ヒゲと暴飲
文字数 1,056文字
悩みはあるか、と聞かれたら、迷わず「ヒゲ」と答える。
俺は誰よりもヒゲが濃い。どのくらい濃いかというと、顔が見えないくらい濃い。額からも、頬からも、鼻からも、顎からも、どの部分からも髪の毛ように太くて長いヒゲが生えていて、毛がない部分は眼球と唇だけだ。
やさぐれて飲んだくれる生活を送っていたら、学生時代の友人たちから、合コンに誘われた。
「でもさ、相手は美容師だぞ」
「だから何なんだよ」
何なんだと思ったけれど、意外と何が起きるかわからないのが人生だ。美容師のなかに一人、俺のヒゲに興味を持ってくれた人がいた。
妙に話が盛り上がり、最終的には「カットしてみたい」と閉店後の店舗に連れて行かれた。
彼女はこの店で店長をしているという。
美容師だけあって、髪はキレイに手入れされており、俺のただ伸ばしたヒゲと違って、しっかり整えられていた。
光沢を持つ茶色い髪を後ろで束ねた彼女の横顔は、輝いて見えた。
促されるままにイスに座ると、「前だか後ろだかわかんないね」と鏡に映った俺の顔を見て改めて笑う。
「ここまできてなんだけどさ」
今更だったが、気になっていたことを告げた。
「ヒゲを剃るには美容師ではなく、理容師の資格がいるんでしょ?」
資格を持っていたとしても、酔った状態で刃物を扱っていいかはわからない。
ばっさりとハサミを入れると、徐々に輪郭がわかるようになってきた。
「意外と普通の顔なのね」
呪いを解いてもイケメンの王子様が出てくるようなことはない。ヒゲが濃いこと以外は普通の人間なのだ。
顎の下から生えている毛を残して三つ編みにしてみたり、眉付近の毛をワックスで固めてクリボーのようにしたり、鼻の先の毛を束ねて像に見立ててふざけたり、散々遊んでから、キレイさっぱり剃ってもらった。
自分の顔をまともに見られたのは、第二次成長期以来初めてだ。
「ありがとう」
終電はとっくになくなっていたので、そのまま朝まで店で過ごした。コンビニでいくらかのお酒を買って、他愛のない話をして過ごした。
どんなに喋っても口に毛が入らない快適さに感動して、夢中で話をするうちに、空はすっかり明るくなっていた。
「俺のヒゲを面白がってくれた人は、初めてだよ」
顔の見えない相手が怖くなかったのか、という質問にも彼女は笑顔で答える。
「すごく友達と仲良さそうだったじゃない。だからいい人なんだなって」
「……そうか」
嬉しくなって笑顔になったら、頬から生えた毛が目に入って涙が出てきてしまった。俺のヒゲは、濃いだけじゃなくて、伸びるのも早い。