第24話 剣閃(ひら)めく

文字数 3,894文字

 そのころ椎根津彦と日臣は、市の中ほどを並んで歩いていた。
(いまし)はなぜ磐余彦さまにお仕えしようと思ったのだ」
 日臣がまっすぐに疑問を投げた。いい加減なことを言ったら只では置かない、といった口ぶりだった。
 椎根津彦はしばし考えてから口を開いた。
「そうですね……。(かな)わぬと思ったからです」
 こちらもまた率直な返答だった。
「敵わぬとは?」日臣が怪訝な顔をした。
「磐余彦さまは自分を見つめる冷静な目をお持ちの方。自分の足りない点もよくご存知です」
 椎根津彦の観察眼はするどい。
「そうだ。だからこそ吾らがお力になりたいと思うのだ!」
 日臣が心の内を吐露すると、「その通りです」と椎根津彦が微笑んで賛同した。
「加えてあの方は将器を備えておられる。その点は(やつかれ)も見誤りかけました」
「将器とは?」
 日臣がすぐに反応した。少しでも磐余彦のことが知りたくてたまらない様子だ。
「将たるもの、五材、つまり勇・智・仁・信・忠の五つの才能を備えていなければならない、と(いにしえ)の書は教えています」
「そうか……」
 曖昧(あいまい)に頷く。この辺りになると、日臣の理解を超えた話になってきた。
 構わず椎根津彦は続けた。
「将が暑さ寒さの苦労や、ひもじさを兵と共に分かち合ってくれる人なら、兵士は将のために喜んで戦い、矢が飛んできても、敵を倒そうと必死で敵の城によじ登り、刀を交えるときも我先に奮戦するようになります。これもすべて将の志に報いようとするからです」
 日臣ははっとして、すぐに喜色に溢れた顔で言った。
「そうか、吾が磐余彦さまにお仕えする理由はまさにそれだ!」
 椎根津彦が微笑んだ。
「お分かりになったようですね」

 ふと日臣の足が止まった。
「どうしました?」
 振り返った椎根津彦の顔を見て、日臣が意を決したように言った。
「すまぬ。吾に文字を教えてくれぬか」
 往来の真ん中深々と頭を下げる日臣。
「ほう」
 椎根津彦が目を大きく開き、しげしげと日臣を見た。
「吾はいままで剣さえ強ければよいと考えていた。だが磐余彦さまのお力になるためには、学も必要だと思うようになった」
 ふだんは寡黙で、自分の気持ちを表に表わすことは珍しい男が、頬を紅潮させて言った。
「よい心掛けです」
 椎根津彦は目を細めてうなずき、とある店の前で立ち止まった。渡来物を扱う店である。
「ならばこれを買うとしましょう」
「これは?」
「筆です。学を修めるならこれが必要になりますよ」
 椎根津彦は素早く筆を買い求め、日臣に与えた。
「明日からしっかり学問を修めていただこう。ただし、手抜きはせぬから覚悟めされよ」
 言葉遣いまで目上の物言いに変わった。
 師弟関係が始まったということだろうが、椎根津彦は意外にも楽し気である。
「よろしくお願いいたす!」
 日臣がきっちりと頭を下げた。根が生真面目な男である。

 その様子を遠巻きに見ていたのは五瀬命と磐余彦である。
「おい、いいのか」
「何でしょう?」
 五瀬命の問いに磐余彦が訊ねる。
「奴の国、呉は負けたんだろう」
「そうですね」
 唐土では魏、呉、蜀のうち最初に蜀が魏に降伏し、次いで呉も滅んだ。
 その魏も、宰相の司馬懿(しばい)に乗っ取られ、いま唐土に君臨するのは晋である。
 『三国志』の時代はもはや過去のものとなっている。

「負けた国の軍師を抱えるなんぞ、聞こえが悪いのではないか」
 五瀬命はいまひとつ椎根津彦を買っていないようだ。
 たしかに見た目は細く、頼りなげな印象ではある。
「しかし、国の勝ち負けは軍師のせいばかりではありません。国の命運を託すべき官吏の登用を間違えば、国は痩せ衰え、やがて滅びるといいます。それは登用した王の責任です」
「そりゃそうだろうが……」
 五瀬命は必ずしも納得していない様子だ。
 だがひとまずは磐余彦を立てた。磐余彦は末弟だが本来は日向の王となるべき人物だったからである。

 たくさんの買い物をする来目たちの様子を、遠巻きに(うかが)っていた一党がいた。
 この辺りを根城とする野盗の一党である。
「野郎ども、ずいぶん物持ちだな」
「ああ、土蜘蛛(つちぐも)の分際で生意気な」
 来目も隼手も彫りの深い顔立ちで、毛深い。日本列島に古くから住む縄文系の血を引く一族である。
 小柄な割に手足が長いという身体的特徴もあって「土蜘蛛」と(さげす)まれている。
「おい」
 イノシシの肉を担いだ来目と隼手の背後から声がかかった。
 振り返ると、いずれもいかめしい顔の五人の男が、槍や(ほこ)を手に立っていた。
 前方にはいつの間にか六、七人が仁王立ちになり、行く手を塞いでいる。弓を手にしている者もいた。

 場所は市から浜に戻る途中の峠道である。
 山側は草がみっしり生えた斜面で、谷側は崖になっている。
 二人は前後を取り囲まれた格好になった。
「お前ら、ずいぶんお宝持ってやがるな」
「ああ、旨そうな肉もたんまりだ」
 あいにく辺りに人影はない。
 市場の中で狼藉を働けば、警備にあたる筑紫兵がすぐに駆けつけるが、この辺りまで来るとさすがに監視の目は届かない。

 来目はそういえば「市を出たら盗っ人に用心しろ」と、肉売りの女主に忠告されていたことを思い出した。
「命まで取ろうとは言わねえ。命が惜しけりゃ肉は置いていきな」
「お前らが腕につけた貝輪もな」
 貝輪はゴホウラやイモガイなど南海で採れる貝の腕輪で、高値で取り引きされる。
「野盗……」隼手がぼそりとつぶやく。
「ああ、数が多いのが厄介だな」来目が応える。
 来目も隼手も野盗などは恐れていない。
 だが敵は十人以上で、いかんせん多勢に無勢だ。

 隼手は肉の塊を道端に下すと低く身構えた。素手の格闘術、相撲の構えである。
 来目も腰に差した二丁の石椎(いしづち)を両手に構えた。
 野盗たちは、二人が恐れをなしてすぐに逃げ出すと踏んでいた。ところが二人は少しも怖れぬ様子で、むしろ野盗のほうが戸惑った。
「こいつら、何か企んでやがるのか」
「構うな。こっちはこれだけ数がいるんだ」
 野盗どもは互いを焚きつけながら二人との距離を詰めていった。
「この野郎!」
 若い男が(ほこ)を振りかざして来目に襲いかかった。
 その直前、来目は素早い動きで横に飛び、するすると太い木に登った。
 まるで猿のようだった。そのまま来目の姿は木陰に消えた。

 あっけに取られた賊の一人が見上げた瞬間、来目が男の真上に降ってきた。
 あっと思う間もなく、男は石椎で頭を叩き潰されて断末魔の悲鳴を挙げた。
 野盗どもが息を呑む隙に、隼手が後ろを振り向いて猛然と突進した。
 虚を突かれた中年の男が槍を突いたが、隼手は軽くいなし、あっという間に相手の懐に飛び込んだ。
 隼手はその体勢から男をぶんと三間(約五・四メートル)も投げ飛ばした。
 素手の格闘術、相撲(すまい)の高度な投げ技である。
 投げられた男は太い幹にまともに頭をぶつけて失神した。

「おかしな術使いやがって!」
 短剣を持った別の賊が隼手に襲いかかった。
 隼手はすばやく身をかわすと腰に差した蛇行剣(だこうけん)を抜き、突き刺した。
 隼人族に伝わる剣が男の腹を深々とえぐり、男が絶叫を上げて(たお)れた。
 来目と隼手は二人並んで男たちを逆に追い立てた。
「こいつら、手強いぞ!」
「弓だ、弓を使え!」
 首領らしき男が叫んだ。
 少し離れた丘で弓を構えた賊の男が弦を引き絞った。
「危ない!」
 来目が叫ぶ。

 だが矢が放たれる寸前、弓を構えた男がぐうっと(うめ)いてつんのめった。
 倒れた男の背中には深々と矢が突き刺ささっていた。
「磐余彦さま!」
 来目が歓声を上げた。
 三十間ほど離れた道の奥で、二の矢を(つが)える磐余彦の姿があった。
「くそっ、仲間がいたのか」
 野盗たちが(ひる)んだ。
 磐余彦は続けざまに矢を放ち、その都度、賊どもを正確に倒していった。

「うおーっ!」
 うなり声を上げて突進してきたのは日臣である。日臣は腰に()いた剣を抜き、稲妻のように閃かせると、あっという間に賊の一人を斬り捨てた。
「兄い!」来目が歓喜する。
「来目、お前は左の奴の相手をしろ」
 日臣は来目に厳しい口調で伝えた。
「兄い、四人も大丈夫か?」来目は少し心配げである。
「任せておけ!」
 言うが早いか、日臣は男たちの輪の中に飛び込んだ。

 数を(たの)んだ賊の間に動揺が走った。
 まず真ん中の男の脳天めがけて剣を振り下ろす。
 ぎゃあという絶叫とともに男は真っ二つに頭を割られた。
 野盗どもは衝撃で金縛りにあったように動けない。
 その隙を見て、来目は滑るような足取りで横に駆け、いちばん端の男をひゅっと斬った。
 軽く斬ったように見えたが、男の首筋から血が噴き出した。
 来目はそのまま動きを止めずに次の獲物の背後に回り込んだ。
 軽捷な身のこなしで、まるで舞でも舞うような所作である。
 そして一閃。
 あっと思う間もなく男の片腕が飛んでいた。

 日臣が大地を揺るがすような掛け声とともに四人の賊めがけて駆け寄る。
 さっと剣を振り下ろすと、ぎゃんと悲鳴のような甲高い音を立てて賊の剣が真っ二つに折れた。
 凄まじい膂力(りょりょく)の、軽業のような来目の剣技とは対極にある、剛直一途な剣である。
「この野郎!」
 血走った目で若い野盗が戈を振り下ろした。
 戈とは長い柄の先に鎌状の刃がついた銅製の武器である。
 刃風が日臣の頬にかかった。まともに食らえば致命傷となる。
 紙一重で切先をかわした日臣は素早く剣を(ひるがえ)す。
 剣がきらりと光ったと思う間もなく、次の瞬間には男の胴がまっ二つに割れていた。

「次は誰だ!」
 日臣がひと睨みする。
「わわっ」
 鮮やかな剣技に、残り少なくなった賊どもはたちまち戦闘意欲を失い、一斉に逃げ出した。
「しょせん烏合(うごう)の衆だ」
 日臣が吐き捨てるように言い、剣についた血を払った。
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