のぼるシャボンと落ちる島

文字数 1,134文字

「見て! 見て!」
 サオリがはしゃいだ声を出す。彼女は島の外から来たので、ペギーを体験するのは初めてなのだ。
 ペギーはミントのような香りのする植物で、ひどくネバネバとした液を出す。うっかりペギーの生えた場所を歩くと、服が汁で汚れてしまう。油分を含んでいるのか光にあてると虹色にテラテラ輝くその汁は、洗濯機で洗ったくらいじゃ落ちないので、島の専門のクリーニング店に出すか、諦めて捨てるか選ばなくちゃいけなくなる。
 だから俺はペギーがあまり好きではなかった。
 だけどそんな変な草にも、唯一使いどころがあった。シャボン液に混ぜると割れなくなるのだ。ペギーを混ぜた液でシャボン玉をつくると、不思議な現象が怒る。ふわふわと空中を漂うシャボン玉の上に乗れるようになる。
 島の人間は子供の頃に散々遊んで飽きているけれど、島外からの旅行者には抜群にウケがいい。だから、島の貧弱な観光名所を回りきって退屈そうにしている旅行客を見つけたら、ペギーのシャボン玉を教えてあげることにしている。
 今日出会ったサオリも、シャボンからシャボンに飛び移って「たかーい」「すごーい」と楽しんでくれた。
 その日の夜、部屋で漫画を読んでいると、窓をコンコンとやさしく叩く音がした。
 俺の部屋は民宿の二階にある。客として泊まっているわけじゃない、実家がここで、手伝いながら暮らしているだけだ。
「来ちゃった」
 ロマンチックな訪問に、胸が高鳴らないといったら嘘になる。サオリはペギーをいくつも膨らませて、階段のようにして俺の部屋までのぼってきたのだ。
 だけどペギーには、まだサオリに教えていない特性があった。粘性が高くなるのは日光を浴びているときだけだ。だから島のクリーニング店は、いつも夜通し稼働している。
「気をつけて、すぐ割れるよ」
「えっ」
 驚きの声と同時に、サオリの身体は地面に向かって落ちていった。二階とはいえ、そのまま落下したら無事では済まないだろう。だけど、俺の部屋の下には目立たないようにネットを張っているので、怪我をすることはない。
 実はこうして夜中に遊びに来て、落ちるのはサオリが一人目ではなかった。今まで何人もの女の子が、サオリと同じ結末を辿っている。
 俺だって楽しめないわけじゃない。でも俺は、夏の素敵な思い出づくりのために生まれてきたわけじゃないのだ。
 ペギーについて教えなかったことと、あらかじめネットが張ってあったこと、つまりこのロマンチックはありふれたものだと気付くと、女の子は怒って帰ってしまう。それでいいと思っている。
 だからペギーは好きになれない。
 俺はただ、怪我なんかでこの島の思い出を台無しにしてほしくないだけなのに、たったそれだけのことが、どうしてもうまくいかなかった。
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