2章09話 決戦前夜
文字数 2,890文字
厚みある夜の景色に、ぼんやりと人影が浮かぶ。
遠目ながらもひと回り小さく、短い手足をしていた。
牛歩のごとく短くとも、確かな一歩で近づいてくる。
「ミニミニ……」
お願いがあるといった、敵意は感じなかった。
なのに手がテンの刀に導かれ、柄を握りしめる。
ハッと我に返りながら手を離し、地面に落とした。
刀が転がり、足元で止まるも寒気は止まらない。
――今何を考えた?
ミニミニを、あんな小さな子を斬ろうとしたのか。
身の毛がよだつ思いだが、船での出来事を思い出す。
逃げるべき場面で鍵が引き抜かれていた。
メンバーを考えれば、彼女しかあり得ない。
「ソラおにいちゃん?」
いつしか目の前にミニミニがきていた。
小首を傾げながら不安げに覗き込んでくる。
「ど、どうした?」
否応なく、声が上擦る。
表情が作れていたかわからない。
「これ、直せぅ?」
そう差し出されたのは赤子の人形だった。
リリクランジュに返していなかったらしい。
桃色の洋服は破け、右手ごと取れかかっている。
直せるか直せないかでいえば、直せるわけがない。
そもそもなぜ俺だ、裁縫では針穴に糸すら通せないのに。
「う~ん、どうだろうな」
とはいっても、既に結論づけていた。
断り文句を探していただけに過ぎない。
「イリスねえねえもアメリアおねえちゃんも『忙しくてそれどころじゃない』って。このままだとこの子が可哀想なの」
見透かしたかのように、ミニミニが人形を抱きしめた。
小さな腕に包まれて、無表情が何だか微笑んでみえる。
「可哀想、か」
さすがに心が動いた。
腕を組みながら少し考え、携帯電話を取りだす。
「鳩ぽっぽに聞いてみるか、何か役立つものを持っているかも」
応答なし。コール音だけが続いている。
深夜だし、寝ててもおかしくないか。
「……ソラおにいちゃん?」
丸々としたミニミニの目に、俺が映っている。
眉間にしわを寄せ、困り果てたような顔つきだ。
駄目だった、でお終いにするには後味が悪すぎる。
「鳩ぽっぽの場所なら知っている、一緒に行こうか」
ミニミニの手を引きながら、エリアBに向かう。
彼女の歩幅に合わせると、自然と歩みが遅くなる。
自ずと会話が多くなり、他愛ないことをよく話した。
「ソラおにいちゃんの肩車、楽しかったぅ! ママの高い高いを思い出したの」
「へぇ、いいご両親だったんだな」
「うん」
楽しくなってきたのか、繋いだ手が前後に振られる。
明け方の白ずんだ空に届きかねないほどの勢いだ。
「ソラおにいちゃんは妹とかいるの?」
「いや、一人っ子だよ」
揺れは徐々に収まり、無風になって手が離れる。
ミニミニはスカートを翻して、照れ笑いを浮かべた。
「――ソラおにいちゃんが本当のお兄ちゃんなら良かったのに」
それからも会話は続いたが、目的地についていた。
かまくらみたいに白色で小ぶりなドーム型ハウスだ。
ドアノブを捻じれば、鍵はかかっておらず中に入れた。
「鳩ぽっぽ?」
覗き込んで呼びかけるも、やはり眠っていた。
布団に身を埋めながら鼻ちょうちんを作っている。
無理やり叩き起こすには忍びないくらいの寝つきだ。
どうしようかと少し悩み、足元の原稿用紙を見つめる。
「鳩ぽっぽってどこから食料調達しているんだろうな」
ふとした思いつきが口をついて発せられた。
ランタンに照らされた室内をぐるりと一周する。
家具はテーブルに布団しかなく、棚すら見当たらない。
でもなぜだか、一面の原稿用紙が逆に怪しく感じた。
「ちょっと漁ってみるか?」
「食べ物があるの!?」
思いの外、ミニミニが食いついた。
目の色を輝かせ、背筋をぴんと伸ばす。
「かもな」
ミニミニは撒き散らすように漁った。
泥棒でももう少し綺麗に漁るかもしれない。
俺が入る余地もなく引っ掻き回し、それを見つけた。
「床下収納……」
畳一畳分ほどの収納庫だ。床と同じ橙色で、蓋がしてある。
開閉しようにも取っ手にシリンダー錠の鍵がついていた。
「ん」
また、この騒ぎで鳩ぽっぽが起きた。
全身の原稿用紙を払い、うーんと伸びをする。
しかしすぐさま俺たちに気づき、頭から布団を被った。
「ゆ、幽霊さんですか?」
「違う違う、俺たちだよ。ちょっと人形直すのに道具がほしくてな」
「え?」
恐る恐るに顔を覗かせ、目が合うなり息を吐く。
掛け布団に包まりながら立ち上がり、部屋を一瞥した。
「幽霊さんの方が部屋荒らさない分、マシでした……」
長々とため息を吐き、鳩ぽっぽが睨むような半目になる。
俺たちがいる床下収納の前にまで来て、鍵を開けた。
「人形さんを直す道具ですね。取ってくるので待っておいてくださいです。覗いたり、勝手に入ったりしてはだめですよ?」
がらがらの掠れ声で釘を指し、地下に消えていく。
真横から覗いた限り、高低差はそれほどなかった。
降りた梯子は四段につき、大量のダンボールがある。
確認できたのはそこまでだ、存外早く戻ってきた。
梯子を登りながら、右手にそれを持って現れてくる。
「お前、セロハンテープって」
「こっちは眠いんです」
鳩ぽっぽが口を尖らせ、俺に投げて寄越す。
敷布団の位置にまで戻り、あぐらをかいて座った。
セロハンテープで修理する俺たちに、愚痴をまくし立てた。
「そういえば、ソラさん飛んだそうですね。アメリアさんが自慢していましたです。『ウチも呼んで』ってお願いしたのに酷いです。しかも船で脱出しようとしたそうじゃないですか。置き去りは悲しいです。なんですか、食べ物を届けるだけの女は野垂れ死んとけってことですか」
「そんなに捻くれるなよ、たまたまだって」
寝起きで機嫌が悪いのか、いつもより卑屈だ。
話に付き合ってやる一方で、人形の修理は続ける。
しかしどうしても、破れた服の布面積が足りなくなった。
「えいっ」
立ち所に、ミニミニが自身の袖を破いた。
人形の服と合わせ、テープで繋ぎ合わせる。
色合いが似ているから、そこまで違和感はない。
ただ判断の早さと思い切りの良さに関心させられた。
「できたの……!」
ミニミニが人形を両脇から抱え、鼻息を荒くする。
裏面から節々まで目を通し、満足げに頷いた。
俺の方に向き直り、人形を差し出してくる。
「はい、ソラおにいちゃん――あの人に返してあげてほしいの」
そう押し付けた途端、走って部屋を後にした。
押しつけられた赤子の人形が陽光に照らされる。
窓越しの景色はすっかり朝となり、空がよく見えた。
鉛直方向に昇りゆく巨大な雲が空を占めた状態だ。
予定通り、イリスとアメリアが作り上げてくれたらしい。
視線が空に固定されたまま、口先で鳩ぽっぽに問いかける。
「なぁ、電話って声で認識しているのかな。それとも発信先で識別しているんかな。例えば俺がアメリアの携帯を借りて鳩ぽっぽの配送をお願いしたら、届け先は誰になる?」
「アメリアさんになりますです」
間髪入れず返ってきた答えに、適当な相づちを打つ。
鳩ぽっぽはわかってなさそうだが、これが実に大事になる。
俺は昇りゆく太陽が眩しさで見えなくなり、目線を下げた。
遠目ながらもひと回り小さく、短い手足をしていた。
牛歩のごとく短くとも、確かな一歩で近づいてくる。
「ミニミニ……」
お願いがあるといった、敵意は感じなかった。
なのに手がテンの刀に導かれ、柄を握りしめる。
ハッと我に返りながら手を離し、地面に落とした。
刀が転がり、足元で止まるも寒気は止まらない。
――今何を考えた?
ミニミニを、あんな小さな子を斬ろうとしたのか。
身の毛がよだつ思いだが、船での出来事を思い出す。
逃げるべき場面で鍵が引き抜かれていた。
メンバーを考えれば、彼女しかあり得ない。
「ソラおにいちゃん?」
いつしか目の前にミニミニがきていた。
小首を傾げながら不安げに覗き込んでくる。
「ど、どうした?」
否応なく、声が上擦る。
表情が作れていたかわからない。
「これ、直せぅ?」
そう差し出されたのは赤子の人形だった。
リリクランジュに返していなかったらしい。
桃色の洋服は破け、右手ごと取れかかっている。
直せるか直せないかでいえば、直せるわけがない。
そもそもなぜ俺だ、裁縫では針穴に糸すら通せないのに。
「う~ん、どうだろうな」
とはいっても、既に結論づけていた。
断り文句を探していただけに過ぎない。
「イリスねえねえもアメリアおねえちゃんも『忙しくてそれどころじゃない』って。このままだとこの子が可哀想なの」
見透かしたかのように、ミニミニが人形を抱きしめた。
小さな腕に包まれて、無表情が何だか微笑んでみえる。
「可哀想、か」
さすがに心が動いた。
腕を組みながら少し考え、携帯電話を取りだす。
「鳩ぽっぽに聞いてみるか、何か役立つものを持っているかも」
応答なし。コール音だけが続いている。
深夜だし、寝ててもおかしくないか。
「……ソラおにいちゃん?」
丸々としたミニミニの目に、俺が映っている。
眉間にしわを寄せ、困り果てたような顔つきだ。
駄目だった、でお終いにするには後味が悪すぎる。
「鳩ぽっぽの場所なら知っている、一緒に行こうか」
ミニミニの手を引きながら、エリアBに向かう。
彼女の歩幅に合わせると、自然と歩みが遅くなる。
自ずと会話が多くなり、他愛ないことをよく話した。
「ソラおにいちゃんの肩車、楽しかったぅ! ママの高い高いを思い出したの」
「へぇ、いいご両親だったんだな」
「うん」
楽しくなってきたのか、繋いだ手が前後に振られる。
明け方の白ずんだ空に届きかねないほどの勢いだ。
「ソラおにいちゃんは妹とかいるの?」
「いや、一人っ子だよ」
揺れは徐々に収まり、無風になって手が離れる。
ミニミニはスカートを翻して、照れ笑いを浮かべた。
「――ソラおにいちゃんが本当のお兄ちゃんなら良かったのに」
それからも会話は続いたが、目的地についていた。
かまくらみたいに白色で小ぶりなドーム型ハウスだ。
ドアノブを捻じれば、鍵はかかっておらず中に入れた。
「鳩ぽっぽ?」
覗き込んで呼びかけるも、やはり眠っていた。
布団に身を埋めながら鼻ちょうちんを作っている。
無理やり叩き起こすには忍びないくらいの寝つきだ。
どうしようかと少し悩み、足元の原稿用紙を見つめる。
「鳩ぽっぽってどこから食料調達しているんだろうな」
ふとした思いつきが口をついて発せられた。
ランタンに照らされた室内をぐるりと一周する。
家具はテーブルに布団しかなく、棚すら見当たらない。
でもなぜだか、一面の原稿用紙が逆に怪しく感じた。
「ちょっと漁ってみるか?」
「食べ物があるの!?」
思いの外、ミニミニが食いついた。
目の色を輝かせ、背筋をぴんと伸ばす。
「かもな」
ミニミニは撒き散らすように漁った。
泥棒でももう少し綺麗に漁るかもしれない。
俺が入る余地もなく引っ掻き回し、それを見つけた。
「床下収納……」
畳一畳分ほどの収納庫だ。床と同じ橙色で、蓋がしてある。
開閉しようにも取っ手にシリンダー錠の鍵がついていた。
「ん」
また、この騒ぎで鳩ぽっぽが起きた。
全身の原稿用紙を払い、うーんと伸びをする。
しかしすぐさま俺たちに気づき、頭から布団を被った。
「ゆ、幽霊さんですか?」
「違う違う、俺たちだよ。ちょっと人形直すのに道具がほしくてな」
「え?」
恐る恐るに顔を覗かせ、目が合うなり息を吐く。
掛け布団に包まりながら立ち上がり、部屋を一瞥した。
「幽霊さんの方が部屋荒らさない分、マシでした……」
長々とため息を吐き、鳩ぽっぽが睨むような半目になる。
俺たちがいる床下収納の前にまで来て、鍵を開けた。
「人形さんを直す道具ですね。取ってくるので待っておいてくださいです。覗いたり、勝手に入ったりしてはだめですよ?」
がらがらの掠れ声で釘を指し、地下に消えていく。
真横から覗いた限り、高低差はそれほどなかった。
降りた梯子は四段につき、大量のダンボールがある。
確認できたのはそこまでだ、存外早く戻ってきた。
梯子を登りながら、右手にそれを持って現れてくる。
「お前、セロハンテープって」
「こっちは眠いんです」
鳩ぽっぽが口を尖らせ、俺に投げて寄越す。
敷布団の位置にまで戻り、あぐらをかいて座った。
セロハンテープで修理する俺たちに、愚痴をまくし立てた。
「そういえば、ソラさん飛んだそうですね。アメリアさんが自慢していましたです。『ウチも呼んで』ってお願いしたのに酷いです。しかも船で脱出しようとしたそうじゃないですか。置き去りは悲しいです。なんですか、食べ物を届けるだけの女は野垂れ死んとけってことですか」
「そんなに捻くれるなよ、たまたまだって」
寝起きで機嫌が悪いのか、いつもより卑屈だ。
話に付き合ってやる一方で、人形の修理は続ける。
しかしどうしても、破れた服の布面積が足りなくなった。
「えいっ」
立ち所に、ミニミニが自身の袖を破いた。
人形の服と合わせ、テープで繋ぎ合わせる。
色合いが似ているから、そこまで違和感はない。
ただ判断の早さと思い切りの良さに関心させられた。
「できたの……!」
ミニミニが人形を両脇から抱え、鼻息を荒くする。
裏面から節々まで目を通し、満足げに頷いた。
俺の方に向き直り、人形を差し出してくる。
「はい、ソラおにいちゃん――あの人に返してあげてほしいの」
そう押し付けた途端、走って部屋を後にした。
押しつけられた赤子の人形が陽光に照らされる。
窓越しの景色はすっかり朝となり、空がよく見えた。
鉛直方向に昇りゆく巨大な雲が空を占めた状態だ。
予定通り、イリスとアメリアが作り上げてくれたらしい。
視線が空に固定されたまま、口先で鳩ぽっぽに問いかける。
「なぁ、電話って声で認識しているのかな。それとも発信先で識別しているんかな。例えば俺がアメリアの携帯を借りて鳩ぽっぽの配送をお願いしたら、届け先は誰になる?」
「アメリアさんになりますです」
間髪入れず返ってきた答えに、適当な相づちを打つ。
鳩ぽっぽはわかってなさそうだが、これが実に大事になる。
俺は昇りゆく太陽が眩しさで見えなくなり、目線を下げた。