第13話 蛇行剣の女

文字数 2,882文字

 ホウ、ホウ――
 (ふくろう)が鳴いている。
 夜も更けて、村の中は静まり返っている。宴に疲れた隼人の村人も深い眠りに落ちている。
 磐余彦の一行は、隼手が用意してくれた賓客(ひんきゃく)用の高殿(たかどの)で眠っている。
 夜明けまではまだ(しばら)く時間がある。

 そのとき、寝ていたはずの日臣が暗闇の中で僅かに身を起こした。
「何か来ます」
 磐余彦に近づいて耳元で囁く。手には素環頭大刀(そかんとうのたち)が握られている。
「分かっている」
 磐余彦が静かに答えた。磐余彦もまた、異変に気づいている。
「これ、来目」
「分かってまさあ」
 ぱちっと目を開けた来目は静かに起き上がり、「ちょっと見て来ます」と言って闇に消えた。
 来目は熊襲の男らしく、狩りが得意である。
 森の中でも自由に動き回れるだけでなく、気配を消して獲物や敵に近づき、一撃で仕留める力も秘めている。
 敵の村に忍び込んでの偵察や、人懐こさを発揮して、何気ないやりとりからの情報収集にも長けている。
 ひとことで言えば忍び――この時代にはまだ存在しないが――のような存在である。

 五瀬命はまだ高いびきをかいている。昨夜は隼手に相撲で負けたこともあり、芋酒を浴びるほど呑んだのだ。
 磐余彦が五瀬命の身体を揺すって起こしたとき、ちょうど来目が戻ってきた。
「環濠の北側に立ってる木の上に、人の気配がありますね。それと入り口から百歩ほど離れた茂みにヤマトの兵が潜んでます。数はざっと三十」
 この環濠には老若男女、数百人の隼人族が暮らしている。
 環濠の高さは約三メートル。外側には水を張った掘があり、何重にも巡らせている。
 入り口の扉は()ね橋になっており、橋を上げてしまえば、大軍が攻めてきても簡単には破られない。

 だが、まったく弱点がないわけではない。
 北側の塀に近い場所に大木が数本そびえている。そこを伝って誰かが環濠内に忍び込み、内側から橋を下ろせば軍勢を引き入れることが可能だ。
「隼人の兵士は?」
「まだ寝てますね。昨日あれだけ騒いだから仕方ないけど」
「そうか。寝込みを襲われたら火の海になる」
 ふだんは夜を徹しての見張り役がいるはずだが、昨夜は村を挙げての宴が開かれ、見張り役たちもうたた寝をしているようだ。
 それを承知の上で、ヤマト兵は奇襲を仕掛けるつもりなのだ。

 一瞬思いを巡らせたのち、磐余彦は来目に言った。
「とりあえず、隼手(はやて)王子に知らせねば。我らはヤマト兵が環濠に侵入したところを、背後から襲うと伝えてくれ」
「了解でさあ」
 来目はふたたび音もなく闇に消えていった。
 こちらの戦力は磐余彦、五瀬命の兄弟と日臣、来目のみ。勇猛で知られる五瀬命や日臣がいるとはいえ、数の上では圧倒的に不利である。
 だが磐余彦は、不思議なほど落ち着いていた。

 環濠の橋が静かに降りてきた。
 先に侵入したヤマト兵の仕業である。兵士の一団がひたひたと環濠内に吸い込まれていく。
 先頭に立つ男は鹿角の(かぶと)を被っている。クマシカデに違いない。
 侵入者がまさに隼人の集落に襲いかかろうとする寸前、
「待て!」磐余彦が声を上げた。
 ぎょっとして振り返るクマシカデとヤマト兵たち。
 環濠の入り口を(ふさ)ぐように、三人の影が見える。
 磐余彦、五瀬命、日臣である。
 最初は動揺したヤマト兵だったが、こちらが寡兵なのを知ると逆に取り囲んだ。返り討ちにしようという肚だ。

「なぜ隼人を狙うのだ?」
 クマシカデの正面に立った磐余彦が問い質す。
「知れたこと。穀璧を奪えば隼人が従う。日向も筑紫も同じ、すぐに吾らのものだ!」
 クマシカデが憎悪の感情を露わにして叫んだ。
「それはヤマト王の命令か?」
「いや、父も兄も小国に甘すぎる。吾が筑紫王となって吾の力を父に認めさせてやる。これはその始まりにすぎない!」
「ここにはお前に従う者などいない。大人しく帰ってはどうだ?」
「それなら、皆殺しにするまでだ!」

 その時、ウオーッという雄叫びを上げながら、黒い集団が横から猛烈な勢いで突進してきた。
「山犬だ!」
 何十頭もの狼が猛烈な勢いで走ってくる。だがよく見ると、獣の毛皮を被った人間の一団である。
 ただし剣や槍、斧を手に、血走った目で迫り来るその姿は、狼そのものだった。
「ウオーン」という遠吠えが、おどろおどろしさを倍加させている。
 ヤマトの兵たちはその不気味さに怯えて棒立ちになり、逃げ出す者も現れた。
「待て、逃げるな、戦え!」
 クマシカデが狂ったように叫ぶが、もはや統率が取れない。完全に恐慌を来している。

 逃げ惑うヤマトの兵に矢の雨が降り注ぎ、ばたばたと倒れていく。背中には何本もの矢が刺さっている。
 刺さった矢を抜こうとした兵が、あまりの痛みに悶絶する。
 抜けないのも道理で、(やじり)は隼人独特の二段逆刺鉄鏃(にだんかえりてつぞく)が付いている。
 破壊力が高いうえに鏃の先が二段になっており、無理に抜こうとすると肉までそぎ取られてしまう。
 恐怖にかられたヤマト兵は、蜘蛛(くも)の子を散らすように散り散りに逃げていった。
 気がついた時には、クマシカデは敵陣の只中にぽつんと取り残されていた。
「どけ、どけ!」
 クマシカデは血路を開こうと、必死になって剣を振り回した。

 包囲の輪が崩れかかった時、日臣がすっと歩み出た。
 日臣はクマシカデの剣を軽く受け流すと、入れ違いざまにクマシカデの剣を叩き落した。鮮やかな剣さばきである。
 無腰のクマシカデの前に立ちはだかったのは隼手である。
 隼手を見てクマシカデがにやりと笑った。小兵で組み易しと踏んだようだ。
――こいつを人質にすれば、包囲から逃げられるだろう。
 だが、その甘い考えはすぐに吹き飛ばされた。
 隼手が低い姿勢から猛烈な勢いで突進した。
 がちん、と頭と頭が衝突し、あまりの衝撃にクマシカデの目から火花が散った。
 気がつくとクマシカデは、二間(三・六メートル)も吹き飛ばされていた。
「すげえ石頭だ!」
 駆けつけた来目が震え上がるほどの強烈な頭突きである。
 
 脳震盪(のうしんとう)を起こしたクマシカデの背後に回った隼手は、間髪を容れずクマシカデの身体を持ち上げ、
「ソーラヨイ!」
 という掛け声とともに高く放り投げた。見事なまでの怪力である。
「うわっ!」
 宙を舞うクマシカデを待ち構えていたのは、なんと阿多比売(あたひめ)である。
 隼人の象徴である穂先に蛇行剣(だこうけん)が付いた槍を構え、落下してくるクマシカデの身体をずぶりと貫いた。
――ぎゃあ!
 絶叫とともにクマシカデは地面に落ち、二度と起き上がらなかった。
 兄と妹による見事な連係で、父の仇を討ったのである。
 
 阿多比売は返り血を浴びたまま仁王立ちになっている。その姿は昨夜見た控えめで楚々とした印象とはまったく違い、猛々しさに溢れていた。
「おっかねえ……」
 そう言ったきり来目が絶句した。
 宴会ではただ可愛い女としか思わず、危うく口説こうとした。うっかり手を出していたら、どうなっていたか――。
 来目の背筋に冷たい汗が流れた。

「敵の大将を討ち取ったぞ!」
 隼手が右手を高く上げて叫び、ウオーンと吠えた。
 それに合わせて隼人の兵士たちも一斉に吠え、勝鬨(かちどき)を上げた。
 ウオーン、ウオーンという雄叫びが薄闇の中にこだました。

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