第57話 ワイナリー再訪:2023年9月

文字数 2,894文字

(洋子が、大輔の実験ワイナリーで、ブドウの自動収穫を見学する)

2023年9月。東京郊外のワイナリー。


秋空が綺麗な日だった。洋子は、大輔がブドウの自動収穫機を見せてくれるというので、ワイナリーを再訪していた。

「まあ。随分。ブドウの色がよいこと」
2人は、収穫機がセットされているブドウ棚に近づいた。先日の画像センサーを計測するロボットに、ハサミと小さな袋が追加されている。洋子は、収穫機が唸りを上げて、ブドウを切り取って、大きな収穫箱に入れる姿を想像していたので、意外に思った。
「あんなに小さな袋で大丈夫なのかしら」
「センサーの画像データでは、完熟の80%くらいです。収穫期が、一番、活動するのは、もちろん、100%に近づいた時期ですが、その時期になると、ブドウは、かなり収穫されてしまっていて、ブドウ棚は、歯が欠けたような状態になります。つまり、景観が良くありません。逆に、景観が一番良いのは今の80%の時期になります。そこで、今日、来て頂いたのです。
ここに来ると、収穫機が忙しく、活躍している姿を想像して、がっかりされる方も多いのですが、先日申し上げましたように、収穫システムは、ブドウの一房、一房を計測して、ベストな瞬間に収穫します。と申し上げたいところなのですが、今段階では、収穫後の貯蔵システムが完成していません。ベストな瞬間で収穫したブドウを自動で、冷蔵することができないのです。そこで、この部分は、1日2回、人間が、貯蔵システムをマニュアルで操作しています。収穫機が、貯蔵システムがオンになっている時だけに、稼働しますので、1日2回収穫することになります。それでも、この時期に、収穫するブドウの房の数は少ないので、気をつけないと、収穫機が働いていることがわからないほどです。つまり、あの小さな袋でも充分です。
それでは、これから、貯蔵システムの電源を入れます。こうすると、連動して、収穫機が収穫操作を始めます」
大輔が、貯蔵システムの電源を入れた。箱の蓋が開いて、収穫機が動き始めた。
箱の中には、綿のようなものが見える。
「箱の中の綿のようなものはなにかしら」
「あれは、ブドウを傷つけないようにするクッション材です」
「そういえば、一度だけ、一粒一粒、ぶつからないように綿で包んだブドウを頂いたことを思い出しましたわ」
「ええ、機能はそれと同じです。収穫機は」
と言いかけた時に、収穫機が、やって来て、箱の隅に、静かにブドウを置いて、立ち去った。大輔は続けた。
「収穫機は、こうして箱の中に順番にブドウを並べます。未解決の部分は、箱が、ブドウで埋まった時の対応です。これは、箱を複数並べて、ブドウが重なりそうになったら、次の箱に移ればOKです。もうひとつの課題は、冷蔵システムです。冷たい空気は、重いので、箱に冷たい空気を入れます。しかし、風が強いとうまく行きません。風除けをつける方が良いかも知れません。こうした問題解決には、お金をかけてハードをつぎ込む方法もあります。しかし、雨の降っている日には、ブドウは収穫しません。それなら、風の強い日にも無理に収穫することはないかもしれません。こちらの条件を緩和すれば、ハードの条件が緩和され、コストが下がります。もちろん、雨続きの場合には、収穫が遅れるブドウが出てしまいます。つまり、全てのブドウをA級品にはできません。B級品も出ます。この歩留まりをどの程度に設定するかで、システムの設計が変わります。貯蔵システムが未完成というのは、データを集めて、この歩留まりの設計をしているということです」
「つまり、個別のブドウの房に合わせた収穫システムを構築しているが、天候や、コストの制約で、100%目的を達成するシステムは作れないので、妥協点を探しているということね」
「そういうことです」
2人が、ブドウ棚の方に歩いて行くと、収穫機が順番に画像データを収集しながら、収穫作業をしていた。完熟のブドウのところに来ると、ハサミが作動して、切り取ったブドウを袋に入れていた。動作は、人間と比べると、非常にゆっくりしているところと、急いでいるように見えるところがあり、ちょっと、ユーモラスだった。
「明日以降も雨が続き、次の晴れの日には、収穫適期を過ぎているとしたら、収穫適期より早くとも、収穫するのが正解です。収穫機は、その判断もしています」
「収穫機を見ていると、頭脳のないロボットに見えますが、実際に行っている判断は、人間にはできないような複雑なものなんですね」
「ええ。でもそれを行うためには、データが必要になります。ここでは、気象台のデータも使っていますが、それだけでは、信頼性が低いので、ワイナリーには、独自の気象観測装置をつけ、更に温度センサーを多数設置してあります。このデータを使って、独自に、天気予報もしています」

洋子には、ブドウの房が、有権者と2重映しになって見えた。このワイナリーのブドウは、天候とコストの制約の中で、個性を最大に発揮するように管理されている。日本の政治では、有権者は、個性を無視して、ひとまとめに扱われている。大型の収穫機が、ブドウの房毎の違いを無視して、音を立てて、一括してハサミで切り取る方法だ。ITを使えば、有権者、一人、一人の個性にあった政治が出来る。しかし、無制限になんでも出来る訳ではない。データを集めて、スコアをつけて、一歩、一歩、地道に改善していくしかないのだ。それにしても、有権者という人間をブドウの房以下に取り扱う、今までの政治とはなんだったのか。洋子はめまいを覚えた。

「洋子さんは、ワイン蔵を見たことがありますか」
「ワイン蔵って、ワインの樽を保存して置く場所のことね。いえ、今まで、見たことはありません」
「それでは、シャトーの地下がワイン蔵になっているので、ご案内しましょう」
2人は、シャトーの地下にあるワイン蔵に向かった。

ワイン蔵は、真っ暗な中に通路が見えた。暫くすると、目が暗闇に慣れてきて、通路の両側にワインの樽が並んでいるのが見えた。辺りは、湿気が多く、黴臭さかった。
「ドラキュラでもでそうですね」
洋子が言った。
「こんなですか」
大輔がふざけて、ドラキュラの真似をした。
「ええ。ええ。そんなです」
洋子も調子を合わせた。
「通路の反対側はどうなっているのかしら」
「行ってみましょう」
2人は、通路の突き当りまで行ってみた。そこは、行き止まりだった。
「ここで、終わりですか」
洋子が尋ねた。
「昔は、隣のワイン蔵につながっていたようですが、今は、封鎖されています。戻りましょうか」
「ええ」
2人は向きを変えて、手を繋いで、元来た方向に引き返した。
向きを変えて、2,3歩歩き出したときだ。
洋子は、何かに躓いて、バランスを崩して、転びそうになった。
大輔が思わず、繋いでいた手を払って、洋子が転ばないように、両腕で洋子を抱きしめた。
洋子は自分の胸を通じて、大輔の心臓の鼓動が伝わってくるのを感じた。
大輔の胸は、大きく暖かった。
大輔が、洋子の耳元でささやいた。
「好きだよ」
「わたしも」
洋子が答えた。
唇と唇が重ね合わされた。

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