2章10話 ダッシュ

文字数 2,522文字

 昼が夜に変わる、逢魔が時の空が好きだ。
 雲が動き、茜色に染まりゆく様は見てて飽きない。
 頭上には鉄床のように広がった積乱雲ができている。

 あまり時間はないけれど、俺が無理をいった。
 エリアCに留まり、三人で見上げる時間を作った。
 アメリアとはここで別れ、イリスと向かうことになる。

「それじゃ……」

「うん」

 その時がきても、あまり会話を交わさなかった。
 イリスでさえ、作戦会議をしてから沈黙が増えた。
 後ろ髪を惹かれる思いだが、振り切るように歩く。

 小雨のような雪は肌につもり、足取りを重くさせた。
 くるぶしまで積雪に埋まるから、思うように進まない。
 まるで『ここから先は行くな』と言われているみたいだ。

 リリクランジュは――依然として体育座りで顔を埋めていた。
 一軒家のような巨体で、艷やかな髪は背中に張りついている。

「待って」

 少し近づいてみた途端、イリスに静止をかけられた。
 人差し指を唇に添え、耳を澄ますように訴えている。

 俺は訝しげに思いながら耳に意識を傾ける。
 一定リズムで規則的な息遣いが聞こえてきた。

「すーすー」

 眠っているらしい。
 イリスが眼鏡をずり上げ、小声で早口になる。

「調べておいたの、リリクランジュの睡眠時間。十五時から十八時の間は大体眠っているらしいわ。昼礼と夕礼の隙間に当たるのかしらね。正直にいって、私はソラくんの作戦に反対よ。あまりにも無謀で、とても達成しえると思えない。それでも止まる気はなさそうだし、代案がないのも事実だからね。なら少しでも負担は軽くしてあげないと」

 何とでもないように言ったが、面食らっていた。
 ありがとう、と感謝を告げるも手を振って流される。

 俺たちは忍び足で近づき、リリクランジュを盗み見た。
 緩やかに上下する肩の様子から起きる気配はない。

 さながら気分は豪邸に忍び込む泥棒だ。
 心音が外に漏れ出さないか不安になる。

「じゃ、いくわよ?」

 緊張した面持ちで、イリスの目が俺に向く。
 頷き返してやると、リリクランジュの辺りを探った。

 お目当てのものは無造作に雪上で転がっていたようだ。
 ものの数秒で見つかり、白色の携帯がすくい上げられる。

「ふぅ~……緊張するわね」

 おどけたように言うけれど、額が汗でびっしょりだ。
 イリスだけじゃない、俺も似たような顔をしているだろう。

「押すわよ?」

 一つ一つ確認しながら、イリスが番号を押下する。
 これが無事に済めば、イリスは船の確保に向かう。
 俺はリリクランジュを引き付ける囮役として尽力する。

 といっても今日は出番がないのかもしれない。
 ――なんて甘い考えは一瞬にして断ち切られた。

 ルルルルルルルル

 突如鳴り響いたのは軽快かつ色のついた音。
 着信音だ、リリクランジュの携帯がけたたましい。

 早鐘のように脈うつ動悸が着信音よりも大きくなる。
 止まれと念じるのも虚しく、布の擦り切れ音が届いた。
 静止した真っ白な世界で、眼下の影が色濃く変貌していく。

「なにしてんの?」

 困惑と警戒の入れ混じった声だ。
 無感情な三白眼にみるみる殺意に満ちる。

 彼女が手を振りかざした途端、イリスも動いた。
 リリクランジュの携帯に向かって大声で叫声する。

()()()() ()()()()()()

 たちまち、赤黒い数字が列を成して文字列になる。
 イリスの頭上ではない、リリクランジュの頭上でだ。

 ――STOCK 79

 それが形となった瞬間、平手打ちが飛んできた。
 イリスに直撃して、宙へと吹っ飛びながら消える。

 俺はまだ動けない、蛇に睨まれたカエルの気分だ。
 頭の中が浮つき、まだ着信音が鳴っている気がする。

 間違いなく、誰かが意図的に妨害目的で鳴らした。
 狙いは俺たちの潰し合いか、考えるだけで吐きそうだ。

 しかし視線の先で半壊した船が映り、息は整いだす。
 これ以上壊されてしまったら、それこそ助からない。
 俺は俺、他人は他人だ。今すべきことを思い出せ。

「こっちだ!!」

 リリクランジュの背に向けて、赤子の人形を掲げてみせる。
 間髪入れずに彼女が振り返り、三白眼の目で睨みつけた。

 みるみる顔が般若の如く、怒りの形相に変わりゆく。
 俺はすぐさま踵を返し、全力でその場から逃げ去った。

※ ※ ※

 慣れぬ雪道に足がとられ、速度は落ちる。
 踏み込む一歩が沈み込み、前のめりになった。

 危うく転びかけるが、胸を張って身体を起こす。
 まだ船との距離が離せていない、もっと走れ。

「――追いつかれるぞ」

 ひとりでに口が動きだし、自分の声とは非なる言葉が出る。
 後方から響き渡るリリクランジュの罵声に鼓膜が震えっぱなしだ。
 目は霧雪でかすみ、鼻はかじかんで、何も考えられなくなっていく。

「迎撃しろ、何をためらう必要がある。同じだ、邪魔者は消せ」

 うるさい、心の中で誰かが俺を否定しつづける。
 いつからだ、俺がこんなにも考え込むようになったのは。
 自分が何をすべきか、道標が思いつくようになったのは。

「ここはそれが許された世界だろう。気に病むな、お前の正義を貫け。どうせこいつも、どうしようもない悪人ばかりだ」

 足が沈む。核心めいた言葉に心音は激しくなる。
 俺はリリクランジュを見据え、向かい合って対峙した。
 STOCK30と残り命38、果たして足りるだろうか。

 リリクランジュは全ての命を一塊にしている状態だ。
 STOCKは重ねれば重ねるほど、さらに固く強くなる。

 きっと今までとは比べ物にならない動きを見せるに違いない。
 でも、だからなんだ。不可能にも挑み続けてきたのが俺だろう。

「なら、どうすべきだ?」

 わかっている、覚悟はとっくに決めてきた。
 この感覚にはどこか懐かしさを感じた。
 といってもそんなに昔ではない。

「そう、あれは――」

 経験が軌跡となって、目の前でとぐろを巻く。
 吸って吐いてを繰り返すと、下っ腹にたまった。

 リリクランジュは身がすくむような威圧感と敵体感だ。
 返せ返せと赤子の人形を前に、叫び散らしている。

 俺はどこか落ち着いていた。
 あの時とは違い、()()()()()()からだ。

「――抜刀」

 左腰からテンの刀を取りだし、鞘を脱ぎ捨てる。
 切っ先をリリクランジュに向け、双眼で睨みつけた。
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