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文字数 622文字

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   (幕間)

「どうしてあなたは座禅して禅僧の言葉を手がかりに考えるということをなさらず、高齢でありながら炊事係などの雑務に従事しておられるのですか。わずらわしい雑用が、なんの役に立つのですか」
 と、外国に派遣された僧がある高齢の僧に話しかけた。
「外国の好人、いまだ弁道を了得せず」
 と、高齢の僧は答えた。
 これはなにを意味するかと言うと、『あなたは書籍に記してあることの本当の意味がわかってない』と〈大笑〉されたという意味なのである。
 この一件は、座禅や勉学に比べて炊事などの日常的な用務が低級ないし無意味と考えていたその僧にとって、大きな衝撃だった。
 これがのちに彼の修証一如の思想に大きく影響を与えることになるのだった。

 では、その〈修証一如〉とは。これは『弁道話』の中で説かれ、「修」すなわち「修行」と、「証」すなわち「悟り」は同じひとつのものであって、修行に終わりはなく、また悟りにもはじまりはない、という考え方をいう。
 座禅して無心の境地にあるとき、ひとはすでに覚者すなわち仏陀であり、座禅は仏としての行為になる。ただし、仏であるという事実に安住するのではなく、仏であるからこそ、無限の修業を続けていかなくてはならないのである、と理解される。
 要するに生活のすべては修行であり、修行となる生活をこそ、送らねばならない、ということである。

   (幕間、終わり)



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登場人物紹介

紫延ノノ

 ウサミミ看護服の少女。

白梅春葉

 バーサーカー少女。主人公の幼馴染。

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