第30話 総大将交代

文字数 2,734文字

 その後玄狐はしばしば吉備王の使者として五瀬命の元を訪れ、何事か話している姿を見掛けるようになった。
「さすがは日向の長子。日に日に貴相が増しておりますな」
 その際も玄狐は必要以上に五瀬命を持ち上げた。
 古怪(こけい)な情熱には何か裏があるとしか思えないが、弟たちがいくら(いさ)めても五瀬命は聞き入れなかった。
 その浮かれぶりは、日向を出てから自分を(まつ)り上げる者に飢えていたとしか言いようがない。

 玄狐の言葉の巧みさは大陸仕込みで、政争に明け暮れるヤマトの者なら聞き流すことができたであろう。
 その点免疫がない日向の田舎者には、おだてはてきめんの効果があった。
「なんか嫌だな、あいつ」
「ああ……」
「五瀬命さまも変わったな。威張るようになって」
「ああ……」
 来目と隼手の会話である。
 五瀬命は大柄で力も強い。生来の暴れん坊として筑紫島(九州)では名を轟かせていた。
 その一方で根が単純で陽気なため、軽率だが憎めない人物というのが従来の評価だった。
 その明るい気性が、ここへ来てなぜか陰に転じたように思えた。

 先日も吉備王鷲羽(わしゅう)の前で、吉備軍と日向軍の合同軍議が開かれた際に、臨席していた玄狐が含みのある言葉を吐いた。
「なんと、日向の総大将はてっきり五瀬命さまとばかり思っておりました。それは大変ご無礼をいたしました」
 ちらっと磐余彦を見て、「ほう、このお方が総大将。なるほど」
 玄狐の顔に軽い侮蔑の色が浮かんだ。
「たしかに、貴相の持ち主ですな」
 とたんに来目が割って入った。
「なんでえ、磐余彦さまに文句でもあるのかい!」
 日臣も怒りに満ちた目で(にら)んでいる。
 磐余彦を馬鹿にしたら只ではおかないという気迫だ。
「いやいや、あまりにお若いので少し驚いただけです。他意はございませぬ」
「末子が一族を率いるのは日向の掟である」
 五瀬命が代表して答える。
 とたんに玄狐の目が光った。
「ほう。それは面妖なしきたりですな。いや、そうした習わしがあることは承知しております。しかし唐土では長子が継ぐのが正統で、ヤマトもそれに(なら)っておりますぞ」
「なんと」
 これには日向の一同のほうが驚いた。
「それは所によって変わることもありましょう。いずれにせよ、一族を率いるにふさわしき者であれば、末子か長子かは問わぬのでは」
 学者肌の次兄、稲飯命が口を挟んだ。
「その通りでさ。磐余彦さまは五瀬さまや稲飯さま三毛入野さまも認める立派な(おさ)ですよ」
 来目が即座に引き取り、三毛入野命もうなずいた。
「しかしヤマトも吉備も、長子が跡目を継ぐのが習わしとなっております。もし日向の皆さまが大和を平定なさっても、末子が王位に就かれるのでは何かと騒動が起きるやもしれません」
 玄狐が困惑したように言った。みな芝居がかっていると思ったが、あえて反論はしなかった。

 この時代、長子相続か末子相続かが厳密に規定されていたという記録はない。
 長子相続は農耕民族に多く、末子相続は狩猟遊牧民に多いとする説もある一方、地域によって異なるなど学者の間でも意見が分かれている。
 重苦しい沈黙を破ったのは磐余彦だった。
「吾はどちらでも構いません。五瀬兄が率いて下さるなら、それに従いましょう」
 間髪をいれず鷲羽王が口を開いた。
「よき(かな)。我ら吉備も、これからは五瀬命さまを総大将として支えようぞ」
「おお!」
 並み居る吉備の武将たちがこぞって賛同し、大勢は決した。
 すべては吉備の筋書き通りに事が進んでいることは明らかだった。

 一方、日向側には言葉にできない憤懣(ふんまん)が残った。
 磐余彦に心酔している日臣や来目、隼手ら日向以来の仲間は怒りの表情を隠そうとしなかった。
 椎根津彦にしても、磐余彦に王の才覚を見出して加わった同志である。
 一方、肉親である次兄の稲飯命や三兄の三毛入野命は、沈鬱な表情で言葉を発しなかった。
 それまで日向流の末子相続に、渋々ながらも従ってきた五瀬命である。
 それが俄かに王位への欲を出したのは、長旅でさまざまな土地を訪れるうちに、世のしきたりも国によって異なることを学んだせいかもしれない。 
 それを口実に、吉備(玄狐)がうまく五瀬命を乗せたのである。

 言葉巧みに持ち上げられた五瀬命は、すっかりヤマトの王になる気でいる。
 新たに日向・吉備同盟軍の総大将に任じられた五瀬命は、さっそく()えた。
「我らは大軍を率いてヤマトに侵攻する。覚悟はよいか、皆の者!」
「おお!」
「総大将万歳!」
 期せずして(とき)の声が上がった。唱和したのは吉備の兵士ばかりである。
――こんなはずでは……。
 磐余彦は愕然(がくぜん)とした。
 これは自分にとっても想定外のことである。
 日向を出航する際には自分も含めわずか七人――途中で椎根津彦も加わり八人――だった。
 これではヤマト平定など口に出すのも恥ずかしく、磐余彦自身が目指したのもまずはヤマトの地に足を踏み入れることである。
 国を建てるという壮大な夢がすぐに実現するとは思ってもいなかった。

 だが途中から吉備という力強い後ろ盾も得て、武力を背景にしたヤマトとの交渉が現実味を帯びてきた。
 ただし磐余彦にとっては、武力はあくまで平和的な交渉を行うための手段で、いきなりヤマトを攻めようなどとは夢にも思っていなかった。
 ところが五瀬命はあくまで武力侵攻を第一義とし、話し合いによる交渉を行う意欲は薄いように映る。
 磐余彦も戦いを頭から否定するわけではない。少なくともこの世において、武力を持たない和平など絵空事であろう。
 ただし武力行使はそれ以外に選択肢がない場合のみ実行されるのが理想で、すべてに優先するとは考えていない。
 磐余彦には平和的な解決法があるなら、それを実現させる努力をすべきだという思いが強かった。
 
 日向を旅立つ際に思い描いた理想からかけ離れてしまった現実に、磐余彦は戸惑い、苦悩した。
 それも吉備の策略にまんまと乗せられた感は否めない――。
 その思いは五瀬命を除く日向の仲間たちも同じようだ。
「あのくそ持衰(じさい)、叩き切ってやりたい!」
 館に戻る道すがら、日臣が道端の草を刀子(とうす)でなぎ払った。
 怒りの矛先を向けられた哀れな草の茎に鋭い切り口が残った。
「たしかに奴は佞臣(ねいしん)だ。だが油断した我らも悪い。今は過ぎたことを悔いるより、この先何があろうが磐余彦さまをお守りする、それを忘れないことだ」
 椎根津彦の冷静な物言いが(しゃく)(さわ)ったのか、日臣は「分かっております!」と言い捨てて全力で駈け出した。
 
 椎根津彦は黙って日臣を見送った。
 すでに先のことを考えているようである。
 磐余彦たちはその後も吉備に留まり、兵を集めて鍛え、船や武器、食料の調達に務めた。
『日本書紀』によれば三年(『古事記』では八年)、高島の地に留まったとある。
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