされたことばだ。
はたして、ほんとうに、そうなのだろうか――上京してしばらくすると、そうやって、首をかしげる自分がいた。
なるほど、この街には山がないぶん、田舎に比べると、圧倒的に緑が少ないように思えてしまう。
でも、とわたしは思うのだ。
実際、都会には自然の緑は少ないけれど、人工的な緑では田舎にひけをとらないのではないか、というふうに。
日々の暮らしに追われていると、心のゆとりを喪失させてしまいがちだ。なので、なかなか気づかないのかもしれない。
けれど、時に、立ち止まって、都会の街並みに目を凝らしてみては、とわたしは思うのだ。存外、街のあちらこちらに、人の手をかけた自然が、たくさん散りばめられていることに、気づくはず。
ことに、この都会には、いくつもの非日常的な空間がある。
高層ビルに囲まれながらも、だれにも気づかれずにひっそりと佇む、そんな非日常的な空間があるのだ。
わたしにとっての、浜離宮恩賜庭園が、まさにそれだった。
あれは、まだ春浅い季節――。
わたしは、周に連れられて、そこを訪れていた。 まぶたの裏にはいまでも、あの日の景色の残像が、くっきりと鮮やかに貼りついている。
そこは、まさに非日常が横たわった空間だった。
抜けるようなその青さ。その下にある、高層ビルに囲まれた空間。そこに、数万本の菜の花が咲き乱れ、さながら、それが黄色の絨毯のように辺り一面を埋め尽くしていた。
どこから来たのか、たくさんの蜜蜂たち。彼らが、花と花の間を嬉しそうに、愉しそうに飛び回っていた。
そこはただ単に、自然の緑に塗り潰された田舎の風景とは趣きを異にし、人口の造形物に囲まれながらも、静かに、ひっそりと佇んでいる分だけ、ひときわ自然が優って見えるのだった。
この土手の上も、どこかあの空間に似ている、とわたしは思う。
目の前を、松本零士がデザインしたという戯画的な水上バスが、いまにも宇宙へと旅立ってしまいそうなフォルムで、波を切って川面を走っている。
そして、向こう岸には、ライトアップされたユーモラスな造形物が、その光を浴びて、実に奇妙な金色の輝きを魅せている。
高層ビル二つ挟んだ左隣には、スカイツリー。それが、淡い青い光を身に纏い、その切っ先を天に突き刺すようにして、そびえ立っている。
眼前にはいま、そうした景色が広がっているのだ。それなのに、わたしたちが腰を下ろすベンチの上には、暮れ残った陽だまりのような、まったりとした、非日常の時間が漂っている。
それが一瞬、都会の雑踏の喧騒を忘れさせ、日常との時間の落差を感じさせるのだった。
つづく
天を仰ぐ。早春の風が空をかけている。
その風に乗って、灰色の雲が、どんどん、東の空に流されていく。
流れる雲を見ていると、とわたしはどうしても思ってしまう。
いやなこともつらいことも、あんなふうに、どんどん、流れていってしまえばいいのに、と。そうすれば、毎日が心安らかにすごせるのになあ、とも。
でも現実は、なかなか、自分の思い通りにはいかない。いや、むしろ、フラストレーションが、どんどん、溜まっていくだけだ。
そんなことを考えながら、わたしは、流れる雲の行方を目で追っていた。
時々、雲の切れ間から、ぽつんと白い小さなお月様が覗く。
それが、突然、ある記憶を脳裏に蘇らせ、思わずわたしは複雑な笑みを浮かべてしまう。
それは、来し方の記憶。わたしがまだ、故郷にいるときの。
当時、幼かったわたしは、夜空を見上げてはいつも、不思議そうに首をひねっていたものだ。
お月様は、なぜ、わたしのあとをずっと追っかけてくるんだろう、そう思って。
夜道を、うつむき加減でとぼとぼと歩いていて、ふいに立ち止まり頭上を見上げる。見ると、ぽつんと白い小さなお月様。しばらく歩いて、また、頭上を見上げる。さっきと同じところにまた、その月様。
その体験は、まだ幼いわたしをおののかさせる。わたしはそこで、そのお月様から逃げようとして、突然、やみくもに駆け出す。
ここまでくれば、もう大丈夫じゃない、とわたしは自分にそう囁いて、ひょいと頭上を仰ぐ。
ええ、なんで!!
思わずわたしは内心悲鳴をあげてしまう。
ふふ、いくら逃げても無駄ですよ――そう言わんばかりに、見上げた空にはあの、ぽつんと白い小さなお月様。
そのことが、子ども心に、なんとも不思議でしかたなかった。
それを思い出して、わたしは、複雑な笑みを浮かべていたのだ。
さっき、公恵の実家を出たわたしたち二人は、いま、隅田川の土手の上に設えてあるベンチに腰を下ろしている。
わたしはそこで、頭上を仰ぎながら、来し方の記憶に浸っていたのだ。
穏やかな春の風が、爽やかに、土手の上を吹き抜けていく。それが、隣に腰をおろす公恵の長い髪をなびかせ、そこから放たれる香気が、わたしの鼻孔を心地よくくすぐる。
お花見にはまだ、少し早い季節。にもかかわらず、わたしたち二人は、オッサンよろしく、缶ビールを片手にしている。
「ビールでも飲まないと、やってられないわよ、まったく」
そう言って、この缶ビールは、ここにくる途中のコンビニで、公恵が購った。
お花見の季節ともなれば、この土手は、花見客でごった返す。こうして、吞気に、ベンチに腰を据えてなどはいられない。
でもいまは、ちがうのだ。
いまだ、そよ吹く風には、花の匂いは滲んでいない。
それより、この土手の上は都会の喧騒とすぐ隣合わせにありながら、そことは、ちょっとちがう時間が流れているのではないか、とわたしには思えるのだ。
都会の街に住みついて、わたしは気づいたことがある。
「都会には自然が少ない」
故郷にいるとき、テレビとか新聞とか雑誌で、判で押したように聞かされたことばだ。
はたして、ほんとうに、そうなのだろうか――上京してしばらくすると、そうやって、首をかしげる自分がいた。
なるほど、この街には山がないぶん、田舎に比べると、圧倒的に緑が少ないように思えてしまう。
でも、とわたしは思うのだ。
実際、都会には自然の緑は少ないけれど、人工的な緑では田舎にひけをとらないのではないか、というふうに。
日々の暮らしに追われていると、心のゆとりを喪失させてしまいがちだ。なので、なかなか気づかないのかもしれない。
けれど、時に、立ち止まって、都会の街並みに目を凝らしてみては、とわたしは思うのだ。存外、街のあちらこちらに、人の手をかけた自然が、たくさん散りばめられていることに、気づくはず。
ことに、この都会には、いくつもの非日常的な空間がある。
高層ビルに囲まれながらも、だれにも気づかれずにひっそりと佇む、そんな非日常的な空間があるのだ。
わたしにとっての、浜離宮恩賜庭園が、まさにそれだった。
あれは、まだ春浅い季節――。
わたしは、周に連れられて、そこを訪れていた。 まぶたの裏にはいまでも、あの日の景色の残像が、くっきりと鮮やかに貼りついている。
そこは、まさに非日常が横たわった空間だった。
抜けるようなその青さ。その下にある、高層ビルに囲まれた空間。そこに、数万本の菜の花が咲き乱れ、さながら、それが黄色の絨毯のように辺り一面を埋め尽くしていた。
どこから来たのか、たくさんの蜜蜂たち。彼らが、花と花の間を嬉しそうに、愉しそうに飛び回っていた。
そこはただ単に、自然の緑に塗り潰された田舎の風景とは趣きを異にし、人口の造形物に囲まれながらも、静かに、ひっそりと佇んでいる分だけ、ひときわ自然が優って見えるのだった。
この土手の上も、どこかあの空間に似ている、とわたしは思う。
目の前を、松本零士がデザインしたという戯画的な水上バスが、いまにも宇宙へと旅立ってしまいそうなフォルムで、波を切って川面を走っている。
そして、向こう岸には、ライトアップされたユーモラスな造形物が、その光を浴びて、実に奇妙な金色の輝きを魅せている。
高層ビル二つ挟んだ左隣には、スカイツリー。それが、淡い青い光を身に纏い、その切っ先を天に突き刺すようにして、そびえ立っている。
眼前にはいま、そうした景色が広がっているのだ。それなのに、わたしたちが腰を下ろすベンチの上には、暮れ残った陽だまりのような、まったりとした、非日常の時間が漂っている。
それが一瞬、都会の雑踏の喧騒を忘れさせ、日常との時間の落差を感じさせるのだった。
つづく