奇観百景 戻り岩
文字数 1,027文字
「行きたいところがある」
先輩に頼まれて車を出した。親父譲りのオンボロクーパーで、海へ行くのは初めてだった。
夏の海にふたり、デートみたいだな、と密かに思ったが、先輩はそんなことまったく考えていないだろう。先輩の頭の中はいつも奇妙な景色のことだけだ。すっと通った形のいい鼻の先が向いた先に、今日の目的地があった。
「戻り岩だ」
いつもよりも見た目のインパクトはない。海岸に大きな岩が積まれているだけに見える。珍しいとは思うけれど、先輩が惹かれるほどとは思えない。
僕の反応が薄いからだろう。先輩は「まあ見てなって」と言いながら岩をのぼり、戻り岩の横に立った。こうして比較してみると、確かに大きい。昔の人がやったのは自然現象なのはわからないけれど、このサイズの岩が不安定な土台に乗せるのは難しかっただろう。
「おりゃ」
長い足を岩に当て、体重をかけて下に落とす。もともと不安定な形で積み重なっていたものなので、いとも簡単に転がり落ちてしまう。
「ちょっと、だめですよ!」
ここに来る途中で案内板を見た。名所にもなっているのなら、損壊すればただではすまないだろう。復旧にかかる費用を請求されたら、ただの学生の僕らには払えない金額になる。
「いいから、見てなって」
先輩は余裕の笑みを浮かべている。微笑むというよりも、悪巧みをしているときのにやっとした表情だ。
先輩から岩に視線を移すと、カタカタと動き始めた。見間違いかと目を疑ったのもつかの間、岩はビデオを逆再生したみたいに、転がり上がって、元あった場所に収まった。
「これが、戻り岩」
先輩はケータイをかざして動画を撮影し終わった先輩が嬉しそうに言う。
「もしもあの石の間に身体を挟まれたら、どうなると思う?」
「どうなるって、そりゃ……」
あんな大岩に押し潰されたら死んでしまう。当然全力で押しのけようとするだろう。しかし、これは戻り岩だ。脱出する前に、岩は元あった位置に戻ろうとする。それを何度も繰り返していくうちに、岩を押しのける力もなくなっていく。最終的には、岩にすり潰された肉になって、海に流されてしまう。
自分の想像にゾッとしていると、いつの間にか岩から離れて近くに来ていた先輩が、僕の耳元で囁いた。
「試してみようか」
「勘弁してくださいよ」
こんなところで挽肉になりたくない。嫌な予感がして、慌てて先輩から距離をとった。
その光景を見たくてしかたがないのだろう。冗談だと片付けるには、先輩の目は真剣すぎた。