第11話 犬吠え

文字数 2,515文字

 磐余彦と日臣、来目に加え長兄の五瀬命は、日向隼人の暮らす宮崎県諸県(もろかた)地方を通り、霧島連峰を越えて阿多隼人(あたはやと)の村へと向かった。
 現在の鹿児島県西部地方である。

 ひとくちに隼人といっても、「隼人国」という国があったわけではない。
 大隅(おおすみ)、阿多、(こしき)多禰(たね)夜句(やく)など、地域ごとに小さな部族集団を作り、族長が治めていたと考えられている。阿多隼人もその一つである。

 阿多隼人の村は、幾重もの柵でぐるりと囲んだ環濠(かんごう)集落だった。
 村の入り口に近づくと、赤と黒の渦巻模様が描かれた盾が目に入った。隼人の盾である。
 槍を持った警護役の男が一行を見るなり、慌てて村の奥に報せに走った。
 しばらくすると、頭から猪の毛皮をすっぽり被った若者が現れた。南海産の貝の腕輪や首飾りを付けた高貴な身分のようだが、怒りを押し殺しているのが手に取るように分かる。
 蛇行剣(だこうけん)を持つ手が微かに震えている。蛇行剣は隼人特有の剣で、剣身が蛇のように曲がりくねっている。
 背後の兵士たちも殺気立った目で磐余彦たちを睨んでいる。
 明らかに異変が起きているようだ。

「これをお届けに来ました」
 磐余彦が穀璧(こくへき)を包んだ布を差し出した。
 中身を見た隼人の若者は、後ろに控える男たちに向かって何事か言った。磐余彦たちには聞き取れない言葉である。
 とたんにざわめきが起こった。
「これを持っていた方の亡骸(なきがら)は、高千穂峰の麓に埋めました」
 とたんに若者の表情が悲しみに包まれた。
「あ、ありがたい」
 若者は感情を押し殺し、頭を下げた。それを合図に後ろの男たちが一斉に(ひざまず)いて大地に両手を付けた。

 ウオーン、ウオーン。
 男たちは犬のように咆哮(ほうこう)を始めた。地鳴りのような大きな叫びである。
「やる気か、こいつら!」
 五瀬命がとっさに剣に手をかけた。
「心配ありません。犬吠えといって隼人の作法です。害意はないのです」
 磐余彦が兄を(さと)した。
 磐余彦は塩土老翁(しおつちのおじ)から、隼人や熊襲(くまそ)など周辺部族の習俗を学んで知っていた。

 犬吠えは隼人独特の儀礼で「記紀」や『延喜式』にも記されている。
 若者は隼人族の王子で、隼手(はやて)と名乗った。年若いが気品があり、精悍な顔立ちをしている。
 穀璧を守ろうとして殺された老人は阿多隼人の族長で、隼手の父だった。

 磐余彦はただちに王宮に招かれ、王子から村に伝わる秘密を打ち明けられた。
「阿多隼人は、穀璧に宿る精霊を清めるため年に一度、聖なる泉と呼んでいる泉に浸すんだそうです」
 隼手の言葉を通訳したのは、同じ縄文の血を引く来目である。
 隼人の儀式には王と神官のみが随行できることになっており、王子すらも参加は許されないのだという。
「王様は今回は護衛の兵を付けなかったそうです。王子が付けるよう言ったのですが、親父さんがそれでは秘密が守れないと許さなかったそうです」
「ヤマトの兵はそれを知って待ち伏せたのですね」
 磐余彦の言葉に、隼手が唇を噛みしめてうなずく。無念さが伝わる。

 穀璧は長らく隼人を束ねる力の源とされてきた。
 それも単なる政治的な象徴ではなく、巫者(ふしゃ)の霊力を増す力を秘めていると信じられている。
 万一この神秘の輝きを失えば、隼人族全体の力が大いに()がれたであろうことは想像に難くない。
 その絶体絶命の窮地を磐余彦が救ったのである。
 
 帰ろうとする磐余彦を、隼手が強く引き留めた。
「親父さんの亡骸は明日にでも取り戻して葬ることができるけど、宝を賊から守り、お届け下さった大恩ある磐余彦さまを、このままお帰しするわけにはいかないって」
 通訳する来目の言葉に、戸惑いながらも磐余彦がうなずいた。

 ほどなくして、磐余彦たちを主賓(しゅひん)とする隼人の祝宴が始まった。
 イノシシの肉を焼く香ばしい匂いがあたりに広がり、村人がぞろぞろと集まってきた。
「日向の王子のお蔭で神宝が戻ってきたのだ」
 おお、というどよめきとともに沈んでいた村人の顔に光がさした。
 篝火(かがりび)が焚かれ、肉を焼く香ばしい匂いが立ち込める。
 村人たちが目を輝かせ、舌なめずりしている。
 イノシシのほかに鹿やウサギ、山鳥の肉が山と盛られている。
 魚介も豊富で、タイやマグロ、サバ、エビ、カニに加えてイカやタコ、ハマグリ、サザエ、アワビもあった。
 熊肉とならびシシ肉は大変なご馳走である。精がつくうえに力がみなぎると信じられている。
「さあ、遠慮なく食うがよい」
 隼手が高らかに宣言し、皆が肉に食らいついた。

 いつの間にか磐余彦や日臣たちの周りには隼人の若い女性が侍り、酒をつぎ、山のように盛った料理を手ずから食べさせようとした。
 五瀬命はともかく、日臣は強いうえに美形だから当然女にももてる。
 だが、日臣はほとんど関心を示さず、うるさそうに女たちの腕を振り払った。
 その点五瀬命や来目は根っからの女好きである。
「こりゃ、どういうことかね」
 来目が戸惑いながらも、にやけた顔で女たちにされるままにしていた。

 隼人における未婚の女性たちの集まりは、「娘組」と呼ばれ、主に精霊のもてなしを担ったという。
 薩摩半島から北薩に連なる海岸では、時には女だけの酒宴を開き、亭主たちに料理を作らせ、女装して接待をさせたともいわれる。
 男たちが魚を獲ったり海に潜って貝やエビを獲っているあいだ、女たちは交易によって魚を売りさばき、また長期保存できるよう加工したりすることに忙しい。
 さらに焼畑などの農作業も主に女の仕事だった。
 女性の立場が強くなるのも当然である。

「やっぱりすげえなあ、磐余彦さまは。隼人の人間にも好かれるんだからな」
 すっかり出来上がった来目が、ふくよかな女の膝に頭を乗せ、磐余彦について自慢気に語っている。
「おいらも熊襲と呼ばれてずっと馬鹿にされてきた。だけど磐余彦さまはそんなおいら達とも仲良くしてくれるんだ」
 来目は猿のような顔をくしゃくしゃにさせて涙を浮かべる。根が純真なのである。
「おいら、磐余彦さまのためなら何でもやる。嘘じゃねえ、なあ兄い」
 来目の呼び掛けに日臣はうなずき、ぼそりと言った。
「吾の命は磐余彦さまに捧げる覚悟だ」
 日臣の忠誠心は、いつ、どんな時でもいささかも揺らぐことがない。
 それが自分の命を()した使命だと思っているようだ。
 

 



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