奇観百景 山頂氷柱

文字数 1,035文字

「行きたいところがある」
 先輩に頼まれて車を出した。親父譲りのオンボロクーパーは、冬の雪山には耐えられず、結局途中で降りて歩く羽目になった。
「くそまた脚がはまった」
「先輩、無茶ですよ」
 街用のダウンジャケット一枚で冬の登山は命に関わる。できれば今のうちに引き返しておきたい。
「装備だって、何にもないんですよ」
 先輩もコートとブーツは身につけているものの、どう見ても登山用ではない。
「装備ならある」と自身がかけているサングラスを指した。
「雪山は照り返しが強いから、目をやられる可能性がある」
「だったら僕の分も用意しておいてくださいよ」
「本当なら、車で最後まで行けるはずだったんだよ」
「だめだったじゃないですか」
「いいか、ここの雪は汚い」
「はあ」
 言われたとおり、この道の地面は灰色に汚れていた。その汚い雪がさっきから靴の中に入って溶けていくので不快感がすごい。
「はあじゃないよ、はあじゃ。汚いってのはつまり、排気ガスで汚れてるんだ」
 なるほど、本来なら車が通れる道だって言いたいわけか。
「俺の車、クーパーですよ、クーパー。ローバーじゃなくて」
「早く買い換えろ」
 勝手なことを言う。そんな金があればとっくに買い換えている。
 散々文句を言いつつも、どうにか目的だった山頂まで着けた。車から山頂まではほんの少しの距離だったのだけど、雪のせいで三十分もかかってしまった。
「見ろ、あれだ!」
 先輩が山頂から伸びている氷を指して歓喜の声をあげた。
「山頂氷柱だ」
 二メートルほどの氷柱ができていた。いや、地面から生えているので正確には氷筍と呼ぶべきだろうか。
「山頂の半径三センチにだけ雨が降り続けて、冬の間めきめきと育った山頂氷柱だよ。この地域ではここでしか見られない」
「そんなこと、あり得るんですか?」
「あり得るも何も、実際にこうして目の前にあるんだから、そうだろう」
 記念写真を何枚か撮り、早めに帰ろうとしたら、先輩に引き留められた。
「待て、これでな、かき氷を作るとうまいらしいんだ」
 好奇心のお化けめ。先輩は氷柱の先端を折って、嬉しそうに振り回している。冷たくないのだろうか。折っちゃっていいんですか、と不安になるが、またすぐに伸びるから大丈夫と笑っている。お前にもつくってやるぞ、と上機嫌だ。
「今は絶品かき氷より、まずいスープの方が飲みたい気分なんですけど」
 結局、下山してから作ったかき氷は、先輩が全部食べてしまったので、本当においしかったかはわからずじまいになってしまった。
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