第20話 天命

文字数 2,567文字

 攻守交代。
 今度は珍彦のほうが磐余彦に質問を浴びる番だ。
「ヤマトに行って何をするおつもりですか?」
「よき国を作りたいのだ」
「よき国とは?」
 間髪をいれずに珍彦が問う。まるで尋問するような勢いである。
「まず、強き国だ。()つ国から攻め込まれたり、要らざる干渉を受けることがなきよう、強い力を持つ国にしたい」
「なるほど、まずは強い軍を持ちたいのですね」
「そうだ。硬い甲羅を持ち、鋭い(はさみ)を持つ蟹のような軍だ。蟹であれば敵は容易に攻めることはできぬ。だが今のヤマトは小さき国がそれぞれ兵を率いて互いの領地を守ることのみに腐心している。それでは強大な敵に攻められた場合はひとたまりもない」
 珍彦は感心したように何度もうなずいた。

「吾が望むのは、その硬い甲羅の中で民が幸せに暮らせるようにすることだ」
「ほう」
 珍彦は大袈裟に驚いてみせたが、すぐに目を細めた。試すような光があった。
「ならば、如何にすれば民は幸せに暮らせるとお考えですか?」
 ここに至って磐余彦は言葉に詰まった。
 「よい国」とはどんな国か?
 「民が幸せに暮らす国」とはどんな姿をしているのか?
――分からない…。
 少なくとも幸せに暮らす民の姿が思い浮かばなかった。
 自分が持っていたのは抽象的な概念だけだった。そのことに気づいて、磐余彦は愕然(がくぜん)とした。

 珍彦が止めの言葉を放った。
「実を言えば、民にとって上は誰でもいいのです。食わせてくれるなら」
 言葉を弄ぶようなもの言いだが、磐余彦には反論できない。
「分からぬ」
 磐余彦は憮然(ぶぜん)とするが反論はできない。ただ首を振るばかりだ。
「ははは、正直な人だ。それも分からずに民を幸せにしようというのですか」
「なにっ!」
 殺気立った目で詰め寄ったのは日臣である。
 剣の柄に手をかけ、今にも珍彦に斬りかかろうと構えている。
「そうだ。磐余彦さまになんて無礼な物言いだ!」
 来目もすぐにも飛びかかりそうな構えを見せる。

 その時、珍彦の背後で不意に光が(きらめ)いた。
 見上げると人の頭ほどの大きさの火球がぼうっと燃えている。
「うっ!」
 日向の男たちは、みな魅入られたように茫然と上空を見上げている。
 火の玉はぽーんと上に跳ねたと思うと、突然破裂した。
 破裂の中心からどっと水が溢れてくる。狛に仕掛けた時と同じく、大洪水が押し寄せてくる。
 見事な方術である。
 日向の男たちは先の破落戸どもと同じく、泳ぐ暇も与えられずに激流に飲み込まれてしまった―。
あっぷ、あっぷ!
 五瀬命も稲飯命も三毛入野命も日臣も来目も、水の中でばたばたともがいていた。

 しかし――
 一人だけ平静な男がいた。
 磐余彦である。
 術をかけられた直後は、磐余彦もまた幻覚を見た。
 しかし目を(つぶ)り神に祈ると、押し寄せる水はまたたく間に消えた。
 方術を破ったのである。磐余彦は幻覚を見せられて手足をばたつかせる兄や来目らを尻目に、術を操る珍彦を視界に捉えた。

 そして、日臣もまた磐余彦の姿を見ていた。
 日臣は押し寄せる大波に呑まれながらも磐余彦を目で追い、磐余彦が泰然と構えるのを見て、「これはまやかしだ!」と瞬時に悟った。
 日臣は咄嗟(とっさ)に手に持った刀子(とうす)で自分の左の太腿(ふともも)を刺した。
 激痛とともに視界を覆っていた波がたちまち消え、珍彦の姿をはっきりと捉えた。
 日臣は素早く珍彦の背後に回り、あっという間にねじ伏せると太い腕で首を締めあげた。
 刀子を首筋に突き立てようとした刹那(せつな)
「殺すな!」
 磐余彦が叫んだ。日臣の手がはっと止まった。

 磐余彦、日臣、珍彦の三者の間に空白が生まれた。
「……なぜ、止めるのです」
 先に口を開いたのは珍彦だった。
「汝にはこれからも多くのことを学びたい。大切な人を殺すわけにはいかぬ」
 磐余彦の答えに、珍彦は力を抜いて苦笑した。
「私の負けですね」
 日臣が珍彦の首から腕をほどいた。
「今度なめた真似をしたら、磐余彦さまが止める前に殺す」
 日臣の目は依然として凄まじい殺気を放っていた。

 ほどなく、術にかかっていた他の者たちも正気に戻った。
「あれ、おいら夢でも見ていたのか?」
 来目が照れ隠しに首を傾げたのを筆頭に、みな何が起きたのか分からず茫然としていた。
 珍彦は居住まいを正し、恭順の意を示して深々と頭を下げた。
「失礼な振る舞いをしたこと、深くお詫び申し上げます。しかしながら、あなた様はなぜ術に掛からなかったのですか?」
「分からぬ。だが神に祈った。すると何か見えぬ力が吾を押し留めたのだ」
 珍彦は今度は日臣を見た。日臣は言った。
「吾は術にかかった。だが磐余彦さまのお姿を見て、これは(あや)かしだと気づいたのだ」
「それで自分の太腿を刺したのだな。三毛兄、傷の手当てを」
 磐余彦が指示すると、医師である三毛入野命はすぐさま日臣の傷の治療に当たった。

 傷が大事ないことを確かめた磐余彦は珍彦に向き直った。
「吾が物心ついた頃から、巫女(みこ)がいくら占っても、吾の前世が見えないと言っていたのです」
 珍彦は切れ長の目をすっと細めた。
「恐れながら、それは天命を帯びているという(あかし)なのでしょう」
「天命?」
「はい。唐土では黄帝(こうてい)により天命を授けられた者だけが玉座に就くとされています。その者は前世の因果と関わりなく、自らの力で新たに運命を切り開く力を秘めている、それゆえに前世が見えないのだと」
 中国の歴代王朝は天命を受けた者が国を樹て、天命を失えば滅ぶといわれている。

 頭を下げながら、珍彦は何かに気づいて磐余彦を見た。
「あなた様は(やつかれ)が探していた、君主となられるお方かもしれません」
 珍彦は磐余彦の中に王たる器を見抜いたのである。
「吾が君主にふさわしいかどうかは分からぬ。だが汝の話を聞いて、ますますヤマトに行ってみたいと思うようになった」
「ぜひ、臣をお仲間にお加えください」
 珍彦がふたたび頭を深く垂れた。
「吾の方こそ、汝にはいろいろ助けて貰いたい。よろしく頼む」
 磐余彦は珍彦の手を取り、固く握った。

「ヤマトを平定したその後の、新しき世を作るためには汝のような人材が要る」
 磐余彦の言葉に、珍彦は一瞬虚を衝かれたような顔をした。
「なるほど、王子が行く末のことも見通して臣を必要とされるのであれば、使い道があるかもしれませんね」
「頼もしく思うぞ」
 磐余彦がうなずくと、珍彦はふたたび(ひざまず)いて臣下の礼を取った。

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