第30話

文字数 2,330文字


 やがて、電車が都営地下鉄浅草駅のホームにすべり込む。 
 車両からホームに降り立った。 
 ふと、鼻孔をくすぐる、駅のホームに漂う懐かしい匂い。それを嗅いだとたん、胸が鈍くうずいた。 
 その痛みがいやがおうにも、この駅のホームに久しぶりに降り立ったことを、わたしに教える。 
 わたしが初めて、この駅のホームに降り立ったのは、ちょうど十二歳の誕生日。桜の花びらが匂い立つ、まさに春爛漫の日だった。 
 そして二度目は、公恵に連れられて彼女の実家を初めて訪ねたとき。気が滅入るような小ぬか雨が、街をしっとりと濡らしている日のことだった。 
 その日を境に、わたしは、この駅のホームに事あるごとに降り立つようになる。しかしながら、大学を卒業してこの方、周との恋愛事情に翻弄されて、その回数もめっきり減っていた。 
 バカなんだから、まったく――自嘲交じりに、わたしは自分にそう私語いて、思わず唇を嚙む。 
 どうして、もっと頻繁に公恵の実家に足を運ばなかったかなあ、と心底悔やんで。 
 もっとも、いくら悔んでみても、後悔は先に立ってくれないらしい。それは、たしかなようだ。なにせ、いつも失敗したあとにすべてを気づいて、こうして自分を責め立てている。 
 結局のところ、後悔先に立たずとは「いまにして思えば」ということなのだろう。 
 でもさ――かぶりを横に振って、その理に抗おうとする、わたしがいる。
 先に気づけたばら、さぞかし愉快な人生が送れることだろうと、つい自分に都合よく思ってしまう、そんな自分がいるのだ……。 
 ただ、そうはいっても、人生は皮肉で満ちているものだ。なので、人生は一筋縄ではいかなくて、それよりむしろ、後の祭りになってしまうのが、オチのようだ。 
 そんなことを思いながら、わたしは、浅草駅の階段を息を切らしながら、上った。

 やっと、地上に出た。ふと、天空を仰ぐ。 
 薄紙を一枚ずつ剥がしていくように、天候は、ゆっくりと回復してくれている。それは、それでありがたい。 
 なにしろ、わたしにとって、雨音は不吉な予兆の旋律なのだから……。 
 けれども、わたしの心持ちはそれとは逆に、薄紙を一枚ずつくわえるように、かえって、こじれてしまっている。思わず、ため息が洩れてしまう――。 
 スッと、視線を下にずらした。 
 十二歳の誕生日に初めて見た松屋のビルが、いまではすっかりお化粧直しを済まし、見違えるほどお洒落になった姿で誇らしげに建っているのが目に入る。 
 それから、その視線を、今度は舗道に向けてみる。 
 春雨に濡れそぼった舗道の上で、街明かりがチラチラと目にまばゆく揺れている。通行人が、いそいそと、その上を風のように通りすぎていく。なかには、わたしのように重い足取りを引きずって歩いている人だっているのかもしれない。だからといって、それは、だれにもわからない……。   
 その雑踏のなかにわたしも身を紛らせて、雷門の方角へと歩き出した。  

 どうやら、久しぶりに目にした、あのビルの残像が、そうさせてしまうようだ。 
 ふと、わたしの脳裏に、修一くんの面影が、懐かしさと切なさとを伴ってよみがえる。
「いつもさ、まみちゃんに持って帰ってくるあのお土産ね」と人懐っこく微笑んで、「あれ、このデパートで買ってるんだよ」と松屋のビルを指さしていた、遠い日の修一くんの面影が……。 
 このように、あの日から、この街を訪れるたびに、こうして修一くんの面影が脳裏によみがえってしまうのだ。 
 そういえば、彼いまごろ、どこで、どうしているのかしら? 
 低くつぶやいたその次の瞬間、複雑な感情が――懐かしさと切なさとを伴った感情が、ふたたび、胸中で重なった。 
 十二歳の誕生日の、いとおしい記憶。それと、十八歳の誕生日の、その切ない記憶。お互いの記憶が交差した風景が、ロードムービーのように瞼のスクリーンにうっすらと映る。
「まみちゃん、 高校卒業したら、こっちの大学に通わない?」 
 そんな修一くんの誘いに、あいまいな笑みを浮かべていた、十二歳のわたし。
「きょうから、東京での生活、よろしくお願いします!!」 
 そう言って、深々と頭を下げたのに、修一くんの言う通り東京の大学に進学することにしたのに、彼の口から返ってきた言葉に、「ええー」とすっかりうろたえていた、十八歳のわたし。 
 思えば、修一くんと二人で訪れた上野の美術館に、ふたたび、高校二年の修学旅行で訪れたことが、わたしの人生の大きな分岐点になっているらしく思われる。 
 そうやって、とりとめもなく脳裏に浮かぶあれこれ考えながら歩いていると、わけもなく、胸に熱いものが込みあげてきて、それが目頭まで熱くさせていた。

「まみの年ごろって、心に余白がいっぱいあるわ。だから、何でも吸収することができるの。それはたとえば、目に映るもの、心に感じるもの、耳に触れるもの、そうしたもののすべてをね。それほど、多感な時期なのよ、いまの年ごろってね……」 
 だから、上京して、いろんなものを観て感じてきたら――そう言って、十二歳の誕生日に、わたしを東京に送り出していた、故郷の母。 
 あの日、この街で得られた経験は、なるほど母の言う通り、幼い心の余白に輪郭のない感受性を育んでいた、ような気がする。
 そして、高校生の修学旅行で、ふたたび訪れた東京。上野の杜にある、ル・コルビュジェが建築した国立西洋美術館。その企画展で目にした印象派の画家、シスレーの風景画。
 それが、わたしの心に淡く波風を立たせていた。
 いまにして思えば、高校生になったあの季節が、一人の大人としての自分を確立する時期になっていたのだろう。


つづく
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