第35話 一騎打ち

文字数 1,268文字

 日臣(ひのおみ)長髄彦(ながすねひこ)の一騎打ちが始まった。
 
 ぶん、と(すさ)まじい風音を立てて長髄彦の剣が上段から日臣を襲う。
 髪の毛一枚の差でかわした日臣が右手に持った剣で長髄彦の胴を横に払った。
 剣先が身体に触れる寸前で、長髄彦がそれを受け止める。
 返す刀で長髄彦が突くと、今度は日臣が身をよじらせて避ける。

 剣がぶつかる度に火花が散り、キン、キンと金属音が響く。
 砕けた金属片が互いの顔や腕に刺さって、血が(にじ)んでいる。
 それでも互いに一歩も引かない。
 来目(くめ)が加勢のため長髄彦に矢を射かけようとするが、からだが素早く入れ代わり、狙いが定まらない。
 下手をすると日臣に当たってしまう。
「駄目だ、動きが速すぎる」
 ムササビやウサギ狩りの名手といわれる来目でさえ、固唾(かたず)を呑んで見守るしかない。
 優れた剣士同士の戦いは、他の者のつけ入る余地がないほど凄まじかった。

「やるな、おぬし」
 長髄彦が戦いを楽しむようににやりと笑った。
「吾もヤマトきっての武将と剣を交えることができて光栄です」
 その後も何合か剣が交わされると、長髄彦の息が次第に上がってきた。
 年長のぶん明らかに疲労が大きい。
「まずい」
 少彦名(すくなひこな)が初めて見る長髄彦の劣勢だった。
 少彦名は急ぎ弓に矢を(つが)えて放った。当たらなくとも二人を引き離せればよい。
 日臣が飛来する矢をかわした隙に、わずかに体勢が崩れた。
「今です」
「おう!」

 だが長髄彦が選択したのは逃げることだった。
 そしてそれは正しかった。
 いったん体勢を崩したかに見えた日臣は、左手に持った(さや)で地面を突き、身を起こしていた。
 一気に間合いを詰めるには距離がありすぎた。
 このまま考えなしに斬りかかっていたら、斬られたのは長髄彦のほうだったろう。
 それは長年の実戦で学んだ鉄則である。
「助かったぜ」
 待っていた少彦名に長髄彦が礼を言った。

「あっちで敵の大将を足止めしています」
 少彦名の言葉通り、窪地におびき寄せられた五瀬命の部隊は、たちまち何倍もの敵兵に囲まれていた。
 頭上から降り注ぐ矢に、兵士たちがばたばたと倒れていった。
 長髄彦は少彦名から受け取った弓に矢を番え、狙いを定め素早く放った。
 うなりをあげた黒い筋が五瀬命めがけてまっすぐ飛んでいく。
「うっ!」
 五瀬命の肘に矢が突き刺さった。(やじり)にはとりかぶとの毒が塗られている。
 五瀬命がうめき声を上げ、のたうち廻った。
「下がれ。退却せよ!」
 磐余彦(いわれひこ)の号令に、吉備と日向の軍勢は退却を始めた。
 日臣と来目が殿軍(しんがり)を務め、隼手(はやて)椎津根彦(しいねつひこ)が磐余彦を守りながら後退した。

 井守(いもり)家守(やもり)の愚兄弟は、形勢が不利だと知るやどこかへ消えてしまった。
 しかしすぐに見つかって、敵兵に囲まれた。
 その輪の中からヤマトの副将、少彦名が現れた。
「あっ、お前はあの時の百姓!」
(だま)しやがったな」
「ふん、騙されるほうが悪い」
 身体は小さいが、井守と家守が(かな)う相手ではなかった。
 二人はたちまち少彦名の剣の露と消えた。

 もう一人、混乱の中で忽然(こつぜん)と姿を消した男がいた。
 その男、玄狐(げんこ)はなぜかヤマト兵に守られ、いずこへと消えていった。

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