なりそこない
文字数 1,020文字
彼との出会いは突然だった。
深夜に部屋の窓が割れて飛び込んで来たのだ。何が起きたかわからなかったが、俺はとっさに顔を庇った。それがよかったらしい。窓を突き破って侵入してきた白いひものような何かは、顔をめがけて突進してきて、俺の右手に阻まれた。
右腕に突き刺さったそれは、手の中に潜り込み、なんと一体化してしまったのだ。
「私は……失敗したのか?」
突然しゃべり出した自分の右手を見て、思わず叫び声をあげた。
「うわあ、見たことある!」
「我々の侵入はこれが初めてのはずだが……」
「違うよ。漫画だよ」
不朽の名作なのに、読んでいないのか、この生命体は。
漫画に倣って、彼のことは右井さんと呼ぶことにした。よく喋る以外は害がなく、むしろ軽快に会話が弾むので、いい話し相手になった。ただひとつ問題があった。目と口が目立つので、常に手袋をして過ごすしかなくなった。
このままでは就職もままならない。悩んだ末に、俺たちは腹話術師として活動を始めた。
俺たちの芸は「本当に二人で漫才しているみたい」と大評判になった。当たり前だ。
活動から三年ほどで、ネタ番組だけでなく、バラエティ番組にも頻繁に呼ばれるようになり、徐々に活動が軌道に乗ってきた。
芸歴五年目の夏、右井さんの様子がおかしくなった。コメントを振っても答えが返ってくるまでにワンテンポ遅れるようになったし、頻繁にネタを飛ばすようになった。
挙げ句の果てに「休みがほしい」などと言い出した。「一人の時間がほしい」とも。
「おいおい、せっかく売れてきたんだ。今が一番大事な時期なんだぞ」
「それ去年も言ってたよな」
いつだって勝負の年だ。休んでいる暇などない。
口論になる頻度はどんどん短くなり、そのたびに激しさを増していた。
「お前なんか、俺がいなけりゃ何もできないくせに。芸人のなりそこないめ!」
一年の休止期間を経て、俺は舞台に復帰した。演目はもちろん腹話術漫才。
「そしたらね、動かなくなっちゃったんですよ」
『やめときや』
舞台に出ても、右井さんは黙ったままだ。一年前にコンビは解散した。「なりそこない」の言葉に激高して、机に強く叩きつけたら、それ以来動かなくなってしまったのだ。
右井さんのことは諦めて、それから一年かけて腹話術の猛特訓をした。
つまり、俺は普通の腹話術師になった。もう誰も俺をなりそこないだなんて言わせない。
さあ、今日も客を笑わせるぞ。俺は右手に人形をはめると、舞台に躍り出た。