奇観百景 旋回竹林

文字数 1,146文字











能登 崇

「行きたいところがある」
 先輩に頼まれて車を出した。親父譲りのオンボロクーパーは、寒くなるとエンジンのかかりが悪くなってくるので、秋とはいえ早朝の出発は少し不安だった。
 なんとか無事に目的地に着くと、そこはものすごく背の高い竹林だった。
 車を駐めて竹林の中へと続く道を歩いていく。
「すごいだろ、上を見てみろよ」
 長い竹はどこまでも空に向かって伸びていって、終わりが見えない。秋の早朝らしい薄い青空はかけらもなく、全てが緑で覆われていた。
 ずっと上を見ていると徐々に平衡感覚がなくなってきて、思わず隣の先輩の肩につかまってしまった。
「あっ、すみません」
「大丈夫か?」
 先輩からやさしい言葉かけられるは珍しい。とっさに返事ができなかった。ノースリーブのブラウスを着ていたので、直接腕に掴まってしまった。すぐに離さなければと思ったが、一人で立つことが急におそろしくなった。
「空が……」
 独特な感覚を説明できず、空が見えないことだけが言葉になった。地面がここにないような、身体が宙に浮いているような、不思議な感覚に支配されていた。
「説明してなかったな。ここは旋回竹林だよ」
 先輩が笑いながらこの場所について説明してくれた。
「二人でいるとわからないかも。ちょっとそのまま進んでみろよ」
 先輩から離れておそるおそる先に進んでいく、距離感もおかしくなっているので自信がないけれど、二十メートルほど奥へ移動した。
「地面が壁に……」
 振り返ると、奇妙な光景が目の前に広がっていた。地面がねじれ、先ほどまで自分も立っていた場所が九十度傾き、先輩が壁に垂直に立っているように見えた。
「そのまま」
 促されるまま進むと、ねじれはさらに強くなり、今度は百八十度回転している。先輩が天井にくっついているように見えたけれど、そこは天井ではなく地面だ。竹は地面から垂直に伸びているので、
「重力が狂って壁が地面になって、天井が地面になって、一回転してまた戻る」
 先輩の声がやけに遠くに感じた。百メートルほど進むと一周して、今度は竹も先輩も当たり前に立っている。道の途中に意識を移した瞬間、意識がねじれて自分がどこにいるかわからなくなってしまった。その場にいるのが怖くなり、小走りで先輩の元へ戻る。
「なんですか、ここ」
 早く帰りましょうと訴える僕に、先輩は頷いてから、ぽつりと疑問を口にした。
「ところでお前、そんな顔だったっけ?」
 心底不思議そうに言う。
「妙な冗談やめてくださいよ!」
 ごめんごめん、と謝っていても、先輩の目は真剣なままだ。
 じっと手を見るが、掌紋が渦を巻いているように感じた。
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