第19話 六韜(りくとう)の教え

文字数 2,757文字

「ヤマトの(まつりごと)の、どこが悪いのでしょう?」
「それは王が悪いに決まっております」
 磐余彦の問いに珍彦が即座に答えた。言うまでもない、といった風情である。
「王の、一体どこがいけないのでしょう?」
 磐余彦がなおも食い下がる。
「かつてのヤマトは大きな国も小さな国も平等で、国同士の争いは消え、それぞれの国が栄えました。外敵に攻められれば共に戦い、力を合わせて撃退しました。それを見て周りの国が我も我もと輪に加わり、栄えたのです」
 珍彦の言葉にはいささかも淀みがなかった。磐余彦は一言も聞き漏らすまいと必死である。
「ところが今のヤマト王は、大国が小国を(さいな)むのを見過ごしているばかりか、不満を漏らした国には大軍を送って隷属(れいぞく)させ、民も重税と圧政に苦しんでおります」
「たしかに、今の王になってからは飢饉や疫病が続き、多くの民が飢えていると聞きました」
 磐余彦の呟きに、珍彦の目が鋭く光った。
「ほほう、よくご存知で」

「しかし飢饉は天の巡り合わせが悪いからで、王の責任とは言えぬのではないか?」
 横から口をはさんだのは五瀬彦である。
「いえ。唐土ではそれも王の不徳に()るという考えです。いにしえの兵法書には君主が不明なら国は危機にさらされ、民心は乱れるとあります。君主が賢聖なら国は安泰で、民も安んじて暮らしを営むことができます。すべては君主の行い次第です」
 続けざまに質問を浴びせられながらも、珍彦の滑らかな弁舌は変わらず、むしろ鋭さを増してきた。

「君主が地位を失うのもまた天命によるもの。王が運命を共にすべき大事な臣下を登用せず、逆に上に媚びへつらい下には傲慢な者を登用すれば、おのずと滅びるでしょう」
「ではその者が大事な臣下か否かを見分けるには、どうすればよいですか?」
 磐余彦は貪欲に質問を重ねた。
 新しい知識を吸収しようと夢中なのである。
 珍彦の言葉には塩土老翁とも違う、為政者だけが知り得る経験に基づく言葉の重みがあった。

「試しにその者を裕福にしてやり、高位高官に()けます。あるいは重い責任を持たせます。隠し立てしないか、その態度を見ます。危険な任務を与えて恐れず立ち向かうかどうか見ます。さまざまな仕事を与え、行き詰まることがないか観察します。それらが果たせる者は、仁義忠信勇才を備えた人物とみることができます」
「おお、なるほどそれは素晴らしい教えだ!」
 磐余彦は興奮して珍彦の腕を思わず(つか)んだ。
 見た目よりがっしりして力強い手である。背中に背負った黒い弓は伊達ではない、と珍彦は思った。
「すまない」
 磐余彦ははっと気づいて掴んだ手を離した。赤らめた顔が純粋で好もしい。

 それでも磐余彦は質問をやめようとしない。
「ならば、どうすれば天下を治めることができましょうか?」
 すべて聞き終えるまでは離さない勢いである。
 珍彦は少しだけ躊躇(ちゅうちょ)した。言ってよいものか迷ったのだ。
 だが、自分をまっすぐに見る磐余彦の目が一点の曇りもないことに気づいて、ふたたび口を開いた。
「君子には、天下を覆うに足るほどの広い度量が必要です。そうしてはじめて天下を包容できます。次に、君子には天下を覆うに足る広大な信義が必要です。それではじめて天下を纏めることができます。さらに、君子には天下を覆うほどの広き仁愛があってはじめて、人々が従います」
 ここまで一気に言って、ひと息ついた。

「まだ続けますか」
 磐余彦はようやく我に返った。
「いや、聞きたいが、せっかく聞いても吾がどれほど理解できるか、分からぬ。分からぬのでは、せっかく話してくれた汝に申し訳ない」
 そう言いつつも、まだ質問し足りないのか、
「汝が言ったこと、『孫子』ではないのか。塩土老翁が同じようなことを言っていた記憶がある」と言葉を継ぐ。
「いえ、孫子と似ておりますが、これは『六韜(りくとう)』の教えです」
「六韜?」
 六韜は孫子や呉子などと並び『武経七書(ぶけいしちしょ)』のひとつに数えられる兵法書である。
 前漢の劉邦(りゅうほう)に仕えた軍師、張良(ちょうりょう)黄石公(こうせきこう)から譲り受けた兵法の秘伝とされ、戦術のみならず人心掌握術や組織論などについても説いている。

 日本では飛鳥時代に、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が密かに六韜を取り寄せて門外不出としたという。
 古来、兵法書としては孫子がもっとも知られるが、六韜と孫子の違いをひとことで言えば、孫子は寡兵(かへい)を説かないのに対し、六韜は寡兵に重きを置く点であろう。
 磐余彦の一行は現時点では七人と少数で、その点では珍彦が六韜に依って献策したのは理に叶っている。

 珍彦は冷静に考えた。
――この若者の勉強熱心さは良く分かった。しかし、聞くからには与えられた知識を蓄えるだけの頭の器と度量がなければ、知識も(こぼ)れ落ちるだけだ。
 磐余彦にその器量があるか、珍彦は()し量った。
――少なくとも今は足りないとみた。だが、これから先もないのかと言われれば……。
 一方磐余彦のほうでは、これほどの学識を備えた者が草深い田舎で漁師をしていることに驚きを覚えていた。
――呉の軍師の家系の出だという話は本当のようだ。
 むろんこの当時、唐土から見て僻遠(へきえん)の地である倭国には、三国志を知る者は磐余彦も含めほとんどいなかった。
 五瀬命などは軍師の役割すら理解していない。
「国が滅ぶということは、誠に惨めです。父がいつも嘆いていました」
 珍彦の言葉は一同をはっとさせた。

 三国志の時代は、まず蜀が二六三年に滅び、次いで二六五年に魏の皇帝が司馬炎に禅譲し、司馬炎が晋(西晋)を建国した。
 さらに呉が二八〇年に滅び、中国は晋により統一をみた。
 しかし四世紀初頭には八王の乱が起こるなど、大陸の行方は未だ定まっていない。
 韓土(朝鮮半島)に至っては、北半分は騎馬民族の高句麗(こうくり)と楽浪・帯方郡と呼ばれた唐土の一部で、南半分は未だ馬韓、辰韓、弁辰などの小さなクニによる争いに明け暮れている。
 およそ「国家」の姿は見えていない。

 一方、倭国の惣領と頼むべきヤマトでは、相変わらず内々の小競り合いに明け暮れ、外交面では()つ国の出方待ちに終始して、自ら発信する気概に欠けている。
 少なくとも「このままで良いはずがない」というのが、磐余彦を頭とする日向の若者集団の一致した見解だった。
 だが、ではどうすればよいのか――

 そのころ隼手は浜で舟の番をしていた。
「汝一人で大丈夫か?」
 珍彦を訪ねる前、来目が半ばからかうように言うと、隼手はむっとして来目を睨んだ。
 同じ縄文系ながら、口から先に生まれたような来目に対し、隼手は石像のように無口である。
 ただし隼手は小柄だががっしりした体つきで腕力も強い。
 古代の格闘術、相撲(すまい)の達人でもある。一人で残しても心配はいらないという判断だった。
「後で飯を持って帰ってやるからな!」
 来目の言葉に隼手は相変わらず無言のまま、軽く右手を上げて応じた。

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