第12話 ソラヨイ
文字数 2,283文字
一座の腹が満たされたころ、村人たちが腰を浮かせて輪ができた。
輪の中央に立ったのは隼手である。
「これから隼人の誇りを客人たちに披露しよう、ってことのようです」
来目が耳打ちすると磐余彦が微笑んだ。
隼手が両手を高く掲げ、きっと空を見上げてうおっと吠えた。
村人たちも「うおーっ」と一斉に声を張り上げる。
折しも満月の夜である。
隼人には月神信仰があったとされ、神秘的な月の力を崇拝するさまざまな行事が行われたという。
今なお南九州各地に残る、旧暦八月十五日夜の綱引きや相撲行事などは、隼人の古い民俗と深く関わっているといわれる。
「サアヨイ、ソラヨイ」
という勇ましい掛け声とともに、カヤで作った束を頭からすっぽり被った子供たちが輪になって踊る。祭りの開幕である。
ときおり止まっては四股 を踏むような動作を繰り返す。
それを見ている大人たちがやんやの喝采を送る。
続いては相撲 である。
ふんどし一丁になった逞しい若者が二人、輪の中央に登場する。ずんぐりした体形の男と、やや細身の長身の男である。
二人とも髪は頭頂部を剃 り上げ、長い髪を後ろに垂らして結っている。
この姿は力士姿の原型といわれている。
子供たちが列をつくって舞った足跡が、ちょうど土俵の大きさになっている。その中央にふんどし姿の若者が両手をつき、立ち上がって激しくぶつかった。
周りの見物者が一斉にはやしたてる。
ずんぐりした男が、細身の男を投げ飛ばして勝利した。
どっと歓声が上がる。みな興奮の極致にある。
「じゃあ、今度は俺が出よう」
言い出したのは五瀬命である。暴れたくてうずうずしているようだ。
「吾が、相手する」
隼人の王子、隼手が名乗りを上げた。
「なんだ、小せえな」
一目見るなり五瀬命が薄笑いを浮かべた。
隼手はがっしりした体格だが、背が低い。大兵の五瀬命と比べると倍近い差がある。
「大丈夫ですか?」
来目が不安気に磐余彦に囁いた。
来目の心配の意味は、もし五瀬命が隼手を乱暴に投げ飛ばして怪我でもさせれば、村人たちが怒り出すかもしれないということだ。
「心配ない」
磐余彦がにこやかに言った。
「吾も同感です」
日臣がにやりと不敵な笑みを見せた。
隼手と五瀬命の取り組みが始まった。立ち合いから激しくぶつかった二人は、土俵の中央でがっしりと組み合った。
最初に仕掛けたのは五瀬命である。
日頃からの力自慢を見せつけるように、相手のふんどしを無造作に取って振り回そうとする。
しかし隼手は巌 のように微動だにしない。
「こいつ」
焦った五瀬命が再度投げようとした。
その瞬間、くるりと身体を入れ替えた隼手が五瀬命の後ろに回り、五瀬命の巨体を後ろから抱え上げた。背中の筋肉がぐっと盛り上がっている。
皆が息を呑む。
「ソーラヨイ!」
隼手は掛け声とともに五瀬命を土俵の外にぶんと投げ飛ばした。
五瀬命は地面にしたたかに叩きつけられて呻 き声を上げた。
勝負あり!
固唾 を呑んで見守っていた村人たちがどっと湧きかえる。
隼手の勝利を称える地鳴りのような歓声が続いた。
聞けば隼手は無双の強さを誇る相撲の達人なのだという。五瀬命が負けるのも当然である。
熱狂が冷めたところで、来目が立ち上がった。
「じゃあ、今度はおいらが舞うぜ」
酔った女たちから「しっかりやんな」と声がかかる。
来目が金属の小さな器を、棒でこんこんと叩きながら拍子を取り始めた。
それに合わせて隼人の女が小さな琴のような楽器を弾く。村人がいっせいに足踏みと手拍子をはじめた。
≪宇陀 の高城 に鴫 とる罠 を張って――≫
今も宮中に伝わる来目(久米)舞である。
≪俺が待っていると鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ≫
やんやの喝采が起きる。
来目は手をひらひらさせたあと、力を鼓舞するように拳を天に突き上げた。
足は膝を曲げ伸ばししながら丸い円を描く。そして跳ねる。
来目の顔立ちが猿に似ているせいか、猿の舞、猿楽を見るようである。
力強さを表わしながらも、どこかおかしみを滲ませる。
≪古女房が獲物をくれといったら、やせた肉のないところをうんとやれ。
若い女房が獲物をくれといったら、実の多いところをうんとやれ≫
男たちがげらげらと笑いだした。
すると、一人の老婆が立ち上がって来目に近づき、頭をぽかりと叩いた。
「いてっ!」
「年取った女を粗末にするような男は最低じゃ!」
女の叱咤に、来目は「こりゃ唄の詩じゃもん」と言いながらしきりに頭を下げる。
そのやり取りを見て、ふたたび爆笑が起こった。
それにつられて隼手王子の横にいた若い女性が、品のよい笑い声を上げた。
翡翠 の首飾りや貝の腕輪から身分の高さが窺 えるが、控えめで楚々とした印象である。
「妹の阿多比売 だ。巫女 としても優れている」
阿多比売は恥じらうように磐余彦たちに挨拶した。眉が太くきりっとした顔立ちが意思の強さを感じさせる。
「可愛いなあ」
来目がこれ以上ないというくらい目尻を下げた。
女好きは根っからの性格だが、敢えて来目のために弁護するなら、熊襲も隼人も元は同じ縄文系の人種である。
同族のよしみで血が騒いだとしても責められない。
来目は愛嬌のあるくりっとした目を阿多比売に向けたと思うと、その手をさっと握り、輪の中に誘って一緒に踊りはじめた。
「なにを……!」
と最初は戸惑っていた比売も、やがて来目のリードに任せてくるくると回り始めた。
さながら古代のワルツである。
「吾も舞うぞ」
「わらわもじゃ」
それにつられて老若男女が次々に踊りの輪に入った。
みな心から宴を楽しんでいる。
輪の中央に立ったのは隼手である。
「これから隼人の誇りを客人たちに披露しよう、ってことのようです」
来目が耳打ちすると磐余彦が微笑んだ。
隼手が両手を高く掲げ、きっと空を見上げてうおっと吠えた。
村人たちも「うおーっ」と一斉に声を張り上げる。
折しも満月の夜である。
隼人には月神信仰があったとされ、神秘的な月の力を崇拝するさまざまな行事が行われたという。
今なお南九州各地に残る、旧暦八月十五日夜の綱引きや相撲行事などは、隼人の古い民俗と深く関わっているといわれる。
「サアヨイ、ソラヨイ」
という勇ましい掛け声とともに、カヤで作った束を頭からすっぽり被った子供たちが輪になって踊る。祭りの開幕である。
ときおり止まっては
それを見ている大人たちがやんやの喝采を送る。
続いては
ふんどし一丁になった逞しい若者が二人、輪の中央に登場する。ずんぐりした体形の男と、やや細身の長身の男である。
二人とも髪は頭頂部を
この姿は力士姿の原型といわれている。
子供たちが列をつくって舞った足跡が、ちょうど土俵の大きさになっている。その中央にふんどし姿の若者が両手をつき、立ち上がって激しくぶつかった。
周りの見物者が一斉にはやしたてる。
ずんぐりした男が、細身の男を投げ飛ばして勝利した。
どっと歓声が上がる。みな興奮の極致にある。
「じゃあ、今度は俺が出よう」
言い出したのは五瀬命である。暴れたくてうずうずしているようだ。
「吾が、相手する」
隼人の王子、隼手が名乗りを上げた。
「なんだ、小せえな」
一目見るなり五瀬命が薄笑いを浮かべた。
隼手はがっしりした体格だが、背が低い。大兵の五瀬命と比べると倍近い差がある。
「大丈夫ですか?」
来目が不安気に磐余彦に囁いた。
来目の心配の意味は、もし五瀬命が隼手を乱暴に投げ飛ばして怪我でもさせれば、村人たちが怒り出すかもしれないということだ。
「心配ない」
磐余彦がにこやかに言った。
「吾も同感です」
日臣がにやりと不敵な笑みを見せた。
隼手と五瀬命の取り組みが始まった。立ち合いから激しくぶつかった二人は、土俵の中央でがっしりと組み合った。
最初に仕掛けたのは五瀬命である。
日頃からの力自慢を見せつけるように、相手のふんどしを無造作に取って振り回そうとする。
しかし隼手は
「こいつ」
焦った五瀬命が再度投げようとした。
その瞬間、くるりと身体を入れ替えた隼手が五瀬命の後ろに回り、五瀬命の巨体を後ろから抱え上げた。背中の筋肉がぐっと盛り上がっている。
皆が息を呑む。
「ソーラヨイ!」
隼手は掛け声とともに五瀬命を土俵の外にぶんと投げ飛ばした。
五瀬命は地面にしたたかに叩きつけられて
勝負あり!
隼手の勝利を称える地鳴りのような歓声が続いた。
聞けば隼手は無双の強さを誇る相撲の達人なのだという。五瀬命が負けるのも当然である。
熱狂が冷めたところで、来目が立ち上がった。
「じゃあ、今度はおいらが舞うぜ」
酔った女たちから「しっかりやんな」と声がかかる。
来目が金属の小さな器を、棒でこんこんと叩きながら拍子を取り始めた。
それに合わせて隼人の女が小さな琴のような楽器を弾く。村人がいっせいに足踏みと手拍子をはじめた。
≪
今も宮中に伝わる来目(久米)舞である。
≪俺が待っていると鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ≫
やんやの喝采が起きる。
来目は手をひらひらさせたあと、力を鼓舞するように拳を天に突き上げた。
足は膝を曲げ伸ばししながら丸い円を描く。そして跳ねる。
来目の顔立ちが猿に似ているせいか、猿の舞、猿楽を見るようである。
力強さを表わしながらも、どこかおかしみを滲ませる。
≪古女房が獲物をくれといったら、やせた肉のないところをうんとやれ。
若い女房が獲物をくれといったら、実の多いところをうんとやれ≫
男たちがげらげらと笑いだした。
すると、一人の老婆が立ち上がって来目に近づき、頭をぽかりと叩いた。
「いてっ!」
「年取った女を粗末にするような男は最低じゃ!」
女の叱咤に、来目は「こりゃ唄の詩じゃもん」と言いながらしきりに頭を下げる。
そのやり取りを見て、ふたたび爆笑が起こった。
それにつられて隼手王子の横にいた若い女性が、品のよい笑い声を上げた。
「妹の阿多
阿多比売は恥じらうように磐余彦たちに挨拶した。眉が太くきりっとした顔立ちが意思の強さを感じさせる。
「可愛いなあ」
来目がこれ以上ないというくらい目尻を下げた。
女好きは根っからの性格だが、敢えて来目のために弁護するなら、熊襲も隼人も元は同じ縄文系の人種である。
同族のよしみで血が騒いだとしても責められない。
来目は愛嬌のあるくりっとした目を阿多比売に向けたと思うと、その手をさっと握り、輪の中に誘って一緒に踊りはじめた。
「なにを……!」
と最初は戸惑っていた比売も、やがて来目のリードに任せてくるくると回り始めた。
さながら古代のワルツである。
「吾も舞うぞ」
「わらわもじゃ」
それにつられて老若男女が次々に踊りの輪に入った。
みな心から宴を楽しんでいる。