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文字数 3,121文字
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僕、水野晶は考えながら歩く。
話は込み入っている。オリジナル掛軸陸前は生きているらしい。向こうのこの町の魔王・ディアヌスだ。一方、オリジナルの方の弟、水野玄人はレプリカの方の魔王・ディアヌスで、やはり生きている。その情報からすると、両者がぶつかるとみていいだろう。
しかし、『カルラ町の』ってなんだろう。地方の町のローカルな力が、そんなに強いのか?
言い換えれば、山猫神社って、そんなにヤバい神社なのか、ということだ。もしかしたら、そのあたりに物質XYZのヒントがあるかもしれないな。
僕の家とかかりつけの心療内科のちょうど真ん中にある山の中に、山猫神社がある。
僕、ノノ、春葉は歩いて山猫神社の鳥居をまたいだ。
ここまでの道のり、ひとは一人も歩いていなかったし、自動車も自転車も通らなかった。
山道を歩いてきたので、本当にひとが消失しているのかはわからない。だが、明日、地球が滅びるならば、それも大いにあり得ることだ。
人類が滅亡するとき、ひとは一体なにを考えるのだろう。
僕はノノを送り込んで笑顔で滅亡から救うようにと指令を出した担当医のことを思う。
今でもまだ、たんにからかわれているだけなのではないか、とさえ思う。
だが、ディアヌスの触手は本物だった。刺さった腹部と肩と太ももには、今も包帯がぐるぐる巻きになっていて、僕はその上から服を着ている。
鳥居をくぐって境内に入ると、まっすぐ手水に向かい、口を漱ぐ水をひしゃくで取ってがぶ飲みしだす白梅春葉が、
「このお水、おいしいねっ!」
と、バカみたいに笑顔になって、言う。
別にいいけどさ。手水の水かぁ。
ここ、監視カメラたくさんついてるんだよなー。
境内に入ると、空気が変わる。それは、神社の奥にしめ縄で守られている、巨大なご神木が威圧感を出しているからだと、すぐに理解できた。
もしもディアヌスが防衛戦をしていかなければならないのならば、水野玄人はここに現れるはずだ。緊張する。包帯の下の切れた肌と肉が痛みを発する。
「お水ぅ、みんなで飲もうよーっ」
まったく、春葉はなにをやってるんだ。
「笑顔を売る~、お水ぅ~。ららら~」
「やめろ春葉。お水の意味が違うし罰当たりだ」
僕がたしなめると、背後の石段の方から、
「そうだ。そういうとこだぞ」
と、声がする。
振り向くと、担当医の砥石先生だった。
「再度、登場。砥石だよ」
僕の横まで来ると、先生は僕の肩に手を置いた。
「果たして、『この町の人々』が嫌いな君は町の守護者とどう対峙し、地球を救うんだろうなぁ」
砥石先生は、あはは、と大きく口を開けて笑った。
「水野くん。君はいい子だよ。だからノノが選んだのかもしれないと思うほどだ。キーパーソンであることは確かだが、別に君が解決しなきゃならない問題なのかと問われると……人間嫌いの君は滅びを選択しそうだからね、あっちの地球をあっちの水野くんがそうしたように」
「実感が湧かないのに、なぜか明日、本当に地球が滅ぶような気もするんです」
「二重に思考してしまうんだね。わかるよ。そうだとわかるのとそうじゃないだろうという常識、そのふたつの事象をどちらも真実だと受け止めてしまいながら、君は今、ここに立っているんだね」
「はい」
「それはどちらも正しいよ」
「どうしてですか」
「君の幻聴と同じ理屈さ。声がしているのは本当。だけど常識的には声が聞こえているはずがない。そうだろう?」
「なるほど」
耳鳴りがする。この場所が静寂に守られているからだ。不自然な静寂が、ある。この息苦しさが、僕に耳鳴りを起こさせる。
「あ。晶の先生。コンニチワ。お水ぅ、一緒に飲みましょうよー」
先生に手を振る春葉。
ノノはどうしているかというと、腕組をしながら、拝殿の、さい銭箱の前に立っている。ウサミミは着けたままだ。
耳鳴りは止まらない。嫌な〈声〉が聞こえてくる。
僕は耳鳴りに、耳を澄ませた。不快なノイズだが、これが〈僕が生きる世界〉の象徴だ。
社殿の中にこの樹に関するご神体が祭られているのだろう。
だが、ご神木は本殿の真後ろにある。
「ご神託があったそうだよ」
いきなり、砥石先生が、僕に言う。
「夢でご神託を受けたこの町の権力者が、この樹を祭るようになった。すると、ますます家業が栄えた。権力者は神社を立てた。教祖の出来上がりさ」
たたた、と駆けてきた春葉が挙手する。
「先生ぇー、ご神木はフロイト先生なら何て言いますかぁ?」
「ファルス!」
ばきっと音がした。ウサミミナースの紫延ノノが砥石先生を殴った音だった。
「不謹慎」
殴られた頬をさする僕の担当医。
「そうでもないさ。この手の神話に性的なニュアンスはつきものだから。……それに、新宗教だよ、完全に。約百年前の話さ。政治的な歴史の節目には、必ずと言っていいほど新宗教が同時多発的に出現する。この神社の法人も、そのひとつさ。ディアヌスも、ディ・アヌス(アヌスではない)という意味でもあるし、教義的に性的なニュアンスがあるのも確かなのだよ。聞かなかったかい、掛軸というプレイボーイがあっちの地球じゃディアヌスだったんだ。それは偶然じゃない。いつも男性としての野性を持ったものが魔王・ディアヌスに〈選ばれる〉。誰でもいいからなっているんじゃないよ。選ばれるように引き寄せられていき、枝を折って魔王になって、氏子をまとめてきたのは、いつもやりまくっているような奴だったのだよ。必然さ」
掛軸陸前。僕は嫉妬の炎で胃が焼けそうになってしまう。なにがプレイボーイだ、テレビスターだ。
「そうだ、そうだ、春葉くん」
手招きする砥石先生のもとへ接近する春葉。
目の前で立ち止まって、小首をかしげると、砥石先生はポケットから出した医療用メスを一閃。袈裟斬りのように縦に春葉を服の上から斬った。
飛び出る血液。
春葉は出血しながら先生から飛び退いた。
「最近、この町に出没していた殺人鬼って、君のことだね。昨日の林田一家殺害も」
「だったらどうするっていうんですかぁ? 春葉を、殺しちゃいますぅ?」
「もちろんだ」
医療用メスを構えて突進する砥石先生。
それを迎え撃つ春葉は、腕を伸ばして、口を大きく開けた。懐に飛び込んだ砥石先生のメスが春葉の腹部に刺さる。が、そのまま腕を先生の背中に回し、ホールドする。
春葉は首を捉える。無防備になった先生の首に、春葉は口でかじって歯で血管を肉ごと食いちぎった。
動脈だった。
境内に噴出する血液がまき散らされる。
「クソ! 私の大事なスグルも……ッ」
「スグル? ああ、先生のお子さんですねっ! おいしかったですよぉ」
口からピューという空気音を出して、砥石先生は倒れ、しばらくすると動かなくなった。
「春葉はぁ、チート能力者ですからねっ、センセ?」
満面の笑みだった。
「さぁ、どうする、アンタ。依頼主は死んじゃったワケなんですケド」
「どうするって……」
ノノが冷静に先生の死体を見下ろしながら言う。
「ご神木を切ろう。ホームセンターでチェインソー買って、さ」
掛軸を殴りたい。殺したい。今、春葉がしたような衝動で、僕の心は溢れかえっている。
僕はもう、道徳的には、アウトだ。
こっちの魔王は水野玄人だが、ご神木を切ればなにかが起こる予感がする。
「エネルギー補給だよっ!」
春葉は地面に這いつくばって、砥石先生だったモノをがつがつ平らげようとしていた。
僕、水野晶は考えながら歩く。
話は込み入っている。オリジナル掛軸陸前は生きているらしい。向こうのこの町の魔王・ディアヌスだ。一方、オリジナルの方の弟、水野玄人はレプリカの方の魔王・ディアヌスで、やはり生きている。その情報からすると、両者がぶつかるとみていいだろう。
しかし、『カルラ町の』ってなんだろう。地方の町のローカルな力が、そんなに強いのか?
言い換えれば、山猫神社って、そんなにヤバい神社なのか、ということだ。もしかしたら、そのあたりに物質XYZのヒントがあるかもしれないな。
僕の家とかかりつけの心療内科のちょうど真ん中にある山の中に、山猫神社がある。
僕、ノノ、春葉は歩いて山猫神社の鳥居をまたいだ。
ここまでの道のり、ひとは一人も歩いていなかったし、自動車も自転車も通らなかった。
山道を歩いてきたので、本当にひとが消失しているのかはわからない。だが、明日、地球が滅びるならば、それも大いにあり得ることだ。
人類が滅亡するとき、ひとは一体なにを考えるのだろう。
僕はノノを送り込んで笑顔で滅亡から救うようにと指令を出した担当医のことを思う。
今でもまだ、たんにからかわれているだけなのではないか、とさえ思う。
だが、ディアヌスの触手は本物だった。刺さった腹部と肩と太ももには、今も包帯がぐるぐる巻きになっていて、僕はその上から服を着ている。
鳥居をくぐって境内に入ると、まっすぐ手水に向かい、口を漱ぐ水をひしゃくで取ってがぶ飲みしだす白梅春葉が、
「このお水、おいしいねっ!」
と、バカみたいに笑顔になって、言う。
別にいいけどさ。手水の水かぁ。
ここ、監視カメラたくさんついてるんだよなー。
境内に入ると、空気が変わる。それは、神社の奥にしめ縄で守られている、巨大なご神木が威圧感を出しているからだと、すぐに理解できた。
もしもディアヌスが防衛戦をしていかなければならないのならば、水野玄人はここに現れるはずだ。緊張する。包帯の下の切れた肌と肉が痛みを発する。
「お水ぅ、みんなで飲もうよーっ」
まったく、春葉はなにをやってるんだ。
「笑顔を売る~、お水ぅ~。ららら~」
「やめろ春葉。お水の意味が違うし罰当たりだ」
僕がたしなめると、背後の石段の方から、
「そうだ。そういうとこだぞ」
と、声がする。
振り向くと、担当医の砥石先生だった。
「再度、登場。砥石だよ」
僕の横まで来ると、先生は僕の肩に手を置いた。
「果たして、『この町の人々』が嫌いな君は町の守護者とどう対峙し、地球を救うんだろうなぁ」
砥石先生は、あはは、と大きく口を開けて笑った。
「水野くん。君はいい子だよ。だからノノが選んだのかもしれないと思うほどだ。キーパーソンであることは確かだが、別に君が解決しなきゃならない問題なのかと問われると……人間嫌いの君は滅びを選択しそうだからね、あっちの地球をあっちの水野くんがそうしたように」
「実感が湧かないのに、なぜか明日、本当に地球が滅ぶような気もするんです」
「二重に思考してしまうんだね。わかるよ。そうだとわかるのとそうじゃないだろうという常識、そのふたつの事象をどちらも真実だと受け止めてしまいながら、君は今、ここに立っているんだね」
「はい」
「それはどちらも正しいよ」
「どうしてですか」
「君の幻聴と同じ理屈さ。声がしているのは本当。だけど常識的には声が聞こえているはずがない。そうだろう?」
「なるほど」
耳鳴りがする。この場所が静寂に守られているからだ。不自然な静寂が、ある。この息苦しさが、僕に耳鳴りを起こさせる。
「あ。晶の先生。コンニチワ。お水ぅ、一緒に飲みましょうよー」
先生に手を振る春葉。
ノノはどうしているかというと、腕組をしながら、拝殿の、さい銭箱の前に立っている。ウサミミは着けたままだ。
耳鳴りは止まらない。嫌な〈声〉が聞こえてくる。
僕は耳鳴りに、耳を澄ませた。不快なノイズだが、これが〈僕が生きる世界〉の象徴だ。
社殿の中にこの樹に関するご神体が祭られているのだろう。
だが、ご神木は本殿の真後ろにある。
「ご神託があったそうだよ」
いきなり、砥石先生が、僕に言う。
「夢でご神託を受けたこの町の権力者が、この樹を祭るようになった。すると、ますます家業が栄えた。権力者は神社を立てた。教祖の出来上がりさ」
たたた、と駆けてきた春葉が挙手する。
「先生ぇー、ご神木はフロイト先生なら何て言いますかぁ?」
「ファルス!」
ばきっと音がした。ウサミミナースの紫延ノノが砥石先生を殴った音だった。
「不謹慎」
殴られた頬をさする僕の担当医。
「そうでもないさ。この手の神話に性的なニュアンスはつきものだから。……それに、新宗教だよ、完全に。約百年前の話さ。政治的な歴史の節目には、必ずと言っていいほど新宗教が同時多発的に出現する。この神社の法人も、そのひとつさ。ディアヌスも、ディ・アヌス(アヌスではない)という意味でもあるし、教義的に性的なニュアンスがあるのも確かなのだよ。聞かなかったかい、掛軸というプレイボーイがあっちの地球じゃディアヌスだったんだ。それは偶然じゃない。いつも男性としての野性を持ったものが魔王・ディアヌスに〈選ばれる〉。誰でもいいからなっているんじゃないよ。選ばれるように引き寄せられていき、枝を折って魔王になって、氏子をまとめてきたのは、いつもやりまくっているような奴だったのだよ。必然さ」
掛軸陸前。僕は嫉妬の炎で胃が焼けそうになってしまう。なにがプレイボーイだ、テレビスターだ。
「そうだ、そうだ、春葉くん」
手招きする砥石先生のもとへ接近する春葉。
目の前で立ち止まって、小首をかしげると、砥石先生はポケットから出した医療用メスを一閃。袈裟斬りのように縦に春葉を服の上から斬った。
飛び出る血液。
春葉は出血しながら先生から飛び退いた。
「最近、この町に出没していた殺人鬼って、君のことだね。昨日の林田一家殺害も」
「だったらどうするっていうんですかぁ? 春葉を、殺しちゃいますぅ?」
「もちろんだ」
医療用メスを構えて突進する砥石先生。
それを迎え撃つ春葉は、腕を伸ばして、口を大きく開けた。懐に飛び込んだ砥石先生のメスが春葉の腹部に刺さる。が、そのまま腕を先生の背中に回し、ホールドする。
春葉は首を捉える。無防備になった先生の首に、春葉は口でかじって歯で血管を肉ごと食いちぎった。
動脈だった。
境内に噴出する血液がまき散らされる。
「クソ! 私の大事なスグルも……ッ」
「スグル? ああ、先生のお子さんですねっ! おいしかったですよぉ」
口からピューという空気音を出して、砥石先生は倒れ、しばらくすると動かなくなった。
「春葉はぁ、チート能力者ですからねっ、センセ?」
満面の笑みだった。
「さぁ、どうする、アンタ。依頼主は死んじゃったワケなんですケド」
「どうするって……」
ノノが冷静に先生の死体を見下ろしながら言う。
「ご神木を切ろう。ホームセンターでチェインソー買って、さ」
掛軸を殴りたい。殺したい。今、春葉がしたような衝動で、僕の心は溢れかえっている。
僕はもう、道徳的には、アウトだ。
こっちの魔王は水野玄人だが、ご神木を切ればなにかが起こる予感がする。
「エネルギー補給だよっ!」
春葉は地面に這いつくばって、砥石先生だったモノをがつがつ平らげようとしていた。