第15話 船出の団子

文字数 1,667文字

 磐余彦と一行は日向の地を出発し、陸路北へと向かった。
 黒潮に洗われる日向灘(ひゆうがなだ)にも寒風が吹きすさび、白波が立っている。
 旧暦十月五日。季節はもはや冬である。
 一行は美々津(みみつ)(宮崎県日向市美々津町)の(みなと)まで来た。
 この地に建つ立磐(たていわ)神社の由緒によれば、磐余彦の一行はこの地で船を建造したのち出航したという。
 神社の境内には磐余彦が腰掛けたとされる腰掛岩が祀られている。

 ヤマト行きに同行するのは磐余彦のほかは五瀬命、稲飯命、三毛入野命の三人の兄と、日臣、来目の六人である。
 一行はわずかな食糧と武器を積んで一隻の船に乗り込んだ。
 船を漕ぎ出そうとしたとした時、
「おーい!」
 叫びながら走ってくる影が見えた。阿多隼人の隼手だった。
「吾も、行きたい!」
 たどたどしい言葉で隼手が言った。
「ヤマトに復讐しに行くつもりか?」
 五瀬命が尋ねると、隼手は首を振った。
「そうじゃねえ、ヤマトってところが見てみたいんだそうです」来目が通訳した。

 隼手は阿多隼人の、族長となるべき存在である。
 だがその地位を捨ててまで東征に加わることを望んだのである。
「舵取り、やる!」
 隼手が身振りを交え、顔を真っ赤にして叫んだ。
「そうだ。こいつは水にも強い」
 来目が嬉しそうに言うと、皆がはっとした。
 たしかに、熊襲と並び南九州の先住民である隼人族は、狩猟や漁撈(ぎょろう)採取に長けている。
 舟を使った交易でも隼人の右に出る者はいない。
 それに比べ磐余彦たちは山の民である。自分達だけで大海に乗り出すのは無謀ともいえる。
 海人族である隼人の男が加われば、こんなに心強いことはない。

穀璧(こくへき)はどうしたのだ?」
 今度は磐余彦が訊ねた。
「妹にやった。もともと、あいつは巫女。阿多の、女王」
 隼手は王の証である穀璧を譲ってまで、ヤマト行きを選択したのだ。
 その心意気は磐余彦にも伝わってきた。
「ありがとう。よろしく頼む」
 そう言って磐余彦は右手を出した。一瞬きょとんとした隼手は、毛皮の服に(てのひら)をこすりつけ、慌てて磐余彦の手を握った。

 磐余彦とその一行は、全長二十尺(約六メートル)ほどの丸木舟にわずかな食料と武器を積み、夜明けを待って船出することになった。
 夜もまだ明けきらない時刻、漁師の小屋で眠っていた磐余彦の夢枕に一人の男が立った。
〈起きよ、起きよ〉と男は言った。
〈昼になれば風向きが変わる。早く船出するがよい〉
 何者なのかは分からなかった。
 だが磐余彦には幼いころから精霊や獣たちの「声」を聞き分ける力が宿っていた。
 そのお陰で何度も災いを避けることができた。

 飛び起きた磐余彦は、お告げに従い皆を起こした。
「みな起きよ。今すぐ船出する」
「なんだ、なんだ」
「間もなく嵐が来る。遅くなれば湊を出たところで波に呑まれる」
 ふだんは物静かで控えめな磐余彦が、目をかっと見開き頬を染め、何かに取り()かれたように叫んでいる。
 明らかに「神懸(かみがか)り」だった。
 はじめは渋っていた五瀬命も、磐余彦のただならぬ様子に驚き、いそぎ支度をして船に乗った。
 黒潮に洗われる日向灘にも寒風が吹き荒れ、白波が立っている。
〈東へ()け〉
 そのとき磐余彦は、たしかに天の声を聞いた。
 磐余彦は手を高く掲げ、力強く宣言した。
「行こう、ヤマトへ!」
「ヤマトへ!」
 みなが唱和した。
 のちに「神武東征」と呼ばれる、長く苦難に満ちた旅の始まりである。

 日向市美々津町では、毎年八朔(旧暦八月一日)に磐余彦の船出を祝う「おきよ祭り」が開かれている。
 朝早く、子供たちが短冊飾りのついた笹を手に、各家の戸を「起きよ、起きよ」と叩いて回り、集まって「お船出団子」を食べる。
 「お船出団子」は小豆あんと(もち)が一緒になった団子である。
 その昔、磐余彦の出航が急に早まったために、あんを餅でくるむ時間がなくなってしまった。
 そこで村人たちは米粉と小豆をかき混ぜてつき、団子にして磐余彦に献上したという。
 「お船出団子」はそんな故事にちなんだものである。
                                  (第三章終わり)

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