第47話 撃ちてし止まん

文字数 1,616文字

 磐余彦は国見丘(くにみのたけ)に陣を張り、八十梟帥(やそたける)との決戦に備えた。
 すると西から黒雲が湧き起こり、日向軍を押し包んだ。
「息が苦しい」
 兵士たちが白目をむいてばたばたと倒れた。
「やばいぜ、こりゃあ!」
 来目が叫んだ。
「これしきの符術(ふじゅつ)、心配は無用」
 椎根津彦が手印を切り、呪文を唱えると、たちまち突風が起こり、黒雲を吹き飛ばした。
「やったぜ!」
 日向軍の兵士たちはたちまち息を吹き返した。
 
 同じ頃、八十梟帥の陣では黒い装束に身を包んだ男が、祭壇の前で髪を振り乱し必死に呪文を唱えていた。
 男の名は蟲丸(むしまる)、八十梟帥に仕える呪禁道(じゅごんどう)の術者である。
 呪禁道とは古代中国の道教に由来する方術で、本来は呪文を用いて邪気を(はら)い悪霊を退散させるためのものである。
 しかし蟲丸はその術によって悪霊を操り、蟲毒(こどく)を発生させて民を苦しめる者に()していた。

「くそっ、ならばこれじゃ」
 蟲丸が懐から取り出した蛇の皮を両手でもむと、粉々に砕けた。
 蟲丸はその粉に息を吹きかけて空に向かって放った。
 粉は散り散りに舞い上がり、あたりに悪臭が漂った。
「うっ、臭くてたまらん」
 八十梟帥が思わず顔をしかめた。蟲丸がじろりと睨む。
「まあ、見ていなされ」
 その言葉通り、風に舞った粉はみるみる間に形を整え、何百匹もの巨大な(まむし)化生(けしょう)した。

 数百匹の蝮が一斉に山を登り、磐余彦の陣めがけてうねうねと()い進んでいく。
 息を呑む八十梟帥に蟲丸は冷ややかに言った。
「三日かけて(なぶ)り殺した蝮の怨念が(こも)っておる。噛まれれば、もがき苦しみながらのたうち回るじゃろう」
 蟲丸が()いたのは蝮の皮の粉である。

「大変だ、見たこともない数の蛇が押し寄せてくるぞ」
 蝮の大軍が押し寄せて来るのを見た日向の兵たちは、恐怖のどん底に落とされた。
 それを見た椎根津彦は、磐余彦の髪に触れ「失礼」と言って一本抜いた。
「何を?」
 驚く磐余彦には構わず、椎根津彦はその髪を木で作った人形(ひとがた)に巻き付けて呪文を唱えた。
 するとたちまち磐余彦に瓜二(うりふた)つの木の兵士が現れ、剣を手に蝮の大軍めがけて挑みかかった。

 蝮と木の兵士の激しい戦いが繰り広げられた。
 その間日向の兵も八十梟帥の兵も唖然(あぜん)として見守るだけだった。
 しかし勝敗は間もなくついた。
 木の兵士が蝮をことごとく斬り捨てて戦いは終わった。
「歯が立たぬではないか」
 八十梟帥が(とが)めようとして振り返ると、蟲丸は首に剣を突き立てられ息絶えていた。
 椎根津彦が操る木の兵士が、蟲丸を(ちゅう)したのである。

 術師同士の戦いが椎根津彦の圧勝に終わったことで、恐れをなした八十梟帥は陣地深くに引き(こも)った。
 そこで磐余彦は一計を案じ、忍坂(おしさか)に宴会用の仮の館を建てて饗応(きょうおう)の宴を開くことにした。
 呼びかけに応じて多くの梟帥(たける)が集まり、酒宴が開かれた。
 
 宴たけなわとなったころ、磐余彦が立ち上がった。
「これから一舞い差し上げよう」

 ≪神風(かみかぜ)の 伊勢の海の 大石(おおいし)にや 
  い()(もとわ)る 細螺(しただみ)の 細螺の
  吾子(あご)よ 吾子よ 細螺の い這い廻り 
  ()ちてし()まむ 撃ちてし止まむ≫ 

「伊勢の海の、大石の上を這いまわるキサゴ(細螺)のように、はい廻って敵を打ち負かそう」
 という意味の来目舞(くめまい)である。
 みごとな舞に梟帥たちが一斉に手を鳴らした。
 その時道臣の手がさっと挙がり、それを合図に味方の兵が一斉に襲い掛かった。
「抵抗する者はすべて討ち取れ、それ以外の者には手を出すな!」
 椎根津彦の号令に従い、歯向かう梟帥をことごとく討ち取った。

 さらに磐余彦は磯城(しき)の族長兄磯城(えしき)弟磯城(おとしき)兄弟に呼び掛けたが、従ったのは弟磯城だけだった。
 磐余彦は兄磯城と戦う際に軍を二つに分けて墨坂(すみさか)から不意を突いて攻め入り、兄磯城を破った。
 戦いの舞台となった墨坂とは、現在の奈良県宇陀市榛原(はいばら)のあたりと推測される。
 宇陀川畔に建つ墨坂神社の境内には、「墨坂傳稱(でんしょう)地」の石碑が建っている。
                                  
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