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文字数 2,245文字
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僕はどうして小説が書きたかったんだっけ。どうして、なんの経験もなく、無学な僕が小説なんてものを書こうとしていたんだっけ。
承認欲求をどうにかしたいからでは、ないだろう。僕はあまりに文章書きに不向きだ。それは承知してる。
自分の世界を持ってない僕には、想像力が絶対的に足りない。想像力なんてあるわけないだろう。僕はずっとひとりぼっちだったから。友達が、つくれなかったから。
たわごとに聞こえるかもしれないな。書けない理由を探しているみたいだ。
パソコンのキーボードを叩く指の動きを止めてはならない。これが僕の生命線だ。使命感と言うにはあまりに情けない、現実からの逃避すらうまくいかない、そんな僕にできるのは、ただ歩みを止めないことだけだった。
幻聴によって、遮断される使命感。僕はただ無駄なことをしているだけだと、幻聴は僕の持つ本も、書いた原稿もメモも捨てさせる。大切にしまっておいた聖書も捨てさせられた。こころのよりどころなんてなくなってしまった。僕はどう生きたらいいのだろう。
たとえこの幻聴から目が覚めても、僕にはなにひとつ変われないだろう。変われるはずなんてないのだ。
幻聴のバックに耳鳴りがキーンと音を立てて、僕を幻覚の世界に追いやる。誰の仕業なのか。誰の差し金なのか。僕には、本当のところはわかってない。誰かの言ったことを鵜呑みにしても、ろくなことがなかったからだ。それこそ、聖書を燃やされたことと同じように、そんなことをしても誰かが、人間の誰かが、助けてくれることなんてなかったからだ。
自分勝手に言いたい放題言って、僕に対し責任なんて誰も取らないのだ。幻聴の責任はすべて僕の責任になる。死んでしまう。死んでしまう。僕の世界が閉じてしまう。
薄い、薄い、この薄情な人間たちで構成された、だけどそこに生きるしかなかった、この世界が。
幻覚は言う。お前はクズだ、と。お前は醜い、と。陽炎のように揺れるその幻覚を凝視すれば、そこには学生時代に僕を追い詰めた面々の姿が見える。揺らぐその残像は、いつまでもいつまでも僕を笑って、怒鳴って、従順な人間へとさせようとする。僕はこいつらにとっては、人間以下の存在で、犬とかネズミとか、そういった類の生物なのだろう。
ムンクは叫ばない。こころのなかで叫んだ。ニーチェはどうだっただろう。路上で叫んだ、と伝えられる。ムンクは叫ぶひととしてニーチェを描いた。偉人でさえ、叫ぶのだ。僕に幻視も幻聴も耐えられるはずがない。ただただ、追い詰めて喜ぶ人間たちがいるだけで、発狂を期待されている。叫びたくなる。
なんで、僕を追い詰めると喜ぶのか。僕が気に食わないから、だろう。気に食わないから、死ね。シンプルだ。シンプルすぎる。僕はそれに付き合ってあげている、とはいえなくはないだろうか。
耳鳴り。幻聴。幻聴の世界は狂っている。その原因がなんであれ、その世界そのものが狂っているのに間違いはない。二十四時間、幻聴に脅かされ生きるのは、とてもつらいことだ。
だけど、内面とだけ僕が戦っているわけではないのも、僕を悩ませることなのだ。僕は嫌われている。いじめに遭って生きてきた。慣れるとでも思うか。こんなものに慣れるわけがない。いつも苦痛を味わって生きる。ざまあみろ、と吐き捨てられる、まるで僕が悪いと言わんばかりだ。いや、彼ら彼女らにとって僕は害悪そのものなのだ。だから、いじめられて、人生を台無しにされて、やつらは「ざまあみろ」と頭を足で踏むようなことをする。憎しみ。生理的嫌悪感。そういったものを理由に、彼ら自身のストレスのはけ口とされる、僕がいる。おかしくなる。
学校でのいじめ、とはよく言われるが、歩いているだけで、どこかのお店で買い物をしているだけで、罵詈雑言を浴びせられる。家の中では幻聴に脅かされるのだから、逃げ場なんて全くない。
本当に頭がおかしいのは僕なんだろうか。なにかが狂っているんじゃないだろうか。
個人個人だけの事情だけではなく、大衆心理、イメージ誘導、噂話、そういったものがないまぜになってつくられる『場』。この『場』のどこが、正常だと言えるのか。
話を戻そう。僕は小説が書きたかった。せめて、『自分の世界』を持ちたかった。そうしないと生きていくのは困難であるかのように思えた。オルタナティヴな『場』を持ちたかった。
僕には語るべきストーリーなんてみじんもない。勉強もできない。経験もない。政治経済に、時事に興味が持てない。みんなからバカにされているのに、助けてくれない世間に興味がもてるはずがない。
自分から動き出せ?
笑わせやがる。
生きていて楽しくなんてない。
醜いのは、僕なのだろうか。みんな他人や組織との利害関係とつながりを持っているから、必死になって時事を追うだけ。それに関し興味の持てない僕を蔑視し、追放する。みんな、本当はわが身がかわいいだけなのだろう。自分に幸あれ。自分に害をなす者を追放せよ。ただ、それだけ。
僕にはあまりに語ることがない。
だが、この『痛み』だけは、リアルなのだ。
この『傷』だけは、取り換えることができない。
この痛みが、僕を駆動させる。なにかを『語りたい』と思わせてしまう。
生きる喜び?
ああ、そう。
それが見つかるなんて、良かったね。
僕には欠如したものだから、羨ましいよ。
僕はどうして小説が書きたかったんだっけ。どうして、なんの経験もなく、無学な僕が小説なんてものを書こうとしていたんだっけ。
承認欲求をどうにかしたいからでは、ないだろう。僕はあまりに文章書きに不向きだ。それは承知してる。
自分の世界を持ってない僕には、想像力が絶対的に足りない。想像力なんてあるわけないだろう。僕はずっとひとりぼっちだったから。友達が、つくれなかったから。
たわごとに聞こえるかもしれないな。書けない理由を探しているみたいだ。
パソコンのキーボードを叩く指の動きを止めてはならない。これが僕の生命線だ。使命感と言うにはあまりに情けない、現実からの逃避すらうまくいかない、そんな僕にできるのは、ただ歩みを止めないことだけだった。
幻聴によって、遮断される使命感。僕はただ無駄なことをしているだけだと、幻聴は僕の持つ本も、書いた原稿もメモも捨てさせる。大切にしまっておいた聖書も捨てさせられた。こころのよりどころなんてなくなってしまった。僕はどう生きたらいいのだろう。
たとえこの幻聴から目が覚めても、僕にはなにひとつ変われないだろう。変われるはずなんてないのだ。
幻聴のバックに耳鳴りがキーンと音を立てて、僕を幻覚の世界に追いやる。誰の仕業なのか。誰の差し金なのか。僕には、本当のところはわかってない。誰かの言ったことを鵜呑みにしても、ろくなことがなかったからだ。それこそ、聖書を燃やされたことと同じように、そんなことをしても誰かが、人間の誰かが、助けてくれることなんてなかったからだ。
自分勝手に言いたい放題言って、僕に対し責任なんて誰も取らないのだ。幻聴の責任はすべて僕の責任になる。死んでしまう。死んでしまう。僕の世界が閉じてしまう。
薄い、薄い、この薄情な人間たちで構成された、だけどそこに生きるしかなかった、この世界が。
幻覚は言う。お前はクズだ、と。お前は醜い、と。陽炎のように揺れるその幻覚を凝視すれば、そこには学生時代に僕を追い詰めた面々の姿が見える。揺らぐその残像は、いつまでもいつまでも僕を笑って、怒鳴って、従順な人間へとさせようとする。僕はこいつらにとっては、人間以下の存在で、犬とかネズミとか、そういった類の生物なのだろう。
ムンクは叫ばない。こころのなかで叫んだ。ニーチェはどうだっただろう。路上で叫んだ、と伝えられる。ムンクは叫ぶひととしてニーチェを描いた。偉人でさえ、叫ぶのだ。僕に幻視も幻聴も耐えられるはずがない。ただただ、追い詰めて喜ぶ人間たちがいるだけで、発狂を期待されている。叫びたくなる。
なんで、僕を追い詰めると喜ぶのか。僕が気に食わないから、だろう。気に食わないから、死ね。シンプルだ。シンプルすぎる。僕はそれに付き合ってあげている、とはいえなくはないだろうか。
耳鳴り。幻聴。幻聴の世界は狂っている。その原因がなんであれ、その世界そのものが狂っているのに間違いはない。二十四時間、幻聴に脅かされ生きるのは、とてもつらいことだ。
だけど、内面とだけ僕が戦っているわけではないのも、僕を悩ませることなのだ。僕は嫌われている。いじめに遭って生きてきた。慣れるとでも思うか。こんなものに慣れるわけがない。いつも苦痛を味わって生きる。ざまあみろ、と吐き捨てられる、まるで僕が悪いと言わんばかりだ。いや、彼ら彼女らにとって僕は害悪そのものなのだ。だから、いじめられて、人生を台無しにされて、やつらは「ざまあみろ」と頭を足で踏むようなことをする。憎しみ。生理的嫌悪感。そういったものを理由に、彼ら自身のストレスのはけ口とされる、僕がいる。おかしくなる。
学校でのいじめ、とはよく言われるが、歩いているだけで、どこかのお店で買い物をしているだけで、罵詈雑言を浴びせられる。家の中では幻聴に脅かされるのだから、逃げ場なんて全くない。
本当に頭がおかしいのは僕なんだろうか。なにかが狂っているんじゃないだろうか。
個人個人だけの事情だけではなく、大衆心理、イメージ誘導、噂話、そういったものがないまぜになってつくられる『場』。この『場』のどこが、正常だと言えるのか。
話を戻そう。僕は小説が書きたかった。せめて、『自分の世界』を持ちたかった。そうしないと生きていくのは困難であるかのように思えた。オルタナティヴな『場』を持ちたかった。
僕には語るべきストーリーなんてみじんもない。勉強もできない。経験もない。政治経済に、時事に興味が持てない。みんなからバカにされているのに、助けてくれない世間に興味がもてるはずがない。
自分から動き出せ?
笑わせやがる。
生きていて楽しくなんてない。
醜いのは、僕なのだろうか。みんな他人や組織との利害関係とつながりを持っているから、必死になって時事を追うだけ。それに関し興味の持てない僕を蔑視し、追放する。みんな、本当はわが身がかわいいだけなのだろう。自分に幸あれ。自分に害をなす者を追放せよ。ただ、それだけ。
僕にはあまりに語ることがない。
だが、この『痛み』だけは、リアルなのだ。
この『傷』だけは、取り換えることができない。
この痛みが、僕を駆動させる。なにかを『語りたい』と思わせてしまう。
生きる喜び?
ああ、そう。
それが見つかるなんて、良かったね。
僕には欠如したものだから、羨ましいよ。