第22話

文字数 1,621文字



故郷の風景   その七
 
 
「真美ちゃん、いるぅ!」
 わたしの部屋だよぉ――そう、返事をしようと思ったのだけれど、それは喉に詰まって途中で挫折してしまう。
 いままで怖気づいてた心が、そこにあったことばまで凍らせ、それが小さな塊となって喉に引っかかったらしかった。
 それほどまでに、わたしは一人ぼっちの留守番が心細かったのだと、いまさらながらに気づく。
 うん⁈ 
 と同時に、思わずわたしは首をかしげる。
 なぜかというと、突拍子もない疑問が、わたしの小さな胸に湧いてきたからだ。
 こうして、きょう修一くんが、わが家に顔を出すことを、母さんは知っていた?
 それで母さんは、きょうに限って、わたしを一人で留守番させた?
 そんな疑問が――。
 まさかね。
 けれどすぐにわたしは考え直す。
 いくらなんでも、偶然にきまってるよ、そう自分に囁いて。

「真美ちゃん、いるぅ!」
 ふたたび、修一くんの声がする。
 わたしは鼻腔から、大きく息を吸い込んで、口から吐き出す息に乗せて、声を返す。
「わたしの部屋だよ!」
 こんどは、うまくことばになってくれた。
「ああ、二階だね。了解!」
 とんとんとん、と軽快なリズム刻みながら、修一くんが階段を駆けあがってくる。
 そのリズムに併せて、わたしの胸の鼓動も、ドクンドクン、と痛いほど高鳴る。
「開けるよ」
 ドア越しに、懐かしくて、いとおしい、修一くんの声がわたしの耳にふれる。
「はーい」
 わたしは弾んだ声で返事する。
 ずいぶんと古めかしい屋敷なので、かなり建てつけが悪い。
 引き戸を開くと、だからガタガタという耳障りな音が、だれもいない屋敷に不気味に響く。
 それと同時に、ひんやりとした外気がたちまち室内の中に流れ込んできて、いままでぬくもっていた室内の空気を、意地悪く、部屋の片隅に追いやってしまった。
 うっ、さぶっ!
 その瞬間、わたしの身体が無意識のうちに、ぶるっと震えていた。
 
 パタパタと窓硝子を叩く、雨音ーー。
 相変わらず、窓の外では気が滅入るような雨が降っているらしい。たぶんそれが、思いのほか外気を冷たく凍らせているのだろう。
 わたしにとって、雨音は不吉の予兆の旋律――なのだが、きょうの雨音は存外、わたしに幸運をもたらしてくれる、そんな素敵な旋律に変わっていた。
 ただ、まだ二時を過ぎたばかりだというのに、辺りは、夕暮れ時のような薄暮の中にひっそりと沈んでいる。
 それが、いっそう憂鬱な気分にさせている。
「真美ちゃん、ただいま」
 それでも、修一くんの、この明るい声が、その気分を追っ払ってくれる。
 まして、部屋の中がぱっと華やいだ、ように思えたのはわたしの気のせいかしら――。
 
 わけもなく、わたしは目をごしごしと強く擦る。それから、ふっと腰をあげて、修一くんに駆け寄ろうとした。
 けれど、うまく腰に力が伝わらなくて、ふがいなくも、わたしは立ちあがることができなかった。
 しょうがなく、わたしは椅子に腰を据えたまま、「おかえりなさい、修一くん」と胸の前で小さく手を振りながら、彼を迎えた。
 背がひょろっと高くて、細い、長い顔の修一くんの笑顔が、そこにある。
 わたしはこの、彼の屈託ない笑顔が、むしょうに、好きだった。
 
 修一くんがやがて、わたしの方へとゆっくり歩み寄る。しかもそれと同時に、修一くんの匂いが、わたしの鼻孔をふっとくすぐる。
「ただいま」
 そう言って、修一くんが、わたしの頭をそっと撫でてくれる。まるで、修一くんの優しさを惜しみなく刷り込んでくれるように。
「あっ、そうそう」
 思い出したように、修一くんがつぶやく。
「これ、お土産」
 彼の手に握られた紙袋が、わたしの目の前に差し出される。
 うふ!
 思わずわたしの頬が弛む。
 紙袋のその絵柄で、これは彼がいつも買ってきてくれる、わたしの大好物なマカロンだと分かったからだ。
「ありがとう、修一くん!」
 わたしはニッコリ微笑んで、深々と、お辞儀した。
 
 
つづく
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