ネコは嘘をつかない

文字数 941文字


画像提供:@nmoamon さん




 自動販売機で飲み物を買うネコを見たことがある。
 大学の構内の片隅にある自販機で、僕の他には誰もいなかった。どうやってコインを入れたのかはわからない。僕が通りかかったときに、ぴょんとジャンプしてボタンを押して、取り出し口からペットボトルを取り出していた。
 当時の自販機は今と取り出し口の形が違って、ネコの手でも取り出せるようになっていたのだ。ボトルを器用に咥えて走り去ったネコを、ただ呆然と見送ることしかできなかったことを覚えている。
 衝撃的な光景を見た僕は、興奮気味に仲間にそれを話したが、誰も信じてくれなかった。証拠の写真でも撮っておけばよかったんだけど、あいにく当時はまだ、カメラ付きケータイが普及する少し前だった。
 あれから二十年ほどたった今でも、折に触れてあの光景を思い出す。
 今日もそうだ。娘に、ネコさんは賢い動物なんだと教えているとき、ふとあの出来事を話したくなった。
「パパはね、ネコさんが自動販売機でお買い物をするのを見たことがあるんだ」
「パパ、嘘つきなの?」
「嘘つきじゃないさ」
 純粋そのものの目で見つめられると、嘘をついていないのに、なんだか困ったような気分になってしまう。
 あのとき、大学の仲間はみんな「嘘だ」と言って信じてくれなかった。
 唯一僕の話を否定せず、最後まで聞いてくれた女の子がひとりだけいた。
 それがとにかく嬉しくて、他の出来事も何かにつけて彼女に話すようになり、自然と一緒に過ごす時間が増えた。
 そうして彼女は、後に僕の妻になり、この子の母になった。
 だけど、今は妻は僕の話を信じてくれたわけじゃないことを知っている。
「ママはね、パパのことが大好きだったんだよ」
 つまり、妙なことを言い出しても、ちゃんと話を聞こうと思う程度には、僕のことに興味を持ってくれていたのだ。
「パパは嘘つきだから、信じちゃダメよ」
 キッチンから声が飛んでくる。
 そうだ、嘘つきだ。彼女は今だって僕のことが大好きで、僕だって彼女が大好きなのだ。大好きだったなんて過去形は、照れ隠しの大嘘だった。
 夜になり、娘が寝た後に、妻がふと尋ねてきた。
「そういえばさ、あのときネコは何を買ってたの?」
「水だよ」
 当たり前だ。ネコはコーヒーを飲めない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み