第97話 reborn:2024年4月

文字数 3,320文字

(T商事が、新しい出発をする)

2024年4月。東京。T商事オフィス。ネット会議。
「それでは、これから、新生したT商事の創立を祝いたいと思います」
新社長が、宣言した。
ここで、整理しておかなければならないポイントがある。それは、新生のT商事の適正社員数は元の半分だという点である。従って、創立式が出来るのかという問題がある。この答えの一例を以下に示す。その前に、読者は、組織改革後のT商事の姿を想像してほしい。どのような姿を描けるかは、読者が年功型雇用による認知バイアスにかかっていないかの試金石になるからである。ここで、2、3分先を読むのは、いったん辞めて、本を閉じて、頭にどんなイメージが浮かぶかを確認して欲しい。
(ここは、休憩時間です)
解答に行く前に、頭を整理しよう。ゼロリセット計画ではなく、時間をかけて、年功型雇用をジョブ型雇用に変換する方法は、一旦、年功型雇用の会社を倒産させて、その後に、ジョブ型雇用の会社を設立して、社員を雇いなおす方法である。この方法では、3か月から6か月の雇用の切れ目が生じる。仮に、雇用の切れ目を6か月としよう。そうすると、この状態は、T商事の新組織ができて、6か月後の姿であるとみなしても概ね正しいだろう。
もうひとつの問題点は、女性優先枠をどこまで適用するかである。この問題は、ゼロリセット後の採用は、継続と考えるべきか、新規と考えるべきかの立場の違いでもある。新規と考えれば、45%の女性優先枠を設定することになる。ここでは、その立場は採らず、継続とみなすことにする。理由は、ジョブ型移行に伴い社員数を半減させるので、同時に、これ以上の組み替えをすることが困難であるためである。それから、この問題は、現在の社員に占める女性比率が影響する。現時点で、女性比率が、45%を上回っていれば、女性優先枠が不要の場合もありうる。ここでは、6か月後の社員に占める女性比率は25%と仮定する。つまり、今後の採用分については、女性優先枠の設定が必要である。
以上の前提で、6か月後に社員数を半分に収束させる手順が求められる。この問題を社員の側からみれば、6か月後に、半数の社員は正式採用が決まるが、残りは採用されないということである。つまり、6か月の間で選択出来る行動は次の3つである。
● 6か月を待たずに辞職する。
● 6か月間暫定採用ののち雇用される。
● 6か月間暫定採用ののち雇用されない。
暫定採用というのは、インターンである。ドイツでは、インターン期間は、無給であるが、T商事の場合には、最低限の生活費が支給されるであろう。「雇用される」というのは、そこで、成果に基づいて、給与額が決定されるということ、あるいは、給与額の決定交渉が成立するということである。成果は、3か月を過ぎたころから評価ができよう。つまり、給与額の交渉は、4か月目以降は可能である。交渉時に、自分が十分に評価されないと考える場合には、6か月を待たずに辞職する。辞職した後は、労働市場があれば、別の企業に就職するが、この時点では、まだ、労働市場は出来ていない。つまり、フライング問題がある。可能な選択は、再教育プログラムになる。もちろん、1年以内には、ジョブ型雇用に移行する企業が増えるので、労働市場が出来る。そこまで、失業のまま待つという選択もあるが、給与を増やすのであれば、最低限、失業期間だけでも、この再教育プログラムを使うべきである。こう考えると、6か月暫定採用ののち解雇されないという選択は、合理的な選択ではないので、例外的な場合になろう。
社内政治が上手で、管理職になる直前の人の場合、「ゼロリセット計画がなければ、管理職になって高給を得ていたはずだから、ゼロリセット計画は、不当解雇だ」と思うかもしれない。しかし、ゼロリセット計画を実施しなければ、企業が潰れているので、これは、あり得ない前提だ。年功型雇用で働いてきた人は、自分の価値を考えていない場合も多い。価値とは、転職した場合に、いくらの給与がもらえるかという視点である。管理職も、基本はインターンでスタートする。この時点で、自分の価値を見直すことになる。
こう考えると、社員全てがインターンでは成り立たない。社長と人事担当の一部は、インターンにはできない。社長は、ヘッドハントすることになろう。この場合には、2年などの期限付き契約でも良いかもしれない。人事担当の一部は、ゼロリセット計画の一部と考えれば、タスクフォースの一部が残って、フォローアップするのが自然だろう。
管理職の手当をもらっていた人は、管理職になれるのだろうか。実は、こうした質問を想定すること自体に、年功型雇用の認知バイアスがある。T商事がゼロリセット計画で、ジョブ型雇用に切り替わった場合、社員一人一人が、どのジョブのインターンを採るかを選ぶことになる。自分の能力を最大限に発揮して、最大の給与が期待出来るジョブを自分で探すことになる。ポストの数は、全体で、ゼロリセット計画の前の半分、管理職のポストは更に減って、4分の1くらいになっているはずである。また、ポストと給与が対応している訳ではないので、給与を増やすために、自分に不向きでも管理職ポストを狙う合理性はない。
年功型雇用では、主体的に仕事を選ぶことを禁止している。典型は、転勤族である。社員は、自分からは何もせずに、上から流れてくる仕事だけをこなしている。これは、明らかに人権侵害なのだが、年功型雇用で10年も働くと一種の奴隷状態になって、自分からは何も考えられなくなる。何しろ、イエスマンであることが、昇進の条件であるから、これは、毎日洗脳されているようなものである。転職と中途退職は、ポストの双六が、振り出しに戻るので、給与面で不利になり、共に考えられない。IT化が進む前には、この人権無視の方法もやむを得ない面もあったかもしれないが、現在は、企業の足枷でしかない。大量生産時代には、洗脳された指示待ち社員は資産だったかもしれないが、IT時代には、自発的にスキルアップして仕事を見つけられない社員は粗大ゴミだ。ゼロリセット計画の最大の課題のひとつは、この洗脳を解くことにあるのかもしれない。
言い換えれば、肩たたきとか、強制的に解雇されたという発想は、年功型雇用に洗脳されている。ジョブ型雇用では、労働者も個人事業者の発想になって、条件の悪い企業から、より条件の良い企業に渡り歩く。企業を辞めたら、良い雇用先が見つからないという心配をするのは、ジョブ型雇用の企業が少なく、労働市場がないためである。労働市場がないので、年功型雇用の企業は、社員が、解雇された後の失業状態に陥らないように、社内失業で抱えていく。これが、逆に、労働市場を作らない社会主義状態を作ってしまう。
アメリカの科学技術の発展は、移民に支えられている。第2次世界大戦によるヨーロッパからの科学者の移民が、戦後の科学技術の発展に大きく寄与している。ソ連崩壊の時にも、優秀な人材がアメリカに渡って、特に、IT企業で活躍している人も多い。ソ連崩壊の時期は、日本のバブル経済の頃だったので、ジョブ型雇用が原則で、労働市場が形成されていれば、ソ連からの優秀な移民は、日本にも渡っていたはずである。それが無かったのは、労働市場がなかったからである。最近、日本の若者の留学希望者が激減してしまった。これにも、労働市場がないため、留学して帰国した場合に、就職できないことが関係している。
管理職の手当をもらっていた人は、退職した先輩に腹を立てるかもしれない。何しろ、年功型雇用をここまで放置しなければ、ハードランディングをしなくてもよかったと思われるからだ。ここには、倫理的な問題があるが、ここでは立ち入らない。
さて、以上を考えて、冒頭の挨拶を訂正しよう。
「それでは、これから、新生したT商事の創立を宣言したいと思います。
6か月後には、インターンの正式雇用が確定します。創立お祝いは、その時に延期して、今回は、スタートのアナウンスに止めます」
ヘッドハンティングされた2年契約の新社長が、こう宣言した。
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