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文字数 1,748文字
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人生、それなりに長く生きていてもなんの経験もしてこないで、知識も詰め込んでこなかったとなれば、なにかを語る資格なんてありやしない。
もちろん、なにかを書くことなんてできやしない。書くことにあこがれを抱いていたとしても。
いや、書くことにあこがれているがゆえに、本気を出して勇気をもって書いたときの玉砕のその事実は、当の本人をこれほどかというほどに傷つける。
勇気がもてない、本気で書くということの。僕は……そうだ。本気が砕け散るのがつらい。砕け散って傷ついたときの、その傷跡がいつまでも残るのが嫌で堪らない。よって勇気も出さなければ本気も出さなくなってくる。勇気がもてないなんて嘘っぱちだ。勇気を出さないで逃げている。
傷ついたところで立ち上がれるならばいいのだが、そううまくはいかないのもまた人生で、それに気づくのが早いか遅いか、それに立ち直り立ち上がれるかどうかというのはそのひとの大きな分岐点となり得る。
結果からいうと、僕はダメだった。漠然と小説が書きたい人生だったが、完全に『潰されてから』は、なにも書くことがなかった。
「人生、長く生きてきたくせになんの経験もしてこないで、語ることなんてひとつもない。それどころか、語るにしちゃぁ、膝がいつも震えているぜ、このコミュ障!」
僕は自分にいつも言い聞かせる。このどん詰まりの生き方から脱却し、なにかしらを始めるのだ、と。しかし、膝は震えるし、ひととろくに話をすることすらできない。
結果、いつも脱却できない。
コミュニケーション障害。略してコミュ障。
僕は高校を中退し、ひきこもりになっていた。友達もいないままで。
経験はなにもないが、なんかいろいろあった気もする。生きていればいろいろある、という程度の意味でいろいろあったのだが、それにしたっていろんなことがあるたびにいろんなことが同時にあって、結局どれをどうしていこうか考えているうちに時間だけが過ぎ去り、なにもできないで終わる。
いろいろって言ったって、経験のうちに入らねぇ話ばかりだ。
これがコミュ障のひきこもりの、限界だった。
掛軸陸前! あいつがいなければ潰されはしなかっただろう。いや、それはスターに対するひがみか。
幻聴。
いわゆる〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされて、僕は心療内科を受診するはめとなった。
幻聴。
別段、不思議もなにもない。
普通の現実の映像の上に、あたまのおかしな〈声〉が重なって聞こえてくるだけだ。
不思議でもなんでもない。
動画をつくるとして、映像と音声をばらばらにつくって、映像と音声のギャップが消えないような違和感、と似た感覚と言えばわかってもらえるだろうか。または、副音声がうるさいような。その副音声こそが僕にとっての幻聴である。
「まさか自分が〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされるとは、な。焼きが回ってきたもんだぜ」
焼きが回ってきたもなにも、コミュ障である。
格好つけようとしたって、ただの疾患である。
高校を中退し、なにか職はないかと探して、バイトは運よく入れても一週間以内にクビか辞めることになるし、だんだん就労意欲は減退する。
そのなかで高い金を払って心療内科の受診である。
ニートで〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされているなんて、目も当てられない。
大した経験もせず、おそらくは架空の〈声〉に悩まされながら、コミュ障として自宅の自分の部屋でうずくまって生きる。
酷い話かと思えばそうじゃなく、ひもじくて、または今日か明日にも孤独死をするような、そのなかで死ぬか生きるかを思案しているひとが僕のニート幻聴小噺を聞いたら、唾を吐きかけられるような、これは贅沢な話だ。
僕は衣食住、揃っているから。
だが、ニートはなりたくてなっているわけじゃない。結果、そうなってしまって抜け出せなくなっただけだ。
幻聴も、なりたくてなったわけじゃない。これは誰でも起こり得る、ただの精神疾患だ。
僕はそんな半生を送ってきた。
特に語ることなんてない、つまらない自分語りを、僕は自分で蔑視する。
話を家族に移してみよう。
人生、それなりに長く生きていてもなんの経験もしてこないで、知識も詰め込んでこなかったとなれば、なにかを語る資格なんてありやしない。
もちろん、なにかを書くことなんてできやしない。書くことにあこがれを抱いていたとしても。
いや、書くことにあこがれているがゆえに、本気を出して勇気をもって書いたときの玉砕のその事実は、当の本人をこれほどかというほどに傷つける。
勇気がもてない、本気で書くということの。僕は……そうだ。本気が砕け散るのがつらい。砕け散って傷ついたときの、その傷跡がいつまでも残るのが嫌で堪らない。よって勇気も出さなければ本気も出さなくなってくる。勇気がもてないなんて嘘っぱちだ。勇気を出さないで逃げている。
傷ついたところで立ち上がれるならばいいのだが、そううまくはいかないのもまた人生で、それに気づくのが早いか遅いか、それに立ち直り立ち上がれるかどうかというのはそのひとの大きな分岐点となり得る。
結果からいうと、僕はダメだった。漠然と小説が書きたい人生だったが、完全に『潰されてから』は、なにも書くことがなかった。
「人生、長く生きてきたくせになんの経験もしてこないで、語ることなんてひとつもない。それどころか、語るにしちゃぁ、膝がいつも震えているぜ、このコミュ障!」
僕は自分にいつも言い聞かせる。このどん詰まりの生き方から脱却し、なにかしらを始めるのだ、と。しかし、膝は震えるし、ひととろくに話をすることすらできない。
結果、いつも脱却できない。
コミュニケーション障害。略してコミュ障。
僕は高校を中退し、ひきこもりになっていた。友達もいないままで。
経験はなにもないが、なんかいろいろあった気もする。生きていればいろいろある、という程度の意味でいろいろあったのだが、それにしたっていろんなことがあるたびにいろんなことが同時にあって、結局どれをどうしていこうか考えているうちに時間だけが過ぎ去り、なにもできないで終わる。
いろいろって言ったって、経験のうちに入らねぇ話ばかりだ。
これがコミュ障のひきこもりの、限界だった。
掛軸陸前! あいつがいなければ潰されはしなかっただろう。いや、それはスターに対するひがみか。
幻聴。
いわゆる〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされて、僕は心療内科を受診するはめとなった。
幻聴。
別段、不思議もなにもない。
普通の現実の映像の上に、あたまのおかしな〈声〉が重なって聞こえてくるだけだ。
不思議でもなんでもない。
動画をつくるとして、映像と音声をばらばらにつくって、映像と音声のギャップが消えないような違和感、と似た感覚と言えばわかってもらえるだろうか。または、副音声がうるさいような。その副音声こそが僕にとっての幻聴である。
「まさか自分が〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされるとは、な。焼きが回ってきたもんだぜ」
焼きが回ってきたもなにも、コミュ障である。
格好つけようとしたって、ただの疾患である。
高校を中退し、なにか職はないかと探して、バイトは運よく入れても一週間以内にクビか辞めることになるし、だんだん就労意欲は減退する。
そのなかで高い金を払って心療内科の受診である。
ニートで〈ヒアリングヴォイシズ〉に悩まされているなんて、目も当てられない。
大した経験もせず、おそらくは架空の〈声〉に悩まされながら、コミュ障として自宅の自分の部屋でうずくまって生きる。
酷い話かと思えばそうじゃなく、ひもじくて、または今日か明日にも孤独死をするような、そのなかで死ぬか生きるかを思案しているひとが僕のニート幻聴小噺を聞いたら、唾を吐きかけられるような、これは贅沢な話だ。
僕は衣食住、揃っているから。
だが、ニートはなりたくてなっているわけじゃない。結果、そうなってしまって抜け出せなくなっただけだ。
幻聴も、なりたくてなったわけじゃない。これは誰でも起こり得る、ただの精神疾患だ。
僕はそんな半生を送ってきた。
特に語ることなんてない、つまらない自分語りを、僕は自分で蔑視する。
話を家族に移してみよう。