第57話 ヤマト平定

文字数 752文字

 終戦ののちも、磐余彦は諸将に命じて兵の訓練を続けた。
 ニギハヤヒ率いるヤマトが降伏したとはいえ、いまだ四方に敵が存在していた。
 ヤマト兵を併合した軍の総指揮は、新将軍に任じられた道臣が()った。
 他の日向の諸将も、ヤマトが降伏した後も抵抗を続ける勢力との戦いに、忙しい日々を送っていた。
 
 波哆丘岬(はたのおかさき)(奈良市赤膚町(あかはだちょう))には新城戸畔(にいきとべ)という手強い女族長がいたが、来目がこれを攻めて滅ぼした。
 また和珥(わに)(天理市)の坂下に居勢祝(こせのはふり))、臍見長柄(ほそみながら)丘岬(おかさき)御所(ごせ)市)には猪祝(いのはふり)という豪族がいたが、従わなかったので滅ぼした。
 高尾張邑(たかおはりむら)土蜘蛛(つちぐも)は、(くず)の網を仕掛けて捕らえた。これにちなみ村名を葛城(かつらぎ)と改めた。
 ほかにもさまざまな戦いに明け暮れたのち、ついにヤマトとその周辺は平定された。

 それを祝って天香具山(あまのかぐやま)の土を取って平瓦(ひらか)を作り、磐余彦が自ら斎戒(さいかい)して神々を(まつ)った。
 この土を取った場所は埴安(はにやす)と名付けられた。
 椎根津彦はヤマトの豪族たちの中で、これはと思う人物を身分に(かか)わらず選び、新しい体制を構築する準備に余念がない。
 都の建設、軍の編成、食糧の安定供給など、やらねばならないことは山ほどある。
 来目や隼手、弟猾、弟磯城、八咫烏らも、それぞれの役目を果たすべく懸命に働いている。

 そんな折、玄狐(げんこ)が死んだとの報せが届いた。
 来目によれば、玄狐はニギハヤヒの館を訪れた直後に行方知れずになったという。
 従者の話では、館を出て屋敷に戻る途中で野盗に遭い、さらわれたとのことだった。 
 三日後に発見された時は、市中を流れる小川の中に首を突っ込んで息絶えていた。
 亡骸は体中が傷だらけで、致命傷は鈍器――石椎(いしづち)のようなもの――で頭を殴られて殺害されたとのことだった。
「どうせ誰かに恨みを買ったんでしょう」
 来目が表情を変えずに磐余彦に報告した。

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